日本国有鉄道研究家加藤好啓

日本国有鉄道研究家加藤好啓

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日本万国博覧会と国鉄

1970年、千里丘陵で開催された日本万国博覧会当時の国鉄輸送についてまとめてみました。

    • 国鉄改革のあゆみ 11

      国鉄改革に伴う一環として、職員の給与査定を遅ればせながら導入する方針を決めた国鉄当局の話でしたが、今回は国鉄でも最大派閥の国労の見解について述べて見たいと思います。 国労、酒井副委員長(当時の肩書き)の談話を公企労レポートから引用しますと。 というように、国労らしい回答といえば回答なのですが、あくまでも今回の取組は労務管理の強化であることを前面的に出していることが伺えますが、全て反対というわけではなく、条件闘争的になるであろうということを以下の記者との質問の中で答えている

      • 国鉄改革のあゆみ 10

        国鉄民営化を目前にして、国鉄では期末手当の査定を行うことを決定しましたが、当局の考え方を述べていきたいと思います。 国鉄当局、門野 雄策給与課長の見解を公企労レポートから要約しますと。 現在の国鉄は、職員一丸となって改革に向けて努力を行うべき時であり、そのためには職員一人ひとりの能力、意欲の向上と意識の改革を図ることが必要となっていますし世間でも職員の意識向上を期待していると思います。 そういった時期だけに、信賞必罰を基本とした職員管理を徹底することは、民間企業では賞与へ

        • 国鉄改革のあゆみ 9

          国鉄が昭和61年に打ち出した、期末手当の査定については、各労組間で大きな温度差がありましたが、今回はダイジェスト版としてお送りしたいと思います。 当局他の各論は後ほどに 今回の期末手当査定に危機感を持っているのは国労であることは前回お話したとおりですが、今回の目的が単なる「給与の査定」に留まらず、将来の職員の選別に連なるところが最も注目すべきところではあります。 そんな中、国労は、以前からの三無い運動「辞めない、休まない、出向しない」の運動方針を堅持しており、一人の職員

          国鉄改革のあゆみ 8

          昭和61年は、国鉄改革の最終年として組合は組織の生き残りをかけたいましたが、国鉄では初めての試みとして、職員の賞与について査定を行うこととなりました。 この方式は、後年郵政にも導入されましたが、査定自体に不透明な部分があり、そういった点では問題が多かった制度では無かったかと思います。 さて、当時の公企労レポートから引用してみますと。 国鉄は分割民営化を控え、この程、夏・冬の期末手当支給の際、民間企業並に職員の勤務成績、出勤状況を査定して支払う制度を初めて導入するとし、国

          国鉄改革のあゆみ 6

          国鉄改革に伴い広域移動、本日は元々労使協調路線を堅持してきた鉄労について取り上げたいと思います。 結成当初から労使協調路線を堅持した鉄労 鉄労の歴史を簡単に振り返ってみますと、昭和32年の国労新潟地方本部が本部の意向を無視したストライキ(新潟闘争)を行った際に、その運動に反対する方針を持つ組合員が離脱した、国鉄職能労連をその母体とする。 昭和32年11月には、国鉄職能労連同様、国労から離脱した地方総連が集まり、「新国鉄労働組合連合【新国労】)を結成、をその後、昭和43年に

          国鉄改革のあゆみ 5

          国鉄広域異動、本日は動労の見解です。 動労の成り立ち 動労は、昭和25年、機関士の待遇をめぐった意見の相違から、国労を脱退した機関区従業員の職能組合として誕生した機関車労組をその前身としている。 余談ではあるが、機関士労組の結成は当時の当局の運転局がかなり積極的に応援した節もあります。 労使協調への方針変更は数年前から さて、今回の広域異動についても、動労は、当局が提案したから協力しましょうということではなく。独自に3・4年前から組織内で議論したとされています。 基

          国鉄改革のあゆみ 4

          広域移動に対する各労組の考え方を綴っていきたいと思います。 最初は、当時最大の労組であり、国鉄分割民営化を最後まで反対した「国労」です。 国労は、戦後GHQの解放政策により結成された労働組合で、職員労組を前身とする組合でした。駅員から機関士に至るまであらゆる職種の人々が加入しており、機関士・運転士だけの動労などとは異なり寄り合い所帯の雰囲気があり、支持政党は社会党(現在の社民党)であり、国労内部では、右派と左派に分かれるという状態であり、国労自体は左派(民同左派)が主導権を

