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クレール・ドゥニ『パリ、18区、夜。』スカーフに込められた民族の生
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旧ソ連からパリに移り住む老女イラの部屋に、役者を志す親類の少女ダイガが、リトアニアの首都ビリニュスから、独立後のリトアニア経済を象徴する廃車寸前のオンボロ車を走らせ移住を求めやってきた。イラはお茶を用意しながら、「さぞかし旅費は高くついたろうね[…]ペレストロイカでどうなったことやら」と皮肉を漏らす。するとダイガは、「最低よ」と、リトアニア(旧リトアニア・ソ連社会主義共和国)を代表し、答える。それは、独立宣言の取り消しを拒否するに伴い経済封鎖に踏み切ったり、ビリニュスへの制圧を擁護したりしたゴルバチョフに対する辛辣な評価なのだろう。イラは「誰だってそう思うわ」と、同調する。そして、別の場面でイラは、ソファで寝そべるダイガを背に、「スラブ民族は連帯し助け合うの」と、ホテルを経営するニノンに誇らしげに話す。この助け合う「スラブ民族」とは、イラの先祖に当たる国家形成前夜のキーフ・ルーシ(東ヨーロッパ)に存在した東スラブ民族と思われるが、そもそも、イラの住んでいる神不在のアンモラルな街パリ18区は、国家形成の神であるアポロンと対立する、非個体的なディオニュソス的なものを軸として描かれた街であることから、イラの価値そのものであるスラブ民族もまた、ディオニュソス的なものによる反国家的なニュアンスが込められていると考えられる。そして、このディオニュソス的(反国家的)路線は、パリ18区を彷徨うダイガに浸透し、働きかける。それをざっくり言えば、役者を志すダイガと手を組むのは、ダイガをパリに誘った旧ソ連出身者という設定なのだろう、舞台監督アレクサンドル・シメートフではなく、フランスを脅かすかの老女連続殺人犯のカミーユである。つまり、理性にしたがってフランス語を習得し、パリの舞台に立つ夢に向かって努力するのではなく、『ガーゴイル』(2001年)のシェーンとコレのように、非理性的かつ凶暴なディオニュソス的なものを宿すことによって、政治的本能を破壊し、カオスに浸透する。
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イラは、ダイガの移住を部屋が狭いことを理由に断りながらも、遥か上空(9階)に住む仲良しのヴァシアにダイガの移住を頼むことにした。イラはダイガの支えに頼りながらも、7階あたりで疲れ果て、一息入れる。この場面で気付かされのは、アパートの階段で、ダイガと再開したときにしていなかった青と黄色の色鮮やかなスカーフを首にかけていることだろう。同じ服装は、付け加えるもののメッセージを際立たせる。そして、目的とするヴァシアの部屋には、ウクライナの母娘がいる。階段を登るダイガとイラ、あるいは、ともに旧ソ連のサンクトペテルブルク生まれのイラを演じるイリナ・グレビナ(1902年ー1994年)と、ダイガを演じるカテリーナ・ゴルベワ(1966年ー2011年)は、チェルノブイリ原発事故の惨事によって亡くなったウクライナ(旧ウクライナ・ソ連社会主義共和国)の人々への哀悼の意をロシア国民としてではなく、ともにある民族として表したのだろう。イラ/イリナは、故障したエレベーターを背に「まったく現代の技術なんて…」と、現代が作り出した核の存在(脅威)に嘆く。
*追記
本作のベースとなる老女連続殺人事件(ポーラン事件)が起きたのは、1984年から1987年の間であるが、本作はそれを、ソ連崩壊(15の民族共和国への解体)を挟んだ、1990年から1992年の間に起きた事件として設定されている。
監督 クレール・ドゥニ
製作 1994年(フランス)
*参考文献
『世界各国史20 ポーランド・ウクライナ・バルト史』山川出版社