子育て、今思えば……。教えるときはひたすら観察、そしてちょっとの我慢。
先日、体にしみついている運動の基本のようなことは父から教わったという話を書いたのですが、人に何かを「教える」のはすごくむずかしいことだと感じます。
それに「教える」ことにはその人らしさが出るということも。
勉強にせよ、運動にせよ、我が子に何かを教えるのが難しいのは、親ならみんな実感しているでしょう。すぐ口を出したくなるし、手を出したくなるし、「違う!」「そうじゃない」なんて否定な言葉も使ってしまう。
私も何度も失敗を繰り返し、料理やら勉強やらを教える時は「とにかく観察」「きかれるまで口を出さない」と強く心に銘じていました。(が、できなかったです)
まあ、小さい子と親ならそれもあるだろうと思うのですが、最近考えているのは大人同士の教える・教わるです。
例えば私は最近、IT業界にいる夫から技術的なことを教わる機会が増えたのですが、それが結構苦痛……
公平に言って夫は説明も上手だし、私の無知を見下したりはしません。でも、過剰なのです。あれもこれも話に入ってきて、まだ消化しきれてないのに次の説明が始まる。じゃあ、こうすればいいよと次の提案がくる……
おそらく全体像が見えている人にとっては、○○の説明にはこの背景が必要で、それにはこれが必要で、ということだと思うのですが、わからない人にとってはもうお腹いっぱいです。
今の私に必要な情報だけをピンポイントでください!と言いたくなります。
……と考えていて、たぶん自分も子供に同じことをしてきたのだろうなと思いました。そのとき子供が知りたいことは1つだけだったのに、あれもこれもと余計な説明をいっぱい加えていたのだろうな。それでうんざりさせてきたのだろうな。
もっと観察して、相手が知りたがっていることだけ教え、我慢してまた観察して、それからまた教えられたら、やる気をそぐこともなかったでしょう。
ちなみに先日息子に「せっかくだから夏休みにお父さんにプログラミングでも教われば?」と言ったら、「ちょっとめんどくさい」と。
そうだよねーちょっと教わりたいだけなんだけど、話が大きくなって、面倒になるんだよねー
何かを教えるときは、やっぱり相手の観察とちょっとの我慢が必要だなと思いました。