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プログラマの素養

short noteに少し前に書いた話を再録。


とりあえず話のまくら

なんかネットのニュースでワンセグ付きの新規携帯電話(スマホ)が無くなった、というのを見ました。懐かしいな。
ワンセグが出始めた頃、ちょうど地デジテレビ開発の仕事をしていた頃でして、携帯電話の店にいくと、別に携帯電話でのテレビ視聴に興味がないのに「ワンセグ付きですよ!」と、しつこく付きまとわれたので「ワンセグって何?」とマウント取りの意地悪な質問をしたりしてました。

一体ワンセグって何なんでしょうね?
(テレビの送信用の周波数帯を6MHz単位で分割、それ1つのセグメントとし、アナログでは放送データの送信に12セグメント必要なところを、デジタル化かつ画質を640x480に落とすことで、1セグメント帯で放送データを送る事ができるシステムが「ワンセグ(1seg)」です。今の地デジは標準画質の場合4segです)

というわけで

最近では小学生にもプログラミング必修化とかいう流れになっているそうで。

私個人としては、小学生の教育目的としては、プログラミングという目の前の作業ではモノにならなくても

 1.自分たちが使っている電子デバイスや家電などが、プログラムというもので動いていること。
 2.CPUは「忖度」なんて器用なことをしてくれないので、良くも悪くも作ったようにしか動かない。

という2点をわかってもらえれば、教育としてはOKなんじゃないかなと思っています。
その中から、プログラマやIT人材なんてものが生まれてくるか?は別の素養が必要だと思っています。

なぜ動くのか?

自分自身の体験ですが、私自身はちょうど小学生の頃、ファミコンが世に登場した世代で、その熱狂を説明するならば、昨年の「鬼滅の刃」並の社会現象だったと思います。
そして、ファミコンという「遊び」に触れたと同時に「コンピュータ」というものが世の中に全面的に押し出されてきた瞬間でもあったわけです。

その経験をベースに、大学で情報工学に進み、プログラム書きで飯を食うことにした私なんですが、子供の頃からの友人と社会人になってから話をしたときに「どの辺りで「プログラミング」というものに興味がうまれたのか?」という会話になりました。

私の答えとしては、こんなようなものだったと思います。

「ファミコンを触った時に、ある時「ボタンを押すと中のキャラが動くのはなぜ?」と気になったのが原点」
ファミリーベーシックを遊びで買ったら、作る方が楽しくなった」
「その後はゲームクリアなんて興味が無くなっていった」
「高校でパソコンを手にいれてから、ゲームはデータでできているのがわかったので、これを解析・改造するのが楽しかった(クリアはおまけ)」

そんな話をしたら、もう出発点から違う、と変な感心されました。

その彼に言わせれば「ボタンを押したらキャラが動くことがアタリマエだと思ってしまったのが、自分がそちらに進めなかった分水嶺なんだな」ということだったらしいのです。

モノになるかは・・

小学生からプログラミングの授業ってのをやってみたとしても、それがプログラマとしてモノになるかどうかは、私みたいななぜ?があるかどうかなんですよね。

そういう視点があれば、わざわざ学校でプログラミングだ!なんて教えなくても、家の中にあるもので、たとえばテレビ一つでも
「テレビのリモコンを押せばテレビがつくのはなぜ?」
「テレビの「チャンネルを合わせる」とはどういうこと?」
「テレビの映像ってどうやって表示しているの?」
「地デジになってNHKが3つに増えたのはなぜ?」
 ・・・etcと、いくらでも「なぜ?」は身の回りにたくさんあります。
これがなければ、プログラマ、広くはモノづくりには絶対に向いていません。というか、継続できません。
(もっともそういう知的好奇心みたいなのは、自分の場合は、本来歴史だったり哲学だったり、そういう方面にも進んでいるんですけど、それで飯を食うのはプログラマより狭き門なので(笑))

ただ、世の中の機械的ものを、関西人風「よう知らんけど」で済まされるよりは、その入口として、プログラムっちゅうもんが結構世の中の色々動かしてるんやで、ってのを学ぶのは、老いも若きも別にして、知ってても損はないんじゃない?と思う次第。

個人的には、テレビが映らなくなったら、殴れば治る、っていう類の人がいなくなれば、とりあえずの教育としてはOKかなと思う次第です(笑)

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