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人の〝好き〟や〝大事〟をともかく否定しないこと

大学生の息子はとあるVtuberグループの大ファンで、グッズが発売されれば購入し、ライブチケットの争奪戦に参加し、何より日々の配信を楽しみにしています。

2年ほど前、最初に知った時は正直かなり驚きました。そのあたりのことは全く詳しくない50代の私にとっては、「え? Vtuberっってアニメのキャラクターみたいなやつでしょ? それに夢中になってるの?」という感じ。そもそも初音ミクの人気も???という感じだったので。

けれどもまあ、子育て中ずーーーっといろいろな方面から「子供の好きを否定しない」というアドバイスを浴び、必死に実行しようと努めてきた私。「ふうん、どういうことやってる人たちなの?」ととりあえず聞いてみたら、歌がめちゃくちゃうまかったり、おしゃべりがすごくおもしろかったり、人気があるのもわかるな、という感じになりました。

でつい先日、息子がなかなか決まらないバイトの面接から帰ってきて、暗い顔でぐったりしているので「大変だったね~」とねぎらいの言葉をかけますと、「疲れた。でもそれよりつらいことがあってさあ……」という返事。
何事か?と思ったら、例の大好きなVtuberグループの一人が卒業?引退?するとかで、それが大事件らしいのです。

大好きなのは知ってるけど、まあ、昭和世代の私の中には正直、「とはいえ画面の中の人でしょう?」という思いが。悲しいのはわかるけど、そこまで落ち込むのか? つらいのか? 

でもその後、落ち込む息子を見ながら考えました。
「Vtuberであれなんであれ、自分が大好きな人を見られなくなったら? その人の声を聞けなくなったら?」
そうしたら、それは相当につらいよな、という結論になりました。

例えば私にとっては、毎週楽しみにしているジェーン・スーさんと堀井美香さんの『OVER THE SUN』が終わってしまい、お二人の雑談がもう聞けなくなったら?
大好きな米津玄師さんが活動休止して、彼の作る新しい曲をもうしばらくは聞けないとなったら?

それは悲しいです。心に穴が開いたようになります。
最初はVtuberと生身の人間は違う、と思いましたが、ジェーン・スーさんとVtuberさんは、現実に会ったことがないという意味では何も変わらないと気づきました。そして自分の心を支えている大事な存在だという意味でも。

とりあえずその場では理解不能でも、やはり誰かの〝好き〟や〝大切〟を否定するのだけはやっぱりやめよう。それが我が子であっても、他人であっても。改めてそう思った出来事でした。
 

  

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