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悲しみと向き合うこと

妊婦検診用のノートに可愛い赤ちゃんの切り抜き写真をいっぱい貼ってオリジナルノートを作る、というのはこの国の妊婦さんがよくすることだ。可愛いもの美しいものを見ることで可愛い赤ちゃんが生まれてくると信じている、とからしいが、お店にもぷくぷくしたアジア系の白い赤ちゃんのポスターが売っていたりする。きっと妊娠したらお部屋に貼るんだろう。


結婚してからなかなか子供ができなくて、相談にのってあげてた夫婦から電話があった。流産したので病院にいる、と。流産は2回目だった。


病院に行って私に手渡されたのは、可愛らしく赤ちゃんの切り抜き写真でデコレートされたノート、その中に貼られた超音波写真だった。心拍を確認したあとの流産だったようだ。

私に連絡してきたのは私が元助産師だからだろう。


そこで私は私の無力さを痛感する。
助産師だからって何を言ってあげられるというのか。


付き添っていたお姉さんが言った。
夫婦二人も親も泣いていて家の中がお葬式のようだ、泣くな、といっても泣き止まないし、なんとか気持ちを奮い立たせて今日は病院に来た、と。


泣いてもよくない?
泣かせてあげたらよくない?

私はお姉さんに泣いたらだめ、って言わないであげて。泣かせてあげて、って伝えるのが精一杯だった。


そしてお葬式という言葉にハッとした。私は今まで流産してきた人に向かい合ったとき、そんな視点で言葉をかけてあげることができたことが一度でもあっただろうか。


次のステップが医者から提示され、しばらくしてから検査に行くようだ。


当たり障りのない声掛けしかできなかった。


悲しみに向き合って、
お腹に数週間いた赤ちゃんを弔って、
あの夫婦が進んでいけることを切に願う。


そして、私にできることを今一度考えたい。


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