記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

映画「フリー・ガイ」感想(ネタバレ)


映画の感想です。ネタバレです。
公開最終段階なので、
もうほとんど観られませんが、
自分の備忘録的に書きます。

映画の詳しい説明はしません。
思ったことを書いていきます。

世界中の人々が楽しんでいるゲームの中の話。
ゲーム内のモブキャラ(ゲームの中で背景として登場するようなまったく重要でないキャラ・ザコキャラ)
の一人であるガイという男が映画の主人公。

とても面白く楽しい映画であると同時に、
なんどもグッとくる泣ける映画でもあります。

僕にとって、
観てよかったなと思える
とても素敵な作品でした。


基本的には
ギャグ映画っぽいつくりになっています。
しかし、
AIと人間、
資本主義の問題、
愛について、
自由についてなど、
とても深いテーマが
いくつも折り重なっている
とても考えさせられる映画でもあります。


まず考えさせられるのは“愛”

資本主義やシステム化された社会の中では、
“愛”はむしろ邪魔だったりします。

この映画で言えば、
システム化された社会
=ゲーム内世界において、
モブキャラは
設定されたルーチンをこなすだけです。

けれど、
“愛”がプログラミングされたガイは
設定されたルーチンとは違う行動
をとるようになります。
ゲーム内では完全にバグで、
ゲームのバランスを崩してしまいます。


これは、比喩的表現で、
リアル世界の資本主義システムの中でも、
予定通り行動できない、予想外の振る舞いは
生産性を下げる邪魔な行為です。

人間は遺伝子的に、
“愛”がプログラミングされています。
しかし、システム社会の中では、
“愛”は邪魔です。

“愛”は、
人間にプログラミングされた“バグ”なのです。


ただ、その“バグ”があるからこそ、
人は、システムの奴隷にならず、
社会的役割に設定された行動以外の、
予定通りではなく、
予想外な振る舞いができるのだと思います。

“愛”が
設定されたルーチンから解放するのです。

“愛”が自由を産むのです。



“愛”の素晴らしさを訴える映画ですが、
逆説的に、
リアル世界の悲惨さも浮き彫りにしている
と思います。

モブキャラたちは“愛”に目覚め、
「自由な世界」を生きることになります。

しかし、
その「自由な世界」は、
キャラがみんな愛し合うからこそ
成り立つ世界です。
僕たち現実世界では、
いろいろな事情をそれぞれが抱え、
みんなが愛し合うことは不可能です。
つまり、リアルな現実世界では
完全な「自由な世界」は不可能なのです。


こういった逆説が、
僕たちはこのままでいいのか?
考えさせられます。


本来、
“愛”を持たない
ただのプログラミングされたモブキャラが
愛すべき存在に見えます。
本来、
“愛”を持っているはずのリアル人間のほうが、
(自由な世界=ゲーム内)では、
まったく愛すべき存在に見えない。

リアル世界においては、
“愛”を軽視し、
数字とお金のことしか考えない
アントワンという社長のような存在のほうが、
“自由”に好き勝手に振舞えて、
“愛”をそれなりに大切にしている
一般の人々は、
まるでモブキャラのように
資本主義の奴隷になり、
“自由”を奪われ日々ルーチンしかできない。

システムの中では、
いつも通りの反復の方が楽に生きられます。
けれど、“自由”は少ない。
一方、社会の中で、
いつも通りの反復をしない、できないと
つらい思いをしますが、“自由”になれます。

ガイにプログラミングされた“愛”は
「片思い」なので、
“愛”と“自由”は獲得できても、
“恋”は成就できません。

自由なユートピアは、
“愛”をプログラミングされた存在からしか生まれないのなら、
全人類を遺伝子操作でもしないとユートピアは生まれないのか?


そんな逆説性が、
僕たちはこのままでいいのか?
という問いを突き付けます。



けれど、それら問題は置いておいて、
素直に
「“愛”の素晴らしさを感じて生きていたい」
そう思わせる映画です。

“愛”が“自由”への道を開く鍵なのです。

数字や利益だけを大事にし、
“愛”をバグのように扱う
資本主義やシステム社会に対して
「中指立てて生きていたい」
なんて思います。

素直に
「“愛”の優しさと素晴らしさを大切にしたい」
厳しい現実にもまれていると
忘れてしまいそうになりますが、

この気持ちは忘れたくないです。



簡単なメモのつもりが長くなりました。


いいなと思ったら応援しよう!