自分のキャリアの棚卸をしていて気づいたこと ~キャリアの羅針盤~
自分はキャリアチェンジを果たし、現在対人援助職についている。定期的に自分のここまでの歩みみたいなものを振り返っているわけだが、そこではさまざまな気づきが得られる。それは数的なデータから自分がその時に抱いていたであろう感情などさまざまである。その気づきの中には当然、驚きといった感情も含まれていてやはり、後になって自分が気づくということがある。今回は自分のキャリアを振り返る中で、気づきを得られたことについて記していきたい。
キャリアの棚卸をしていてまずはじめに気づいてことは、自分がこれまでに面談をしてきた回数や人数といった数的なデータである。実際の面談、相談業務として担当してきた支援対象者の数は、普段それほど意識はしないものである。しかし、自分がこれまで何人の人たちの面談をしてきたのかを改めて数字にしてみると、こんなに多くの人の相談にのってきたのかという単純でありながらもその責任の重さを痛感した。やはりそこには、一人ひとりの人生という物語がある。すべての人は固有の存在で個性がある。その人にとっての世界が存在していて抱えている問題や葛藤もさまざまである。単なる数字でみればなんてことないのかもしれないが、やはりそこには一人ひとりの人生観や世界観が存在していることを忘れないでいなければならない。
特に就労支援では、就労への困難さの違いが浮き彫りになることがある。それは、その人が置かれている状況や抱えている問題によって就労の困難さに個人差が生じる。そもそも応募すらできない状況にある人も少なくない。現在の状況や抱えている問題、また本人の希望条件やキャリアの志向性など、複雑に絡み合ったそれらの糸をひとつずつ紐解いていくという緻密さが要求される。
自分の面談のスタイルというのも確立されつつあるように思える。しかしそれは、支援対象者がどのような人なのかによって柔軟に対応することは言うまでもないこと。また、その支援対象者の第一印象というもの、支援対象者の人柄などを探る手がかりとなる。そのように柔軟に対応するという前提で自分の面談のスタイルについて確認しておきたい。まずは場面設定については現在の仕事ではあまり行わない。本当は簡単にでも場面設定を行ったほうがいいのだろうが現在の仕事では自然と行わないようになっている。支援対象者は相談したいことがあって来所してくるわけで、まず話をしたいと思っているはずである。
現在の面談では、支援対象者に質問する項目がいくつも用意されていて、その質問をしていく中で現在の状況を確認していくという形が取られている。しかし僕はそのやり方がどうもしっくりこない。それは先にも述べたように、支援対象者は相談をしたくて来所してきたはずである。まずはその支援対象者の話したいことを聴かなければならない。それなのにやり方が決まっているからといって、一方的にあれこれと質問を重ねていくというやり方はどうもしっくりこないということ。
もちろん臨機応変に面談を実施するわけだが、往々にして多くの人が席についてまずは自分が言いたいことを言ってもらい、話したいことを話してもらう。話を聴いている間は共感的姿勢は忘れない。一通り話が終わると要点を整理したりこちらが感じ取った問題点などを確認してみたりといった作業に入る。もちろんその支援対象者によるが、中には口下手な人もいるので一概には言えないがそういう姿勢で面談を実施している自分がいることに気づけたことは良かったこと。
次に、特に印象に残っている事例を思い越していたが、現時点でやはり印象深く残っているのは初めて採用が決まったケース。詳細は書けないが、その事例での教訓は先入観や思い込みが邪魔をすることが多くあるということ。面談でその人がどういう人なのかといった第一印象は重要な手がかりになる。しかし、その第一印象を確証してしまう情報を集めてしまうことは多々ある。それよりもむしろ、他者からの意見などといったものが、時にバイアスとして働いてしまうことがある。しかしそれが、支援対象者の就労の困難さに拍車をかけ、それが阻害要因となってしまう恐れがある。本当に気をつけなければいけないと思う。
いくつかの事例の中で、非常に困難な事例があった。成功事例よりもそのような困難な事例のほうが印象に残っている。その中のひとつに、シングルマザーへの就労支援の事例があった。そこでは、当然のように保育施設への入所がかなっておらず、小さな子どもを抱えての求職活動という状況が困難さに拍車をかけていた。本来ならば、一般公開されている案件の中から支援対象者の条件に合う案件を探し出し、応募を目指していくというプロセスが一般的であろう。しかし、単純に案件を探し出すということがすでに困難であるという根本的な状況があった。それは、小さな子どもを連れて面接には行けないということ。
また、「就職(内定)が決まれば保育施設への入所の優先順位が上がる」というものが大きな課題として横たわっていた。すなわち、その優先順位を上げるために内定獲得を目指したいわけなのに、その第一歩となる面接に行くために子どもをどこにも預けることができない、というジレンマ矛盾が大きな阻害要因として横たわっていた。応募先に保育施設があるかどうかも当然重要であるが、その前に面接に行くためにそばにいる子どもをどうするか、ということは支援対象者個人の力量にゆだねられているという現実がそこにあった。
その課題に対して僕がしたことは、自分の職務の範囲をある意味逸脱した形で支援を行った。面接のための子どもを預ける先を探すという行為は職務範囲ではなかった。しかし、僕は上司や先輩に相談をしたが、先輩には良いことだと理解を得られたが上司からか理解を得られなかった。しかし、上司の許可は得られなかったが最終的には自分の判断にゆだねるという、玉虫色の回答であったため、自分の判断で面接のために一時的に子どもを預ける先を探した。その中で一か所だけ、一時間くらいなら預かることができるという施設があった。そこにたどり着くまでにさまざまなところの人に相談をしていってやっと一か所見つけることができた。
小さな子ども抱えての求職活動の困難さを身をもって体験した事例であった。結果的に、応募に至る前に支援を終了することになるわけだが、まわりの理解が得られなくても自分を信じて、そこまでできたことは良かったことでもある。しかし、自分が所属している組織での規範というものがある。それを逸脱することのリスクを考えると複雑な心境になる。しかし、あくまで支援対象者の立場視点で物事をみないといけないと強く思う。
自分のキャリアの棚卸をしている中で、自分がこれまでやってきたことを振り返る行為は非常に有意義なことだと思う。そこでは、改めてのさまざまな気づきを得られる。ここに書いた以外にもさまざまな困難な事例があった。年齢や性別などの他、生得的環境的な要因は本人ではどうすることもできない。小さな子どもを抱えているシングルマザーやシングルファザーが抱えている問題が、世間一般的に言われていることの話としては理解できても、その人自身のこととして理解することには限界がある。もちろん、僕らキャリアコンサルタントには倫理規定が課されているわけで、その倫理規定を逸脱することは許されない。しかしながら、本当に支援を必要としている人に対しては、キャリアコンサルタントとしての倫理規定や、組織で設けられている規定とのせめぎあいでもある。そういうことを今回のキャリアの棚卸で気づきを得られた。
個人的には、責任を問われない範囲であれば、今回の事例のように面接のための子どもの預け先を探すという行為は、それぞれの関係者の理解を得られるのであれば本来良いことのはず。ルールや規則規範に縛られることが本末転倒につながることもある。僕はこれまでそのような姿勢で仕事をしてきたしこれからもそのような姿勢で仕事をしていくことに変わりはない。ただ、ひとつだけ、いちいち上司などの許可を得ないといけないというのはどうもしちめんどくさいことだなと思うことはたまにある。しかし、そういう仕事への姿勢が自分にとってのキャリアの羅針盤となって自分の往く先を指し示してくれるのだと思う。
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