既存ルールに挑む
東大の入学式祝辞が話題になっている。
認定NPO法人ウィメンズ アクション ネットワーク理事長であり社会学者の上野千鶴子先生によって読まれた祝辞。
私も全文目を通してみた。
上野先生の立場や活動を踏まえてもいろんな意見があると思うけれど、単純に平成の終わりにこの文章が祝辞として読まれた事実に時代の変化を感じ、正直にとても嬉しい。
この文章を信じて、私は今年一年頑張れると思っている。
ジェンダー論や差別について語ろうとすると、実体験やら聞いた話やらいろいろ踏まえて、言いたいことがありすぎてまとまらない。
でもたったひとつだけ言えることがあるとすれば、差別は、ほとんどの場合悪意がなく、無知と想像力の欠如によってもたらされる。そして差別する側もされる側も、本当の目的を見失っている。
未だにコミュニティの中や、会社の中で、謎の差別や価値観の押し付けを受けることがある。私の場合だと主語はこんな感じ。
女性の総合営業職、女性の海外駐在、女性の単身赴任、女性の働き方、女性活躍、などなど。
議論どころか話を聞く時間の無駄で、人間関係に波風を立てたくないから、なんとなく話を流したい気持ちもある。
でも、ちゃんと嫌だと言わなければ、あなたの考え方はおかしいと言わなければ、きっと私の後にくる同じ立場のひとたちは同じ経験をする。
第2、第3の私が悔しい思いをするかもしれないと思うと、こんなことは今日で、私だけで終わらせたいと切に願い、できるだけ穏便に言い返すようにしている。
あなたの考え方にもう当てはまらない人たちが出てきていますよ、成功し始めていますよって。
当たり前だけれど、既存のルールはその中のマジョリティを想定して出来ている。
マイノリティが後発で参入する場合、まずそのルールの「当たり前」にぶつかる。
既存のルールにマイノリティが合わせることで多様化を目指すと、マイノリティの中でも耐えられる人しか残らない。
その後、耐えた人たちは、耐えられない人をまた差別し始めるのだ。
私にとって身近な例だと、バリキャリ総合職の女性幹部が、派遣の女性に努力が足りないとか怠けているとか言うことがあった。
幹部の女性は確かに非常に優秀で、その地位に登りつめるまで想像を絶する努力をしてきただろう。
ただ、同じことができない人が怠けているというわけではない。人にはそれぞれ事情があり、考え方も状況も違う、ただそれだけだ。
このケースの場合、性別のカテゴリでは職場の多様化が進んでいると言えるが、根幹の部分で多様化を受け入れてるとは言えない。
多様化を目指すなら、既存のルールに挑もう。
ここでいうルールは規則や環境だけでなく、固定観念とか常識とされている考え方なども含む。
やりづらいけれど惰性で残っている時代遅れなルールを変える努力をする方が、全員にとってずっといい結果になる。
本来、誰もが皆「自分がもっと良くなるように」生きていて、誰かを差別し、虐げずとも、ルールを変えれば達成できることは、今までの歴史が証明してくれている。
時代も社会も確かに変わってきている。
祝辞の中で述べられている通り、努力がいつも報われるわけではなく、環境や運の影響も大きい。どれだけ能力があっても公正に扱われる方が少ない。
でも、今なら10年前変えられなかったことが変わるかもしれない。
そんな希望をもって2019年度と新しい令和の時代を迎えられることがとても幸せだ。