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「あたり前」のことをシェアする勇気
自分のSNS投稿なんて、大した価値などないかもしれない。そんな不安を覚えたことはありませんでしょうか。実は私も、かつてはそういう思いと向き合ってきました。そして正直に言うと、今でも完全には拭えません。投稿ボタンを押す直前に、「こんな当たり前のことを、わざわざ発信する意味があるのだろうか?」と考え込んでしまうことがあります。
でも、あるとき気づいたんです。
たとえ自分にとっては単なる「あたり前のこと」であっても、それが誰かにとってはものすごく価値になることがある、と。
そう気づいてからは、少しずつ肩の力を抜いて投稿できるようになりました。
たとえば、本を想像してみてください。
尊敬できる著者のベストセラー書などはいかがでしょう。一冊を通して読めば、とても多くの学びがあると思います。しかしながら、たとえばその中の1ページだけを切り取ってみると、「まあ、そうだよね。同意できるよね。」と思うような内容がほとんどだったりしませんか。
本にはもちろん、心に響く新しい気づきが散りばめられています。でもその「新しい気づき」を受け取るためには、それを支えるための「共通の認識」が多くべースにあることが重要です。
なじみのある共通の考えが大半であるからこそ、ごく少量の "新しい発見" がより深く心に届くのだと思うのです。
逆に、全体の半分以上が「知らないこと、新奇なこと」で占められている本だったらどうでしょう。
「あれ、これっていったい何を言ってるんだろう?」と混乱し、読んでいてひどく疲弊するに違いありません。そしてそれは、同じことがSNS投稿にも言えると思うのです。
新しいこと、知らないことだけ書かれたような投稿には共感することは不可能です。「あたり前」の部分こそが、発信者と受け手をつなぐ重要な土台になるということです。
そして重要なのは、この「あたり前」は、決して単なる "前フリ" の役割だけに終わらないということです。
たとえ既存で共通の認識であったとしても、誰がどう語るかによって、「これ、そうそう。自分も思っていた...!」と心に響く瞬間が生まれます。読み手に「わかる」と共感してもらえるとき、言葉には不思議な力が宿っているのです。
かつて、ある知人がこう話してくれたことがあります。
「こんな話、誰でも知ってるよね..」と思っていた内容をSNSに投稿したら、意外にも「これ、とても読みたかった話です!」と感謝の声をもらえたと。そのとき初めて、「自分では普通すぎると思っていたことが、誰かにとっては宝物になり得るんだ」と思えたそうです。
たとえば日々ウォッチし、その意見を参考にしているような著名人がいたとします。しかしながらその人の発信も、実は斬新な考えばかりではないはずです。
むしろ、「漠然と自分も考えていたことを、うまく言葉にしてくれた」という内容も多いのではないでしょうか。そして、その中に少しだけ「なるほど」と思える新しい視点が加わると、それが一層輝いて見える。
だからこそ、「あたり前の内容を共有すること」に大きな意味があるのです。あたり前こそが、人と人をつなぎます。さらに自分にとってのあたり前は、ときに他者にとって目からウロコの気づきにもなるのです。
だから私も、いつも「あたり前かな」と思うことを、あえて文字にして発信しています。この投稿だって、何も斬新なことは語っていないと思います。
もし、「自分の発信なんて…」とためらっているとしたら、ぜひ思い切ってやてみるのが良いと思います。素直な言葉が、誰かの「そうそう、これ大事!」という学びと感動を生むはずです。
そしてそれは、その人の変化の一歩になるかもしれません。さらには、一生の方向を変えてしまうような大きな機会になるかもしれないのです。
自分の「あたり前」が、誰かの心を照らす。そういう瞬間が、少しでも多くあればいいなと思っています。