「蒸羊羹」と「煉(練)羊羹」
一般的に「羊羹」とは、小豆を主体とした餡を型(羊羹舟)に流し込んで寒天で固めたもの(煉(練)羊羹の場合)のことを指しています。
しかし、羊羹の主流は長年、葛粉や小麦粉などの澱粉質を使用し、寒天以外をつなぎとして蒸して固めて作るタイプでした。
これは現在主流の煉(練)羊羹の作り方とは異なります。
蒸羊羹とは
見た目は煉(煉)羊羹と同じく棹状のものが多いのですが、寒天で固めていないため、光沢や艶感がなく、一般的には煉羊羹よりも糖分(甘さ)は控えめで素朴な味が楽しめます。
種類によっては、サッパリとしたものから、モチモチとした食感をもつものまであります。
蒸し羊羹の作り方
代表的な製造法は、葛粉(片栗粉)、小麦粉等を餡(砂糖)に混ぜて捏ね、その後蒸し固めます。
蒸羊羮の一種である「外郎」には、米粉や蕨粉等を使用し、中に餡を入れたものもあります。
蒸羊羹は、製造過程で水分が増加するため、保存が難しく、煉(練)羊羹と比べて賞味期限が大幅に短いことが特徴です。
生菓子に限りなく近く、未開封で1週間から10日ほ程度が限界です。
丁稚羊羹とは
蒸羊羹の銘柄のひとつである「丁稚羊羹」は、現在でも土産物として人気の高い羊羹ですが、煉(練)羊羹の出現により、従来からある伝統的な蒸羊羹が安価な商品として見なされた時代に人気の土産物として名を馳せました。
西日本、特に近畿地方で主に見られる安価な羊羹で、餡や砂糖の量を減らし、小豆の『出汁』から作る水羊羹状の羊羹です。
この『出汁』と同じ菓子業界の用語の、材料を捏ね合わせる(練る)作業を表す『でっちる』という言葉の音や意味が重なり、高級な煉(練)羊羹の“上り羊羹”に対して、安易な製造工程の“下もの羊羹”として低いランクの菓子との受け止められ方が、商人としては半人前である“丁稚”に近く、また「安価な為に丁稚が里帰りの時に土産に出来る」とのことからも“丁稚”の意味が重なったとの説が、名前の由来としては有力です。
これらの事は、水羊羹の項でも述べますが、こうして餡を薄めたり麦などの混ぜものを加えた蒸羊羹を「丁稚羊羹」と呼んで軽視したのです。
後に駄菓子屋などにも並ぶ芋羊羹も蒸羊羹の一種ですが、元は料理品目の一つでした。
蒸羊羹の歴史
全国の多くの地域では長い間、羊羹とは蒸羊羹のことであると認識されていました。
『丁稚羊羹』は特に、丁稚さんが帰省した時に「そのまま食べては勿体無い」と一度水に溶いて何倍にも薄めて量を増やして固め直した後に、それを食したとの話が伝わっていて、この逸話が後述の水羊羹との関係性を示しています。
また、一部地域では『丁稚羊羹』が里帰りの土産の代表格であったことから、この羊羹が正月菓子の代表格となったと推測されています。
しかし、江戸時代後期には、日本橋本町の菓子舗“鈴木越後”(明治維新後に廃業)が蒸羊羹を製造・販売し、その品質の高さが評価されていました。
この史実は、天保7年(1836年)に刊行された、江戸時代後期の医師で狂詩作者である木下梅庵の詩集『江戸名物詩』によって裏付けられています。
尚、狂詩は滑稽で洒脱を旨とした漢詩体の詩のこと。
現在では特に煉(練)羊羹と蒸羊羹の間に優劣は認められておらず、その製法の違いはあるにせよ、味の好みは様々であり、加える材料や混ぜ物によっては蒸羊羹の方が秀でた風味を示すものも多く、羊羹としての優劣の差は特にありません。
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