ばあちゃん新聞で学んだことと思考の変化
うきはの宝株式会社が発行する「ばあちゃん新聞」に関わらせていただき始めて約1年が経ちます。
この1年間はあっという間でしたが、「ばあちゃん新聞」に関わることで大きな学びや考え方の変化があったので、ここではそのことについて書きます。
ちなみに、自分がばあちゃん新聞で担当してきたことはこの辺りで説明しています。
学んだこと
ばあちゃん新聞を通じて、ばあちゃんやじいちゃんとの会話が生まれたことや、ばあちゃん新聞に書いてあること読むことでたくさんのことを学びました。
幸せは価値観の問題
ばあちゃんたちが生きてきた昔の時代は、現代みたいにエンタメも少なければ、贅沢もできない生活だったが、それでも幸せはあったと聞きます。
結局は、生きている時代で社会の常識が変わるので、その時代に適した価値観を育むことが大事だと学びました。
人生が上手くいく方法は存在しない。
とりあえず「真面目に生きる」ことを心がけること。
人生にはいろいろな困難がつきものだけど、それをすべて避ける方法など存在しないということをばあちゃんたちの年代になると気づいているように感じました。
強いて言うなら、「真面目に生きる」ことで、困難に直面したときでもきっと誰かが助けてくれるということを学びました。
子供や孫とのコミュニケーションが生きがい
ばあちゃんたちは、自分の子供や孫が頑張っていることを知ったり、会いに来てくれたりした時に、日常において一番いい笑顔を見せるということを感じました。
だけど、「子供や孫に迷惑をかけたくない」という思いも同時に持っているようで、ばあちゃん同士での会話で「うちの孫は全然会いに来てくれん。やけどその分、仕事とか頑張りよるとやろうから、会いに来てとは言いきらんばい」といった会話をよく聞きました。
昔からの友達はもう増やせない
個人的にはこの学びが一番の衝撃でした。
当たり前なのですが、歳を重るほど友達の死が増え、生き残った側はだんだん孤独になっていきます。
私の祖父は86歳ですが、「昔の友だちはみんな死んでしもて、思い出話しをする人がおらん」ということをよく寂しそうに話しています。
老人クラブのようなコミュニティにも参加しており、いまでも新たな友達ができる祖父のこの言葉には重みを感じています。
後期高齢者医療の実態
高齢者の方々が病院に行っている頻度の高さに驚きました。
今までは「病気や怪我をした人が病院に通う」ものと思っていましたが、高齢者は「病気や怪我がないかを調べてもらうために病院に行ってみる」という場合も結構あるような印象を受けました。
ただし、これは批判という訳ではなく、ばあちゃん達が病気を未然に予防するだけでなく、不安を取り除くという精神的な面でとても大事なことだという風に感じています。(病院の先生から「なんの問題もありません」と言われた後のじいちゃんの急激なメンタル回復には毎回驚かされます笑)
生きがいの大切さ
「明日は目が覚めませんようにと毎日で願いながら布団に入り、翌朝に目が覚めてがっかりする」と口にするじいちゃんとの出会いがありました。
そのじいちゃんは毎日、散歩や筋トレをしたり好きなテレビをみて暮らしており、私の目からは幸せそうに見えましたが、じいちゃん的には「財産を食いつぶしながら、ただただ生きているだけ」の状態であると言っていました。
ストレスがない生活も大事だけど、生きがいがあることもとても大切だということを改めて学びました。
誰かが面倒を見ないといけない
(偉そうな言い方をしてすみません)
最近まで知らなかったのですが、高齢者向けのサービスや医療の説明を受ける時は、ほぼ必ず保護者の同席が求められます。(この保護者とは娘や孫が多いです)
高齢になると認知や判断能力が下がり、説明を正しく理解できないことや忘れてしまう可能性が高いため、保護者が一緒に説明を聞くという社会であることを知りました。
とてもいい制度である一方、息子世代や孫世代の誰かが犠牲になるので、それを負担に感じている保護者も多いようです。
免許返納の影響は大きい
これは自分のじいちゃんとばあちゃんでの事例しかありませんが、免許返納をしてから明らかにネガティブ思考になったように感じます。
