「芸術に進歩はあるか」
こんにちは。
日本リベラルアーツ協会では「続・大人になるためのリベラルアーツ」に準拠した読書会の第4回を10月7日(木)に実施しました。
今回のテーマは「芸術に進歩はあるか」です。運営から前提知識をお伝えした上で、本を基に3つの問い立てを行い、対話しました。
1問目:あなたはラファエロとピカソの母子像を比べてどちらが好きですか。また、どちらが「進んで」居ると思いますか?理由もお願いします。
各人、ラファエロの方が好き、ピカソの方が好き、といった感想を述べた後、それぞれの絵画について考えました。
・ラファエロは「宗教画・宗教的な主張」、ピカソは「身近な絵画、身近な主張」。
・ラファエロは「優しそう・穏やか、な理想的場面」「スタジオで撮った写真のよう」、ピカソは「ちょっと大変そうな現実的場面」「日常の一コマ」。
・ラファエロは「模写」に近い、ピカソは「絵画を用いて勢いよく表現」している。
といった感想が出ました。どちらが「進んで」いるかについては、
・服装などを見ると、確かにラファエロよりピカソが進んでいる。
・「自由な作画」という点でもラファエロよりピカソが進んでいる、
という考えが出つつも、どちらが「進んで」いるかは定義しづらい、という感想で概ね一致しました。
2問目:絵画は歴史とともに進歩してきたと思いますか。また、絵画以外の芸術(音楽、文学、映画、演劇、等々)についてはどうですか。
・芸術に対する考えや意味、評価が、人、文化、時代により異なる。歴史とともに「進歩」というより「適応」し、「適応すること」こそが「進歩」である。
・「芸術の進歩」とは人生と同じである。どの年代が最も素晴らしいとかはなく、幼児期から老年期まで、どの年代にも美しさがある。きちんと「適応」し「前へ進む」姿勢こそが「進歩」なのだ。
・我々は「歴史あるもの」を有難いと思うことがある。「歴史の蓄積」は美しいと感じるのであって、歴史とともに「進歩」したと言える。
・技術的な進歩(道具など)はあり、表現技法が拡がり表現の幅が拡がった。コンピュータの普及で表現に必要なスキルのレベルも下がった。そのような意味で「進歩」した。
・芸術は大いに「進歩」しただろう。現代(21世紀)の芸術はもはや「ニッチ」「隙間」を探すレベルになってきていて、もはやこれ以上「進歩」しないレベルにまで来ているのでは。
といった「何が『進歩』なのか」という面白い考えがたくさん出ました。
3問目:「芸術は進歩する」「科学技術は進歩する」という命題は、つねに正しいと思いますか。もし「正しくない」ケースがあると考える場合は具体的な例を挙げてください。
まず科学技術における「進歩」について
・何らかの形で測ることができる。定量化。
・再現性がある。マニュアルがある。
・公平な(評価)基準がある。
・過去の論文や知見の蓄積の上に成り立つ。
といった考えが出され、
“「科学技術の進歩」が人類に破滅をもたらす恐れがあるとき、「進歩する」という命題は正しくないかもしれないが、
個々人への影響はともかく、現時点で人類全体では「科学技術は進歩した」と言える。”
といったところに概ねまとまりました。
その上で芸術における「進歩」について
・新しい芸術が再現性を持ったり、公平に評価されて「進歩」していくことはないだろう。
・芸術は科学技術と異なり、世界中どこでも同じになることを「進歩」とは言わないし、むしろ「人類がもう進歩しない」状態ともいえる。
・現にAIによって芸術の再現が可能な域に到達しつつあるが、AIがプロの演奏や描画、演技を再現しても「進歩」とは言えない。
・各時代や各文化の人間が芸術に込める、点数化できない感情こそ「芸術における進歩」の原動力で、新しいものを生み出していくのではないか。
といった考えが出され、科学技術の「進歩」と芸術の「進歩」は異なるようだ、という話の中で、最初の問いにも立ち返り、
・芸術の場合、「進歩」といえるのか。「科学技術における進歩」と異なり、必ずしも過去の知見で体系化出来ず、「適応」という語のみが当てはまるなのではないか。
といった考えも出て、大変活発な対話が行われました。
4.最後にアンケートにて感想を頂きました。
①今回考えたことや感想
・芸術分野の理解がなくても興味を持てた。
・普段、自分がいかに言語化していないかを実感した。
・理系の学問とは進歩の考え方などがそもそも異なっていたりと、前提が違ったことが面白かった。
・芸術は進歩しているのか、という問いの時点で、科学技術と比較して考えていたのが面白かった。
②他分野の方の意見で興味深かった点
・進歩とはなにか…良い進歩、悪い進歩はあるか。
・目的が定まっていると進歩を捉えやすい、どこまでいっても人が受け継がなければ進歩はしない。
・進歩を考える、測るには方向性が重要であるという点。
・他分野の知見をマニュアル化することの是非。
・進歩をしたとしても感動が大きくなるとは限らない。
といった、異分野の人間が集まることで新しい分野に興味を持ち、言語化したり、前提の違いを感じる良い機会になったようです。
③モヤモヤしている点、今後考えたいこと、新しく自分の中に生まれた問い
・新しいものは本当にいいのだろうか、常に新しい技術が進歩なのか。
・芸術家たちのセンスは、社会や時代の変化への洞察がどの程度反映されているのか。ビジネスの分野でも営業マンのセンスで業績が変わるので、芸術家たちはどうなのか、気になった。もしセンスも技術の集積なら誰でも再現可能だと思う。
・芸術、進歩、科学技術…といった用語の定義や捉え方が、参加者それぞれで違う中で話すことは、もやもやするような、前提を共有していないからこそ楽しいような、不思議な感覚だった。
といった、新たな問いも多く生まれ、刺激もあったようです。
今回も、教育学、地球科学、社会学、工学など多様な専門を持つ人にお集まり頂き、各々の専門や経験、立場を基に活発な対話が出来ました。お互い素敵な刺激になっていれば何よりです!
次回は10/14(木曜)に「人工知能研究は人為的にコントロールすべきか」というテーマで開催します!多くの人にご参加いただけること、楽しみにしています!
今回参加して下さった皆様、ありがとうございます!!
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