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103: 未知からの誘惑

宇宙暦は41209.2。

原題は「The Naked Now」。「naked」は「裸の, むき出しの」といった意味が一般的だが「あからさまな, 露骨な」「無力の, 無防備の」といった意味もあり、とにかく覆い隠すものがない状態を指す語である。

ツィオルコフスキー

最初に酔っぱらい病の犠牲となった調査船の名を「S.S.ツィオルコフスキー」という。ツィオルコフスキーはロシア帝国時代の物理学者でロケットの研究をおこない、のちに「宇宙旅行の父」と呼ばれることになった。このように艦船の名前ひとつにもちょっとした意味があり、その由来と登場した場面との関連性に思いを巡らせるのも楽しい。

ちなみに船名の先頭の「S.S.」は「Star Ship」の略だと考えられる。エンタープライズ号の頭についている「USS」は正式には「United Federation of Planets Star Ship」ということだが、これから後のエピソードで他の艦船などと通信する際にピカード艦長は「United Federation Star Ship, Enterprise」と名乗ることが多い。

TOS由来のエピソード?

このエピソードは3話目にはなっているけれども、前回のエピソードが2話連続であったことを考えると2つ目のエピソードとみることができる。
ストーリーとしては、TOSを見ていた人はどこかに記憶のある話かもしれない。前回のエピソードでドクターマッコイがカメオ出演していたが、今回もTOSのエピソードを少しだけ思い出させてくれる話だ。しかしTOSのエピソードがはっきりと示されているわけではなく「遠い昔にそういう出来事があったはず。」という位置付けで、TOSを知らないからといって置いてけぼりをくらわされることはまったくない。昔からのスタートレックファンと新しいファンとの両方が楽しめるような作りにしてある。なんならTOSファンにとっては少々物足りないくらいの設定とも言える。

クルーの活躍

2つ目と言うことでこのエピソードはまだクルーの紹介の要素が強いようだ。本エピソードで大きくフィーチャーされているのはデータとウェスリーだろうと思う。

データ少佐はTNGの中でも特に人気の高いキャラクターである。TOSでいうところのスポックに当たるキャラだろう。両キャラクターともに感情がないという共通点がある。TOSのスポック(バルカン人)は感情を排した論理の人たろうとするが、時に感情に振り回されそうになる。一方TNGのデータはアンドロイドでそもそもにおいて感情がないが、それゆえに人間に憧れ、感情を持ちたいと切に願っている。この冷静沈着・無感情と喜怒哀楽との対比によるコミカルな場面が昔からのスタートレックのひとつの楽しさともいえる。そこにアンドロイドゆえの常識はずれさも加えたのがデータというキャラクターで、本エピソード中でもその超人?ぶりが遺憾無く発揮されている。

データを演じているのはBrent Spiner(ブレント・スパイナー)。他の映画にもちょいちょい出ているようで、私の記憶では「アイ・アム・サム」の靴屋の店員役、「インディペンデンス・デイ」「ロスト・ワールド」の研究室の博士役がこのBrent Spinerだったように思う。しかしほとんどが端役で、このデータ少佐役が本国アメリカでも定着しすぎているようである。

ウェスリー・クラッシャーはドクターのひとり息子で天才的な才能を持ち、本エピソードでもその才能の一端を見せている。第3シーズンで18歳になっているのでこのシーズンでは16歳くらいか。まだクルーとしては認められていないが、今後活躍しそうな予感をさせている。

ウェスリーを演じているのはWil Wheaton(ウィル・ウィートン)
1972年生まれということなので私と同年代くらいで、90年代にTNGをTVで観ていた当時は私自身このウェスリーの目線に近い感じで観ていたのかなと思ったりする。ウェスリーと同じくピカード艦長を理想の父親像としていたようにも思う。
父親となってしまった現在でも、私にとってピカード艦長は憧れであることには違いないが、自分がああいう風にあることはもはや到底叶わぬ宇宙の夢である。

それはさておき、Wil Wheatonは子役としてあの超有名青春映画「スタンド・バイ・ミー」に出演していたことにお気づきの方もいらっしゃるかと思う。リバー・フェニックス演じるクリスの親友ゴーディ役である。「スタンド・バイ・ミー」公開翌年にはこのTNG出演とのことだが、ゴーディよりもウェスリーの方が随分と青年に見える。とても1〜2年の違いには見えないから、洋の東西を問わず13歳から15歳といった思春期の子どもの成長は著しいものであることを、理想像から遠く離れてしまった父としては再確認せずにはおれない。

