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親父様へ
お別れの言葉を述べさせていただきます。
親父様が透析中に痛みを訴えて緊急入院したのは、つい先月のことでしたね。
透析治療自体も随分と長い期間となっていて、もう針を刺す場所がなくて困るような状況でしたが、一昨年には更に胃癌を発症して摘出手術を受けましたね。
しかしあのときは、孫娘の結婚式/披露宴に出席するために脅威の回復力を見せ、周りの皆んなを驚かせてくれました。
客観的に見たらとても厳しい病状でしたが、親父様はいつも、天性の明るさ、楽天的で前向きな思考で乗り切ってこられました。
先月の入院の時も、正直、いよいよかと緊張しました。
コロナ感染拡大の影響で面会できませんでしたが、LINEで通話しながら病室の窓から手を振ってくれた時に、私はホッとしました。
この時も奇跡の回復を遂げて、週明けには退院されました。
そして、その翌週末には孫たちに連れられて、福岡ドームや志賀島へのドライブも楽しんでおられましたね。
しかし、ついにお別れのときが来てしまいました。
親父様は、昭和一桁世代のご多聞に漏れず仕事一筋で、現役時代は民放テレビ局で活躍して来られました。日本でのテレビ放送黎明期で、カメラワークから電波送信、番組制作までなんでもこなさなくてはならなかったと聞きました。
現役を引退されてからは、母との旅行や趣味の世界を楽しんでおられましたね。
特にゴルフが大好きでしたね。
私の義弟もゴルフが得意で、親父殿が彼と一緒にコースを回った時のことをとても楽しそうに話していたのを思い出しました。
4人の孫たちのことが大好きで、部屋にはそれぞれの幼児の時から最近のものまでたくさんのスナップ写真を部屋に飾っていましたね。
いつもそれを愛おしそうに眺めていましたね。
娘である私の妹が鹿児島で結婚する際は、男ばかりで夜の天文館に繰り出して、大はしゃぎしていましたね。
表千家でお茶の修行を重ねる母を、それこそ長きにわたってサポートしてこられました。
(終末期医療の)病院に入院することになったとき、
「そうか、その段階にきたのか」
と、とても冷静でしたね。
痛みに耐えられずに目が開けられない状況にありながらも、見舞いに駆け付けてくれた家族にそれぞれ、
「ありがとうよ、ありがとうよ。」
と声を絞り出していたのは、親父様の性格がまさによく出ていたと思います。
これまで、たくさんの愛情を有り難う。
激動の90年間、本当にお疲れ様でした。
天国でゆっくりしていてください。
さようなら。
(実際の弔辞をもとに、個人情報にかかる部分を修正しました。)
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