          国鉄改革のあゆみ 3

          元記事は、10年以上前に投稿した記事がベースとなります。 葛西氏はすでに鬼籍に入っていますが、JR東海の会長として更には政界とのパイプも深かったわけですが、改革三人組の一人であった葛西氏は、国鉄改革当時は職員局長という立ち位置でした。 JR東海と言う会社の性格を一言で言えば、新幹線総局+職員局による合同組織のようなもので、国鉄本社の中でも旅客局がJR東日本に組織替え。JR西日本は大鉄局がそのまま本社機能を持ったようなイメージであり、四国・九州・北海道の3社はそれぞれ総局が本社

          国鉄改革のあゆみ 2

          今の時代だからこそ、改めて1985年当時の国鉄改革とは何だったのかを見直すべき時期だと言えないでしょうか。 個々が日本にとっても一つのターニングポイントになったと言えます。 すなわち、新自由主義による小さな政府、自己責任、民間活力・・・この結果が現在の姿を生んでいる。 国鉄の分割民営化は、新幹線の輸出にしてもそうですが、民間ベースとしての進出が結果的に良かったのか? 国鉄+運輸省によるタッグで「日の丸連合として国益として新幹線の輸出もしくは、開発援助の方が余程国益に叶っていた

          国鉄改革のあゆみ 1

          今更国鉄の話などと言われそうですが、現在の社会の疲弊に関しては、その要因として新自由主義による社会的破壊もあったのではないかと考えるわけでその思索の一助としていただくため、当時の公企労レポート(現在は国鉄の部分だけですが)から参照していただき、改めて現在の社会問題の病根を探って行ければと考えています。 昭和61年3月15日付 公企業レポートに見る国鉄 国鉄は昭和61年2月28日に国鉄分割民営化を定めた国鉄改革五法案を閣議決定したことで、国鉄改革は既定路線として進むこととな

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          グリーンの歴史をご存じですか?

          現在JRに連結されているグリーン車、元々は一等車と呼ばれていましたが、昭和44年5月の改正で、等級制が廃止されるとともに、新たにグリーン車と言う愛称が設けられました。

          グリーンの歴史をご存じですか?

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          JR7社体制は見直すべき時期に来ている (石井幸孝氏)談話

          鉄道史学会会員でもある、石井幸孝氏(初代JR九州社長)とお話をさせていただく機会に恵まれた。 氏は、現在の日本の状況を大変嘆いておられ、日本は3等国に成り下がってしまった。 現在のJRではあまりにも力が分散している。 JR北海道も四国も潰れる寸前であるし、新幹線自体も改めて再編していく必要もあるし、北海道・四国は再び国営に戻すことも視野に入れないといけない。 さらに、コレアらはもっと物流という視点にも尽力すべきであり、その答えの一つは新幹線による貨物輸送を真剣に考えるべきであ

          JR7社体制は見直すべき時期に来ている (石井幸孝氏)談話

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          鉄道技術解説シリーズ 20系客車のブレーキ

          国鉄形車両大好きな方必見 20系客車のブレーキについて語ります。

          鉄道技術解説シリーズ 20系客車のブレーキ

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          国会審議議事録 踏切事故編 Part2

          本日も南海電車の踏切事故に関連しての踏切道の整備について議論されています。  昭和40年代前半は未だ未発達な部分が多く、警報機も遮断機もない踏切が普通にありましたし、今以上に踏切の直前横断をする車が多々ありました。  特に、行動経済成長のさなかと言うこともあり過積載のダンプによる衝突事故など、事故が大型化する傾向にあり、踏切道の整備も急務であったとともに、統計的には鉄道会社の責よりも、運転者のマナーによる原因が事故全体では90%(特に踏切の直前横断での事故は約70%)であり、

          国会審議議事録 踏切事故編 Part2

          国会審議議事録 踏切事故編 Part1 

          さて、本日からは、踏切事故についての国会審議の模様を引用していきたいと思います。 事故現場は、現在は道路が線路下をくぐるように改修されて立体交差化されていますが、当時は警報器がない第4種踏切で、ここでトラックが立ち往生したことが事故の発端でした。 同区間は、カーブが続いており、そのカーブを曲がりきったところに踏切があることから、列車の進入がわかりにくいきらいが有ります。 更にこの事故で問題となったのは、事故列車の乗務員が自分の子供を運転室に乗せていたことで、衝突直前に子供を連

          国会審議議事録 踏切事故編 Part1