TNGのコメディ的要素

TNGの魅力のひとつとしてお話ししておきたいのが、このドラマにおけるコメディの要素についてである。笑えるといっても日本のお笑い的なバカバカしさではなく、多分にアメリカ的なウィットに富んだというか、ちょっとクスッとくるやつの話だ。


このエピソード中のコメディ的な部分で秀逸なのはやはりビバリーと艦長の絡みだ。

前回でクラッシャー一家との微妙な関係(ピカードの艦長としての前任艦での副長を務めたのがビバリーの夫のクラッシャー。彼は任務の中で殉職した。)が明かされていたが、どうやらビバリーはピカードに好意を抱いていたらしく、酔っぱらい病に感染してわざわざブリッジまで誘惑しに行っている。そのシーンの二人の会話は日本語の吹き替えでは、ビバリーの方は少し切羽詰まった切なさを感じさせ、ピカードの方は艦長としての威厳を堪えながらもなんとか保つ、といった雰囲気になっている。

しかし原語の英語音声で俳優本人の演技で見てみると、ビバリーは艶かしくセクシーにハッキリと誘惑しようとしており、ピカードはなんとか艦長として抑えようとするが、所々で欲望が漏れ出ているような台詞回しになっていることがわかる。
特に艦長室の出入口でビバリーは

I haven’t had the comfort of a husband, a man…
吹き替え「男から与えられる喜びを…ずっと…」
字幕「男として慰めて…」

なんて直接的な言葉を投げかけている。それに対してピカードは

Not Now, doctor. Please…

と懇願している。吹き替えではこの返答が「今はダメだ。」となっていて懇願口調が生かされていなくて残念だ。台詞回しも本人はボリュームを少し抑えた囁きに近い、いかにも溢れ出しそうな本心を必死で抑えている風の話し方をしているが、吹き替えでは結構あっさりとハッキリした調子で威厳を保ったような話し方になっている。

ピカード役のPatrick Stewartの演技は、舞台人らしくわかりやすいコミカル調で、この後の治療薬開発の進捗を医療室に尋ねにいくシーンではピカードはウキウキする気持ちを抑えられず、思わずスキップしてしまうといった演出がとられているが、これも舞台的な演出だなぁと思ってしまう。
ビバリー役のGates McFaddenは、艦長室のシーンでも酔っぱらい病によるパッションの噴出を必死で抑えようとする感じをより自然に演じている。私は特にGates McFaddenの演技力には感嘆していて、視線の持って行き方や表情がとにかく素晴らしくて惹き込まれることが多い。ここでも先ほどの会話シーンの視線の泳ぎ方がすごく自然だ。最後にターボリフトに乗って去るところまで素晴らしい演技を見せている。この人、役柄にすごく入り込めるというか、ほぼ憑依するんじゃないだろうか。

エピソードタイトル考

私はいつもみ始める前にそのエピソードのタイトルを見てぼんやりと内容を考えてみる。考えてみるといってもタイトルで内容の詳細を予測することは不可能なので、なんとなくの雰囲気を掴もうとしてみる。
そして見終わった後にもう一度タイトルを思い出して、そのタイトルに込められた意味を改めて考えてみるのをひとつの楽しみにしている。

酔っぱらい病によってクルーがどんどん欲望をあらわにしていき、エンタープライズが無防備にさらされていく中で迫り来る危機。そして危機を脱出するために明らかにされるクルーの能力。原題の「The Naked Now」はこのエピソードの内容を深く抽象的に表現しているものと言える。
対して邦題は「未知からの」というのがもうひとつ意味的によくわからず、取って付けた感が強いと思うのは私だけだろうか。「誘惑」に関してはクルーの感染の状態はよく表していると言える。

もっとも艦長の最後のセリフに、誘惑にさえ打ち勝てば全員立派なクルーだ、というものがあったので、「誘惑」という言葉が一つのキーワードであることは間違いない。しかしながら個人的には原題の「The Naked Now」を念頭に置いて観た方が、観終わった後の余韻がすぅっと広がるような気がしている。

また次回。Engage!

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