2人とも返納すること自体に大きな抵抗があったようには感じませんでしたが、返納以後は「今後はできないことが増える」のような発言が増えました。
また、移動が不便になった影響で自宅に引きこもりがちになっていることも感じました。
考えが変わったこと
これらの学びを通じて、様々なことの考え方が大きく変わりました。
そしてそれは、自分の人生を幸せにする大きなヒントになっていると感じています。
常識や当たり前は余裕で変わる
いま自分が持っている常識はあくまでも現代の常識であり、これは大きく変わる可能性がある。なので、社会の変容に合わせて自分が持つ常識も変容するスタンスが大事と考えるようになりました。
現代でも、パワハラやモラハラなどの○○ハラスメントという少し前までなかった常識がいつのまにか生まれ、この社会変容に対応できなかった人は社会的に死ぬ可能性が高いということは実際に起きているなと感じました。
賛否両論ありますが、社会が変わるのは、社会を作る若い世代にそう言った政策や教育をした大人たちに責任があり、大人たちが若い世代にあわせて変容することが必要なのかなと考えるようになりました。
例をあげると、髪が明るい人が接客するべきではないという大人たちの意見が多いけど、実際子どもたちに多様性が大事と教育したのも大人たちだな〜みたいなことです。
挑戦しては諦めてを繰り返すしかない
ばあちゃん達の多くは「挑戦も諦めも大事」と言います。
最初はなに言ってんだと思っていましたが、話を深く掘り下げていくと、
「"自分がこうなりたいから今これをすればいい"というのが分かる人間なんて見たことない」
「成功しているように見える人はあくまでも結果論で、たくさん挑戦してたら、なにかが成功しただけ」
というニュアンスのことを言っているんだなと受け止めました。
これも実際にそうだなと感じており、すごく大きな例えをすると、”社会は少子化が続くとヤバいとみんなわかってるのに、みんなどうすればいいかまではわかってない”ということも同じだなと感じています。
利他的な行動が幸せへの近道
「人様の役に立つことをしなさい」
ばあちゃんたちのこの言葉は、そうしていれば神様が救ってくれるとか報われるとかの意味ではなく、"人の役に立つこと自体が自分の喜びになる"という意味だと教わりました。
お金持ちになる。いい学校に行く。会社で出世する。など、なんとなく幸せになるだろうなという出来事は想像できますが、わざわざそんなことしなくても誰かの役に立てばそれだけで幸せという風に考えるようになりました。
実際に昨年、久留米市田主丸やうきは市を襲った豪雨災害のボランティアに参加しましたが、自分を含め周りの参加者たちの"みんなで乗り越えよう"といった雰囲気はとても居心地が良く「こんな世界で生きていたい」と思うような空気感でした。
(ちなみに災害は絶対に起きない方が良いです。不謹慎な発言だったらすみません)
【番外編】偉大なるじいちゃん
ばあちゃん新聞を通じて、ばあちゃんやじいちゃんとのコミュニケーションが増えたり、ばあちゃんやじいちゃんと一緒に仕事をする(連載コーナーのインタビューなど)ことがきっかけで起きた"ある出来事"で、じいちゃんの偉大さに気づいた出来事がありました。
自分は、幼い頃に両親が離婚し、母親に引き取られました。
後に母親は再婚し、今は自分には新しい父親がいます。
様々な家庭環境がありますが、自分の場合は母親が僕自身の意見を尊重してくれたため、実の父の連絡先を教えてもらうことができ、不定期ですが会うこともできています。
とはいえ、離婚した経緯や誰が悪いみたいなは話をしたことはなく、知らなくていいコトかなと思ってます。
実際に自分が知る実の父は、立派な人間で尊敬もしています。
実の父から連絡が来るタイミングは、サッカー日本代表戦の後に試合の感想を語るLINEが来ることが多く、いつも不思議で楽しい感覚でした。
そんな中、サッカー日本代表戦とは関係ない日にLINEが届きました。
個人的に、自分がばあちゃん新聞に関わって一番感情が高ぶった瞬間でした。
