時代はまわる、ご縁も廻る
【今日のはだいぶ長いです!!お暇なときに読んでいただけたら嬉しいです】
私が高田酒造場に入社して9年。
入社してからはたった9年しかたってないけど、
高田酒造場の中で生きてきたのは33年。
記憶があるところからと考えると30~28年ぐらいで私にとって蔵は特別なものではなく本当に生活の一部なんです。
なので普通ではありえないんだろうけど、
今の息子たちのような保育園児時代から麹室に入って温度みて、天窓開けて毛布をはいで、とかもしていたし(これはさすがに親に温度伝えて指示されてだけど。。。)
小学生のときからラベル張りや箱作りだけではなく、電話にも出てたしwww←普通に考えておかしいよねwww「はい、たかたしゅぞうでーす!まってくださーい」て出るんだもん。それでも慣れてる常連さんは、「あー、いつもの送っておいてってお母さんに言っておいてね!」て。こんなやさしいお客様に育てていただきました。
小学校高学年ぐらいからは仕込体験のときのスタッフしてたし、と多分普通ではない幼少期を過ごさせてもらってました。
一人っ子なので両親が蔵いる間蔵についていくできることを見つけて手伝う事、それが親と遊んでいると思っていたんだなと。そしてこれが出来たのはうちはほんとに家内工業的に小さな蔵だったから、社員さんたちも家族みたいな感じで私を育ててくれていたんです。
最近になって親になって本当に有難い環境で育ったのだなと思いました。
今、6歳の息子と4歳の娘も蔵の中が生活の一部で、保育園がお休みになると「かずまーくん、しゅぎょうしてもいいですかー?」と杜氏の後ろをちょろちょろしています。
邪魔になるだろうに手伝わせてくれてる杜氏に感謝です。
同じように、その当時とメンバーは変わっていても蔵の皆が子供たちが蔵の子としていることを一緒に育ててくれている。本当に有難いです。
なんで今日こんなnoteを書いているか??
私が幼いころからの一人の常連のお客様のお話を書きたかったからです。
かれこれ30年近くずっと焼酎を岡山から毎回電話で注文してくださる常連のお客様「Iさん」
Iさんは、今回氾濫してしまった球磨川に昔アユ釣りにいらした際に弊社の【Oak Road】に出会ってはまったというお客さまでした。
もともと720mlしかなかったOakRoad (←なんなら現在も1.8Lの存在は知る人ぞ知るという基本は棚に並ばないものです。)
ただとても気に入ってくださったIさんは何回も頼むうちにそのころ注文を取っていた母に『奥さん、頼むけぇ社長に大きいビンに詰めてくれって頼んでくれんかー?ラベルとか裏ラベルだけありゃええで、わしが家で飲む分やけ。小さい奴じゃかなわんわーすーぐ無くなる』って頼まれたそうなんです。
そのころは商品数も少なく、今みたいにネットの販売もなかった時。
しょっちゅうお電話で注文下さって、お会いしたことはないけどお声はよく聞いて注文のたびに世間話をするIさん。社長である父も、母もIさんの要望に応えようと1升ビンに詰めて送るようになったのです。
なので私が小学生の頃に電話をとると、『あ?今日は嬢ちゃんか?いつもの通り送ってってお母ちゃんに伝えとって。社長も奥さんも元気しとるか?』って私でも注文してくれてました。
そしていつのころから、いっつもわがまま聞いて大きいのに詰めてくれるけなー!!みんなで食べてー!!!と岡山の桃やシャインマスカットを送ってくださるようになりました。
私が小さなころは社長、嬢ちゃんたちに食べさせてな。と
私が結婚して子供が生まれた後には『社長じいちゃんになったんやってな??孫ちゃんに食べさせてな』って。
お客様から頂くってどうなん??ても思うけど、このIさんはもうなんかお客様というより遠くに住んでる親戚のおっちゃんwww
そんな感じのお付き合いを30年近くさせてもらってました。
注文いただくと近況報告は当たり前だし、少し注文の期間が空くとめっちゃ心配になるし。(期間が空くようになったのは、少しお年を召して飲む量が減ったからだったみたい。そりゃ30年もたてばそうなるよね。)
そんなIさんからの最後の注文となったのは昨年の4月5日。
いつも通りお元気に「岡山のIです。嬢ちゃんか?社長も奥さんも元気か?いつも通りまた頼むわー」って。
本当にいつも通りに。
ただいつもと違ったのはそのあと夏になってもいつものマスカットが来なかったのです。それだけじゃなくだいたい3~5か月の間に来る注文がこなかった。
「もしかして??入院された?倒れられた?まさかは無いよね?」
家族みんな気にしてたけど、携帯にかければわかるのかもだけど、なんとなく現実を見たくなくて、誰も確かめなかった。
年末にいつもIさんに送るものを送った時に、ずっと不在になっていて荷物が届かず、そして携帯も自宅も届かず。どうしようというときに、お嬢さんという方がご実家に行かれて荷物を受け取ってくださったらしくお電話をいただいたんです。
「4月に亡くなったんです。最後に注文したのが届く前日だったから飲めなかったの。でも一緒に飲んでたお友達にお葬式で渡しました。1本だけは取っておいて仏壇に置いています。送っていただいたものも仏壇にお供えさせてもらいますね」って。お電話で初めてお話しさせていただいたIさんのお嬢さんでしたが、とてもやさしい方でした。
もうあのIさんのお声が聞けないのかーって。
今までありがとうございましたって。
勝手に親戚のおじちゃんみたいに思ってましたって。
思ってお電話口で涙が止まりませんでした。
なんならこれ書いてても泣けてくる。
たまに思い出してはさみしくなるのです。頼んでくれてた時期や、マスカット送ってくれてた時期、そして年末にいつも送っていたものを準備し始める今の時期。最近も思い出してて少し寂しくなってました。
Iさんのお嬢さんとのお電話を最後に途切れてしまったIさんのご縁。
と思っていたら、まさかのIさんのお友達という方から蔵に電話が。
「岡山のAってものですー。前にIさんって頼んでた人がおったやろー?その人の友達なんですわー」って。
Iさんとさすが同級生でお友達、方言とかも一緒だしなんだかIさんからの電話のようでとても懐かしく、初めましてのお電話とは思えない感じでした。
「ずっとIさんと一緒に飲んだり、たまに分けて貰ったりしてたんやけど、もうお葬式のときにもらったやつも飲んでしまってなー。岡山で探しても売ってないけ送ってくれませんかー?」って。
「前の日も一緒に飲んでてなー。その前の日は畑仕事手伝いに行って一緒に畑やってなー。ほんとに元気やったんや」って。
思い出すのもお辛いのだろうけど、いろいろと教えてくださいました。
別れは悲しいけれど、その分出会いもきっとある。
Iさんが私たちが知らないところでつないでくださっていたご縁。とてもとてもうれしくなりました。このご縁大事にしていきたいと思います。
焼酎ってやっぱり比較的ご高齢のお客様も多い分、常連のお客様とのお別れも結構あるのです。
さみしいですが、その分の新たな出会いが最近はとても多く、世代の近いお客様や私よりも年下のお客様が増えてきてくださいました。
別れに悲しんでいるだけじゃなく、お客様とのいい思い出は大事にしていきながら、新しくファンになってくださるお一人お一人を大事にしていきたいなと思います。
まだまだ人としても、蔵元としても未熟ですが1歩1歩前進できるよう頑張ります。
これからも高田のこと見守ってくださるとうれしいです!笑
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