りおんさん書

仮面ライダーアマゾンズ 大首領の不在によるカタルシスの不足(ネタばれあり注意)

 仮面ライダーといえば等身大変身ヒーローの草分け的存在で、日本人ならまず知らぬものはいないであろう。TVシリーズは中断を挟みつつも第一作「仮面ライダー」放送開始から45年を数え、今季の作品「仮面ライダーエグゼイド」も人気となっている。

 昨年のことになるが、仮面ライダーアマゾンズAmazonプライムビデオ限定で配信された(配信期間はTVシリーズ前作である仮面ライダーゴースト放送期間内)。制作決定の決め手はそのタイトルだとも噂される。

 その名にある昭和ライダーのTVシリーズ第4作「仮面ライダーアマゾン」を思わせる要素はデザイン以外にほとんどなく、名前を借りながらも完全な別作品といっていい。主人公たちを含む「アマゾン(作品世界における、いわゆる「怪人」の総称)」を作り出したのは世界制服を企む悪の秘密結社などではなく野座間製薬という一企業であることや、戦うべき敵と同じ力を特殊なベルトによって制御するシステムは平成ライダーのTVシリーズを思わせる。また、平成シリーズの多くと同じように複数の仮面ライダー(作品中ではそう呼ばれることはないが、怪人としてのアマゾンと区別するために便宜上この語を使用する)アマゾンが存在し、それぞれの目的のために時に共闘し、時には殺し合う。「シリーズの中でも異色とされるアマゾンの名前を借りて、ライダーシリーズにもう一度トゲをもたらしたい」と標榜された作品は、果たして目的を達せられたか。

 この作品を正当に評価することは、少なくとも現段階では非常に困難である。続編であるセカンドシーズンの制作がどの段階で決定したかまでは把握していないが、登場人物それぞれの選択に明確な目標が設定され得ないために状況に流された感が強く、結果として「続編ありき」に思えてしまうからである。

 人肉を好んで食す、怪人としてのアマゾンを生み出してしまったことから自分なりに責任を取ろうと「全てのアマゾンを狩りつくす」ために自らアマゾンとなった鷹山仁 / 仮面ライダーアマゾンアルファの言動は彼なりに一貫してはいるものの、水澤悠 / 仮面ライダーアマゾンオメガの意志は自分自身の判断で「人間もアマゾンも関係なく守りたい者を守る」という曖昧なもので、両者は本編最終回で直接対決するものの、決着はつかず痛み分けに終わる。実験によって生まれたアマゾンであったマモル/モグラアマゾンは、当初は食人衝動がなかったこともあって同じアマゾンを狩っていたが後に食人衝動に目覚め、同じ駆除班のメンバー三崎の腕を食ってしまったことをきっかけにして大規模なアマゾン駆除作戦「トラロック」を生きのびたアマゾンたちと共に「アマゾンとして生きていく」ことを選ぶ。

 その他、アマゾンを生み出した実験の責任者で悠/アマゾンオメガの遺伝上の母親である水澤令華やその実子である美月、野座間製薬の会長や社員なども登場するが主だった登場人物はほとんど生き残り、おそらくはセカンドシーズンにほぼそのまま登場するであろうこともこの作品が単体で完成されているとは言い難い要素である。

 もちろんこの「仮面ライダーアマゾンズ」がひとつの作品として駄作だとか見るべき価値がないと言いたいわけではない。子供向けである(それは物語やドラマとしての質が悪いことと同義ではない)TVシリーズではできないことをやろうとする姿勢は理解できるし、ドローンを使った空撮など迫力のあるカメラワークや俳優さんたちの気気持ちが入った演技なども見所が多い。しかしホラー、怪奇的な要素が強いことや人を襲うだけではなく喰らうことを重要なテーマに掲げているために、万人に向けておすすめできるわけではない。

 仮面ライダーとは、などと言い出せば「お前がごときが偉そうに語るな」と怒り出す人たちもきっといるであろうが、仮面ライダーは、時代を超えてもやはりヒーローであってほしかった。ヒーローは、倒すべき敵、巨悪がいてこそ映えるものである。昭和ライダーTVシリーズにおけるショッカーの大首領のように、その一人さえ倒せば世界に平和が訪れる諸悪の根源たる悪の大首領などというものは、とうに時代遅れなのであろう。しかし倒すべき敵や主人公にとっての明確な目的の不在は視聴者に「この先どうなるんだろう?」というワクワクとした期待よりも「一体どうなってしまうのか?」という不安を起こさせる。

 現在配信されている直接の続編であるセカンドシーズンも佳境に入り、残り話数は少ない。その内容についてここで触れることはしないが、用意された設定と積み重ねてきた物語の全てが、定められた悲劇の下準備などではないことを切に願う。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集