決めることの多さ、半端ない
自分のことだけでも
たくさん決めることがあるのに、
子どもがいると
もっと、
決めないといけないことが増えますよね。
まず、妊娠がわかったら、
どんな環境で妊婦生活を過ごそうか?
生まれる前にはどんな寝具を用意しようか、
肌着は?おしめは?母乳?ミルク?
哺乳瓶は?
あー、大切な名前も決めないと。
生まれたら、
ミルクは少な過ぎじゃない?
寝すぎじゃない?起こすべき?
お宮参りには行く?どこ?
何を着て行く?
写真はプロ?自分たちで?
保育園には預ける?
教育の環境は?
発達はちゃんとしている?
専門家に診てもらった方がいいかも?
お金は?
仕事は?
それからもずーーーっと
子どもがある程度大人になるまで続きます。
もちろん、子どもにも意思があります。
好き・嫌いや、生まれつきの向き・不向きも。
でも、大きな決断はまだ難しいので、
親が代わりに決めることが多々。
楽しい選択もあれば、
辛い決断もあったり。
自分のことであれば、
ある程度、
その決断の波紋がどんなモノであっても
対処するのは自分でありますが、
でも、子どもに関することは、
子どもの人生であるわけで。
子どものことを大切に思えば思うほど、
真剣に考えてしまうこともあるのではないでしょうか。
「もっと簡単に決められたらいいのに・・・」
「未来が見えたら楽なのに・・・」
なんて思ったことはありませんか?
わたしも自分のことはまだしも、
子どものことになると、
将来のことを必要以上に心配し
迷うことがたくさんありました。
この決断が、子どもの将来に
どんな影響を及ぼすんじゃないかと・・と。
でも、
親と子どもは別の人間である
子どもは、自分の”不足”している部分を
埋めたいがための存在ではない
ということを本当に理解してから、
良い意味で、
「ま、いっか」
「全ては完璧」
と思えるようになりました。
。。。。。。。。
わたしの場合は、米国在住なので、
子どもに日米両方のカルチャーと言語などを、
しっかり身につけて欲しい、というエゴがありました。
きっと、ある人は、
スポーツが出来る子になって欲しい
将来は医者になって欲しい
人の上に立てる人になって欲しい・・・
などなど、あると思います。
わたしは、英語にはちょっとしたコンプレックスがあり、
英語の勉強は大好きでしたが、
今でも苦労することがあります。
なので、子ども達には、両方の言語だけではなく
それに伴うカルチャーも身のこなしもスマートに・・・
なんて、勝手に、自分ができないこと(不足していること)を
子ども達に託していたんですね。
おまけに子ども達の個性と才能を
完全に無視した形で学ばせようとし、
目の前の子どもをよく見ておらず・・・。
その結果、
目の前の子どもは、苦しんでいました。
全然、ハッピーではありませんでした。
可哀想なことをしてしまったと
猛反省しました。
子どもは、ママやパパのことが大好きなのです。
だから一生懸命それに応えようと頑張るのです。
知り合いのお子さんも、
ママが望んでいることを一生懸命にやっていたが為に、
震えたり突然逃げ出したり・・・
そんな気になる行動が出ていました。
でも、そのママが、
「あ、この子は自分の心を偽って、
わたしが望んでいるが為にやっているんだ」
と、気づき、
やっていたことを辞めた時に、
子どもさんの気になる行動は止まりました。
。。。。。
親から見える選択肢にプラス、
親の希望や願望
といったメガネを付けて、子ども達を見ていませんか?
子ども本人の意思は?
本人の能力は?
適性は?
。。。。。
自分の呼吸を整え、
目の前のお子さんの呼吸も観察すること。
そして、
「子どものことを思って」の裏に、
「子どもを支配したい」気持ちがないか
「自分の”不足”している部分を埋めたい」気持ちがないか
を確認する必要があるということ。
そういう経験でした。
結局、『お手上げ』で手を放すと、
すんなりうまく行くものです。
⭐︎全ては完璧⭐︎
*こういうお仕事もしています*
自分に向き合うお手伝い。
ここまで読んでくださりありがとうございました。