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幸せのヒント ー自分で決める、自分で決めたー

こんにちは。

みなさんは、一度くらいは幸せになりたいと願ったことがあるのではないでしょうか。

幸せのとらえ方は人それぞれあるかとは思いますが、今回は、「幸せ」という概念を私たち一人ひとりがどのように考えるかを、自分の判断や意思決定、つまり自分で決めることという側面から考えてみたいと思います。本記事では「幸せとは何か」については論じませんので、その件について考えたい方は別の記事を当たっていただければと思います。

「幸せ」というものを考えるとき、私はそれを「目的」と考えるのではなく、「結果」として考えるほうがしっくりきます。「あのようなことがあったのは今から思えば、自分は幸せなことだったな」というようなことです。「○○ができた」「○○になれた」=幸せ、ではなく、「○○のようなこと」=幸せ、という考えです。わかっていただけるでしょうか。

動機づけという言葉はご存じでしょうか。モチベーションのほうが広く知られているかもしれませんね。動機づけとは、「動機づける」というように、私たちの行動の源泉となるものです。動機づけには、外発的動機づけと内発的動機づけがあります。外発的動機づけとは、報酬(金銭)や称賛(褒められること、認められることなど、自分以外の外部から得られる評価という側面です。一方の内発的動機づけとは、自分の興味や関心、好きなこと、やりがい、生きがい、楽しいこと、面白いことなど、他者とのかかわりではなく、自分自身の内部からくるものです。これらは、どちらか一方が大事で一方が大事ではないというものではなく、どちらもバランスよく得られることが大事だという考え方です。

特徴としては、外発的動機は比較的簡単に得ることができるが持続性は低く、内発的動機は得ることは容易ではないが一度得ることができるとそう簡単に消滅することは少ないという特徴があります。




これを前提に、それでは内発的動機を得るためにはどうすればいいのでしょうかについて考えてみます。この命題に対するヒントとなるのが、私たち人間の基本的な心理的欲求です。これは、「自分の能力を発揮したい」という有能感、「他者との良好な関係を築きたい」という関係性、「自分のことは自分で決めたい」という自律性から成り立ちます。

これらの心理的欲求が充足されているときに、内発的に動機づけられ、生産的になり、適応力が高まるといわれています。つまり、動機づけの源泉となりえるのが、有能感や関係性や自律性を高めることだと言えます。

特に、自分のことは自分で決めるということは、当然ながら自分のこれから起こりえる将来の出来事について焦点が当てられます。今日の晩御飯は何を食べようかとか、明日着ていく服は何にしようかとか、職業選択や人生のパートナー選び、定年退職の時期、もっといえば病気や怪我をした際の手術を受けるかどうか、臓器提供するかどうか、延命措置を継続するか否かといった、日常の取るに足らないことから、私たちの人生において重要かつ重い選択にかかわるすべてにおいて、自分にかんすることは自分で決めたいという欲求をもっています。

職域においては、自分の仕事の裁量という見方から考えることができます。いわゆる上位下達のようなトップダウン式に指示命令されたことを愚直にこなすことと、自分の仕事の裁量はある程度は自分で決めることができることなど、職業や職場において自律性がかわってきます。先に述べたとおり、自律性が得られることが動機づけの源泉となるものですから、裁量が高いことが動機づけの高まりとなり、幸せを感じられることと言えるかもしれません。

自分のことは自分で決めるということは、何もこれからの将来に限ったことだけではありません。自分の過去における出来事も「自分で決めたこと」ととらえることができると思います。仮に、結果的に受け身的な出来事であったとしても、自分にかんする出来事という広い意味でとらえたとき、たとえ受け身的な出来事であったとしても「自分で決めたこと」と考えることで自律性は得られると思います。



他責や自責とは少し違うかもしれませんが、自分にかかわる多くのことに自分でコミットしていくというイメージでしょうか。自分のこれまでの多くの出来事も、大小さまざまな選択、判断、意思決定から成り立っているという立場に立った時に初めて自律性が高まる入口に立ったともいえるかもしれません。

確かに、良いことならばいいのですが、自分の過去の忌まわしい経験、出来事というのは、できる限り記憶から消し去りたいという欲求があるのもわかります。しかしながら、そのような忌まわしい経験というのは、忘れようとすればするほど、記憶が鮮明によみがえり、余計に苦しくことにつながります。ですから、無理に忘れようとするよりも、「そんなこともあったなぁ」と一歩引いた視点から、それもひっくるめて自分で決めた結果だと受け止めることで、自分への慰めとなりつつ、自分自身によりコミットメントが高まり、ウェル・ビーイングにつながるような気がします。

幸せを感じるというのは、すなわち、自分のこれからのことは自分で決めるということの他に、過去の自分に起こったことも自分で決めたことだと受け
止めることなのではないでしょうか。そのような自分で決める、決めたという自律性を高めることが動機づけにつながり、ひいては幸せを感じることができることにつながると私は思います。

幸せはどこにあるのかと問うたとき、それは他者から得られたり、外部的環境から得られることもあるかもしれません。しかし、それよりもむしろ、幸せのありかを考えたとき、それは私自身がすでにもっているものなのかもしれません。それを知っているかどうか、それを引き出せるかどうかがカギとなるようにも思います。

そのために必要なことは、知識を得ることはもちろん、それを自分のものとする知恵を得ることなのかもしれませんね。


今回はここまで。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

また次回、よろしくお願いいたします。

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