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「今」の自分にすべてを預けて記事を書いてみたけど。

記事を書いている。
毎日パソコンやスマホに向き合って文章を生み出し続けている。

別に仕事だからやらなきゃいけないとか、誰かに押し付けられてやっているわけではない。

自分の意志で「書こう!」と思ってやっている。

いや、正確には自分の意志に頼ろうとするのではなく、半自動的に記事を書いていけるような「仕組み」の中に身を置いている。その方がうまくいくから。実際、ここまでは順調だ。

なので、「かこう!」などという気持ちが浮かんでくる前に、歯車がギーっと動き出すかのように、執筆作業がはじまり、終わっていく。

歯車チックに進んでいるのでモチベーションだとか、やる気だとか、そういった余計なものも発生しない。

というか、発生させてしまうと歯車が止まってしまうので、これらも仕組みによって強制的に排除するようにした。

そうなるといい感じに進めることができる。書いては消して、書いては消しての試行錯誤の中で見つけ出した今のところ最後の砦とも言える方法。

人間味がない!と言われるかも知れないが、意外とこんな自分が気に入っている。感情マシマシの文章を書くのに、あえて自分の意志を持って書かないという構造も面白い。

というわけでおかげさまで、今の所毎日更新ができている。
あれ、さっきも同じことを言った気がする。まあいいか。

では、今日は何について話すのか。

「実はまだ何を書くのかも決めていないまま書いている」
といったら本コラムを読んでくれているあなたはどう思うだろうか?

「何をいってるんだこいつ?」と呆れられてもしょうがないと思う。

明らかに「普通じゃねえ」と引きたくなる気持ちはわからなくもないけれどちょっと待ってほしい。

この記事は僕の中でひとつの新しい試みとして書いているんだ。
今まで引きこもっていたホームから飛び出して旅に出たんだ。
そんな気分。

頭の中で考えていることをノータイムで文字にしていき、記事を完成させる、究極の即興執筆。正直どう着地するかは今の僕にはわからない。

けれど、とりあえずやってみる。

こういった自由度が高いのがNoteのいいところだ。
気軽に書き方のスタイルを変えることができる。

ブランディングを目的としたブログだとなかなかこうはいかない。

とはいえ、まともな思考を持っているのであればまあ、まずやらないことだろう。でも、僕はまともな人ではないので、やってしまうのである。

そもそも「普通」って何なんじゃい!

そんなもんはとっくに地元に捨ててきた。
たぶん、家の近くの森の中で眠っているに違いない。

もう、一生出会うことはないと思う。

閑話休題。

即興執筆について話している最中だった。
考えてみれば、文字にかかわるメインの3つの動作、

「聞く」「書く」「話す」の中で一番スピードが遅いのが「書く」だ。

鉛筆やシャーペンでアナログチックにかくにせよ、今僕がやっているようにパソコンでタイピングをしながら、あるいはスマホでフリック入力しながら書くにせよ、他の二つの動作と比べて圧倒的に遅い。

だから、一般的な人の場合、「聞く」と「話す」はほとんど同時にできたとしても、ある程度のスピードで聞いたものをそのままのスピードで書いたり、話しながらタイピングなどをして文字に起こしたりというのはほとんど不可能なのだ。

「一般的に」という言葉を使ったのは、稀に能力の枠を超えてものすごいタイピング速度で両立を可能にする人がいるからだ。

音声認識もびっくりのスピードで話を途中で止めることなく文字に起こしていく。その手際はまさに職人。「話すように書く」とはまさにこのことである。

そんな、即興執筆ができるようになりたいなあというのが、もっぱらの僕の関心ごとだ。

ここまでほとんど無意識で手を動かしてきたけれど、読んでくれているあなたはどう感じているだろうか?

普通に記事を読むのと何か違うのかな?
これは読んでくれているあなたにしかわからないことだ。

でも、一つだけわかる。
きっと、ここまで読んでくれているあなたは相当な物好きだと思う。

だからこそ、僕も自分を隠すことなく出せている。

というか、ノータイムで書いている以上、どうやっても自分を取り繕う暇などなく、どうにかして自分を捻り出しながら書いている。

そうか、普通に記事を書こうとすると書いている最中に余計なことも考えてしまうけれど、あらかじめ「アドリブ」を前提にしておけば、自動思考をある程度抑えられて、自分の感情もりもりで出せるのか。

