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文章を書く人は、しょうもないイチャモンに屈してはいけない、というお話。

少し前に書いたブログネタより、引用です。


少し前の話しですが、ル=グウィンの「文体の舵をとれ」という本を読みました。

ル=グウィンの紹介はさておいて(代表作は「ゲド戦記」シリーズ)この人の、小説以外の文章は、講演をまとめた「いまファンタジーにできること」という別の作品でも読んだことがあります。

まぁなんというか、小説というか、表現活動において、非常に厳しいと言いますか、ストイックな人という印象です。
それを他者と言いますか、映画版のゲド戦記に対しての評価などにも向けられましたが、原作者としてごもっともという感じだったりもします。つまり、表現において、すごく真面目な人、全身全霊を注いで表現している、と言ってもいいかと思うのです。

先程紹介した「いまファンタジーにできること」においても、ファンタジーの世界では切っても切れない縁のものとして、人間以外の生物との交流があります。ファンタジーの世界なので、それはドラゴンかもしれないし、ホビットかもしれない。

ル=グィンの舌鋒で厳しく追求されたのは、現実世界に存在する野生動物についての表現でした。

しばし、野生動物がファンタジーで描かれる際に、その行動の是々非々が、しばしば人間の価値観で判断・表現されることがあります。
一例をあげるならば、親が犠牲になり子を助ける、というシーン、という場面で、たしかに人間社会ならば美談になるところかもしれないですが、果たして、それは野生動物の世界で「美談」として正しい表現なのかどうか。
そういったことを問いかけています。


「いまファンタジーにできること」についてはここらへんにしますが、今回の「文体の舵を取れ」は、小説等の表現についての指南書・文章教室の体裁をとっています。
ル=グィンは2018年に死去していますが、文章の中には、少し前のTwitter等のSNSで流行した「政治的正しさ(ポリティカル・コレクトネス)」についての言及などもあったりして、この時代の表現というものにすごく神経を尖らせていたというのがわかります。
(訳者の腕によるものかもしれませんが「文法警察」なんてワードも出てきて、時代を感じますね)

その中で自分が少し読んだ中で「これは!」とはっとした話がありまして。

話の前後としては、代名詞theirの使い方について、そこは正しくはheじゃないのか?という「文法警察」の指摘に対して、theirを意図的に使ったことを説明したあとで、以下のような指摘をします。

(文法警察が設定する「ルール」について)偽物であるばかりか邪悪有害だと自分自身が見なしたルールは、一貫して破るのがわたしである。内容も理由もわかった上でやっているのだ。
 そして自分の言葉でやっていることの中身とその理由を理解するーーそれこそ書き手にとって大事なことだ。

「文体の舵をとれ」ル=グウィン著、大久保ゆう訳

私自身は、文筆を生業にしているわけでもないですし、こんな場末で書いているだけなので偉そうなことを言うものでもないとも思うのですが、ブログなりなんなりで一度表に出した文章は、そういった些末な表現でのクレームで謝ってはいけない、という風に感じているんですね。逆にいえば、書く側はそれなりに内容を理解して、その覚悟で書けよ、と。

Twitterなどで簡単に書いて炎上して、炎上に便乗して、という世の中で、ありとあらゆる「表現警察」が跋扈する中、それに負けない強い意志を持つこと、誰かが傷つき腹を立てたしても、これは言わないといけない、というのが、表現の基礎であり原点なのではないかと感じました。

そういえば、昔、ブログで書いた内容で、誰かが検索で飛んできて読んで、傷ついたから謝れ、みたいなわけのわからないコメントを頂戴したことがありますが、私の回答は「そんなヘボな検索エンジンを使ってる自分を呪ってください」とか、そんな内容だったと思います。

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