本来、物心が付く前に両親が離婚していたら、子供は「自分の血がつながった実の親がとても悪い人だったらどうしよう」という不安は一生持ち続けるはずです。
そして、その真相を聞く勇気はなかなか持てません。(離婚という事実だけでストーリーを推測すると、あまり知らないほうが良い気がするから)
小さい頃はそれを理由に「生まれてこないほうが良かったのかな?」とか考えることもありましたが、このメッセージを見て、そんな考えはすべてきれいに吹き飛びました。
「じいちゃんから自分の存在を感謝されている」
「離婚したことで娘を傷つけ、実の父を恨んでいてもおかしくないじいちゃん(母の父)が、実の父に感謝している」
これだけで十分です。
離婚の理由や実の父の人間性など知る必要はありません。
この感情を得たことは、29年間生きてきた中で過去最高に自己肯定感が育まれたような気がします。
様々な家庭環境がある中で、これができるじいちゃんって中々いないような気もするし、そんな偉大なじいちゃんの孫であることを僕は心から誇りに思います。
大きな背中を見せてくれてありがとう、じいちゃん。
そして僕をこの世に誕生させてくれてありがとう、お父さん。
まとめ
この1年間で自分でもビビるくらい考え方が変わりました。(変わるというか、他の意見を受け入れれるようになったという表現が正しいかも)
考え方が変わったことで、自分の生活に影響していることもいくつかあります。
子供を生徒数が少ない学校に通わせるメリットはないと考えていましたが、同級生の数が少ないことは他の学年とコミュニケーションを取る機会が増えるため、多様な価値観を育むにはとてもいいのでは?と考えるようになった。
ばあちゃんと話すということはめちゃめちゃ意義がある。そして、それは歴史学を勉強することと似てるなと思うようになり、いまは世界史や日本史の勉強をしている。
ばあちゃんやじいちゃんは意外とお金がかかる。年金だけでは生きていけない。ということ実感し、少子化問題は子供を増やすだけでなく、少子化でも持続できる社会づくりに目を向ける必要があると考えるようになった。
これはまさにうきはの宝株式会社が実践していることでもあり、事業を通じてばあちゃんたちの収入を作るだけでなく、多くの方にこの問題提起をしているという意味でもめちゃめちゃソーシャルグッドだなと感じています。
以上、「ばあちゃん新聞」に関わることで得た学びや考え方の変化でした。
そんな「ばあちゃん新聞」をまだ購読されてない場合は、ぜひこちらから購読してみてください▼
そしてこれからさらに「ばあちゃん新聞」Web版の登場や、クラウドファンディングの挑戦などのパワーアップを行うと聞いていますので、ぜひ今後もご支援・応援をよろしくお願いします。
あと、ばあちゃん新聞を発行するうきはの宝株式会社では、事業を引っ張るNo2的人材を探しているそうです。
X(旧Twitter)やFacebookにて、社長の大熊さんが情報発信をされているので、興味ある方はぜひ覗いてみてください。
https://x.com/mitsuru_ookuma
https://www.facebook.com/mitsuru.ookuma?locale=ja_JP
ついでに
ばあちゃんと話すことで、歴史学を学ぶことと似ていると紹介しましたが、自分が特におすすめしたい学習コンテンツを紹介します。
サピエンス全史(本)
人間はあくまでもホモ・サピエンスという種類の動物であり、そんなホモ・サピエンスにはどんな特徴があり、どうやって生存してきたかというのが学べます。
本を読みながら、「本質で理解するとばあちゃん達の言ってることと同じやん」みたいな箇所がたくさんあり、人間について深く知ることができます。
コテンラジオ
歴史を学べるポッドキャストです。
歴史を学べると言っても、学校で学習するような暗記方式ではなく、ファクトとストーリーを分解して話しているので、人間の傾向や多様な価値観を育むことができます。
ポッドキャスト(ウェブラジオ)なので、目での認知を伴わず、運転や掃除などの作業をしながら聞けちゃいます。
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