今まで、そんなことも考えもしなかった。

記事を書く以上は、ある程度しっかりした形に整えて、読んでくれている人が読みやすいように工夫しなきゃと思い込んでいた。

その思い込みが強く行動を制限していたのかも知れない。

ほら、ちょっと上手くいって気を抜くとこんな感じで何かしら考えて真面目な雰囲気になってしまう。

違うんだ!本当はもっとおちゃらけた人間なんだ。僕は。
帰り道にふらっとコンビニに寄って唐揚げ棒は買ってしまうし、

感動系のアニメじゃないただのコメディなのに、変なところで感動して泣いてしまうこともあるし、

新陳代謝が良すぎるせいか、辛いものを食べたときにはなぜか汗みたいに水分が体から出ていってしまう。

しかも首から上の顔全体からだけ。洪水よりひどい。

今でこそ、ワサビを普通に食べるくらいはできるようになったし、カレーも中辛くらいなら食べられるようにはなったけれど、それでもこの謎の水分放出は止まらない。

だから、僕は他の人とご飯に食べにいくのが苦手なんだよなあ。
ご飯に行くときにはタオルを持っていって対策するようにした。

トラブルが起きたらなるべく早く原因を見つけて対策している。
そして、何とか一つずつ改善してまた少し幸せになる。これの繰り返し。

僕は毎日、僕を作り替えている。

手を替え品を替え、生きていく。


「なんとかする力」をつけること。

生きているだけでいろんなトラブルが起こるフリーランスとして生きていくために、僕が大事にしていることの一つだ。

僕の憧れである将棋の羽生さんも同じようなことを言っていた。
その受け売りだ。

とここまでばーっと頭の中を開示してきた。

端的な感想としては、「意外といけそう」だと結構ポジティブに感じている。むしろ、もう少し感情を出し切ってもいいかもしれないな。

そもそも、この「書く」という行為、ひいては1記事1記事書き方を変えるという取り組みは複数の角度から自分を捉えなおすためにやっていることだ。

例えば、今回なら、思ったよりアドリブでも「なんとかなる」自分に出会うことができた。

いや、今に始まったことじゃない。過去自分もいろんなことに挑戦しては、なんとか乗り切っていたじゃないか。

中学の定期テストでは、2年生後半 ~ 3年生の間ずっと
450/500以上をとり続け1位だった。
高校では、「袴を着るのがかっこいい」という理由で弓道を始め、
3年生ではチームで県大会にまで出場した。

大学受験は、第一志望こそ落ちてしまったものの、ストレートで私大に合格。大学では社交ダンス部に入り、並々ならぬトレーニングをした、。

他にも、小さな挑戦だったとしても「なんとかして」きた。

僕だけじゃない。きっと、他の人も同じように気づいていない自分がたくさんいるんじゃないかと思う。いや、必ずいる。その自分に会うことができればあなたの「なんとかする力」は必ず育っていく。

普段の忙しい社会やストレスに押し込められて
見えていないだけだ。みんなはやく生きすぎなんだ。

かけっこでいちばんをとろうとしすぎて、カメラを回してくれているおとうさん、おかあさんにも気づかないあなたの足に引っかかってころんだ子に気づいていない。なにやってるんだ。勝つことなんてどうでもいいじゃないか。一番なんか放っておいて助けに行かなきゃ。

速く生きようとしすぎると、自分のことしか見えなくなり本当に大切なことに気づくことができなくなるんだ。似たような場面がSNSやYoutubeを見れば至る所で広がっている。

一度、立ち止まってみよう。一度スピードを落として、自分を見直す時間を1日の中に作ってみるんだ。そのための文章。

お、冒頭に繋がってきた。いい感じだ。

もし自分だけで不安の場合は他の人と一緒にやってみてもいい。
僕も、今毎日文章を書くのはSNS経由で知り合った他の人とやっている。

顔も、仕事も、今までの生き方も知らない人と、
文章を書くという行為だけで繋がっている。

こういう役割もある。だから面白い。
僕個人のDMに連絡をくれるのも大歓迎だ。

「一緒に文章書きませんか?」
これだけでいい。お誘い待ってます。

ここまでほとんどノンストップ。
いや〜、書いた書いた。

いつの間にか普通に考えて書くのと同じくらいの分量になっていました。
本当はコラムとしてマガジンに載せるつもりだったんですが、長めなので、通常の投稿にします。

読んでくれたあなたに、本当に感謝してます。
こんな風に突然スタイルを変えて書くこともあるけど、どれも僕、タツミなので暖かく読んでもらえると嬉しいです。

それではっ!!

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語り屋タツミ
皆さんのお気持ちを、こっそり置いていっていただければ。小さな幸せ、これからも皆さんに与えます。