3年生 新歓ライブ

濃密な2年次を過ごした。
46期の引退で、僕たちはいよいよ最終学年になってしまった。

2年の時いろんなことを感じて、いろんなこと考えて、いろんなことで一喜一憂していた。
3年生。その全てがこの団体でやってきた意味になる。今まで起きたすべてのことに価値を生むため、日本一を取るしかなかった。
人によっては、結果が全てではないと言う人もいると思うし、僕も結果を出さなければ意味がない、つまらない人間に発言力が無いなどという間違った結果主義には断固反対だ。
自分の中で価値創造できて、どんな結果でも今までの活動を、自分の成長や幸福だったと思えればそれでいいのではないかと言う人も居るだろう。

それも一つの結果だと思う。
けど僕は目に見える結果に拘りたかった。
本人が良くても、勝てなかった結果は後輩に伝わっていくし、社会に出る時だって、社会で戦う時だって、日本一、優勝した団体にいたというのは、誇りになると思う。
そしてなにより、僕たちが満足する過程が価値のあるものだったということを他者も認めやすいから。

まぁあと、結局負けたら悲しむしねみんな。

だから結果を出すこと、日本一の結果を取ることは、言葉で言い合わらせないけど、絶対条件というか、自分が全て投げ打って落研をやったことが、とらなければ意味を成さないくらいのものになっていた。

そう考えて逆算すると、夏に決勝に行くことが絶対条件であるし、新歓ライブはそのためには重要なライブであった。
なぜかというのは、割と僕の独特な考えだったと思う。だから共感してもらえなくても仕方ない。

新歓ライブは49期、つまり一年生が落研の価値を決める大事なライブ。このクオリティが何年後の落研を作る後輩を引き込めるかが決まる。
そして、その1年生がその中でも圧倒的に面白い人だと認定する数少ないコンビは、そのイメージを背負ってさらに強くなる。

期待をされる

そのプレッシャーに対して結果を求めれる

高いハードルに対してストイックになる

ネタが磨かれ、面白いネタができる

さらに期待される

簡単に言うとこういうサイクルが生まれると
だから、部内の評価を高めておくことはすごく重要だ。
ライブで苦しもうが、部内で評価されれば、味方は増えるし、一緒に戦ってくれる人は増える。部内のネタ見せでも、ウケれば自分たちの調子も上がるからね。

だから部内での印象を操作して、面白い人であり続けることは、自己肯定力と他者からの期待を維持して、絶対に折れない自信をつけることができる。
僕はこの印象操作だけでここまできた人間だ。

この1年間、最後の1年の自分の見られ方が決まる大事なライブ。新歓ライブが学ホオーディションと共にスタートする。

1年前、ハングリー精神剥き出しでチャレンジャーとして参加したオーディションとは訳が違う。僕らしか3年生の漫才はいない。こんなところで一位通過出来なければ、今年の日本一はなかった。

ネタの練り方が冬を越えて、僕らは変わった。
1から2人で話しながら考えるようになった。
互いの出すボケツッコミを尊重するようになった。(これは最初の方尊重しすぎて、互いのボケツッコミ入れすぎた)
笑いながらネタを作った。
ネタ終わり反省会ができた。

自分たち的には満足できないが、一応一位通過だった。
けど、ヤマアラシとボラは落ちた。

あのオーディションの結果については文句は一切ない。まぁベリエンはもうちょい評価されてもよかったと思ったし、レオと剣山のユニットがしんどそうだったのだけは覚えてる。

だけど特にヤマアラシに関しては、悔しかった。冬を越え、今年1年でまた互いに強くなって3年の冬に日本一を取ろうと思っていた戦友が、こんな初歩の戦いで足をくじいていた。
しかも僕が提供した題材で。

本人たちが1番辛かっただろう。
たけしは完全に闇堕ち寸前の顔をしていた。
気休めにしかならないであろうLINEを送った。たしか、どんな結果でも最終的に一緒に日本一を取ればいい。みたいなやつ。
それでもこのLINEに感謝してくれていた。

なんやかんやで、49期は着々と入部してくれていた。けど、48期の時より、一人一人をよく見てはいなかったなと思う。部長として迎える1年生は一人一人が大事で、2年の時あまりなんも考えずに、一人一人どうでもいい感想を持っていた時に比べると、その子にどう落研に興味をもらってもらうかとか、儀式をどう回すかに気を取られていて、ふざけてる姿をあんまり見せれてなかったことが49期に怖がられてしまった要因ではないかと思ってる。
なんかそんただけは、こいつは意地でも入れたいって思って一人で粘って話して決心させたのは覚えてる。なんか絶対面白かったのと、目がヤバいやつの目をしていたのを直感的に感じた。天才になる顔してたから。

落研ライブが新歓期間どんどんとスタートしていく、ユニットライブや寄席、教室などなど
1番忙しいライブと言われる所以は、この量を2学年で、しかも新入生の目を掻い潜りながら準備するからだ。

正直この新歓や、それを含めた前期の僕の話があまり面白くないだろうなと感じるのは、ここから僕の調子が最高潮まで上がり、自分であまり言いたくないが無双状態に入っていくから。
ここまでnoteを見てくれている人は、もう気付いていると思うけど、僕は悔しい思いをして初めて面白くなる。
だからこの前期の僕の話は、そこまで面白くはないと思う。

だけど、この期間に強いて言うなら、
初めて体験したレジスタAリーグで、ほとんどBに降格はしないと言う好条件の中、僕たちは降格した。
ネタ数のない僕らは学ホオーディションでやったネタを持って行った。
圧倒的な3年の漫才師である以上、一年の時に見ていたダイソンウェイパーのようにレジスタ常連の、外での強者感が必要だった。
しかし、僕らはその格に居ないことを出鼻挫かれた。そして、今の創価落研1位のネタが外で通用しないことを露呈させてしまった。
ここからの1年間、自分たちが一位という自己暗示で強くなると共に、外でのライブに創価の命運を自分たちが背負うというプレッシャーが僕たちの精神を削っていた。

井の中の蛙大海を知らず

僕たちは必死に大海を知ろうとして、大海でも早く泳げる力をつけようとしていた。けど、井の中では無様な姿は決して見してはいけなかった。王者と挑戦者の顔を使い分け、創価を勝たせることだけ考えよう。

落研ライブではコンビで互いにユニットライブでも一位、教室学ホも一位。
けど、僕らは面白くなかった。
ただ他の人より少し分かりやすくて、少しベタなことをやる力が付いていて、少し覇気があっただけだった。そのメッキは外ではバリバリに剥がされる。

2年の時に部長として感じていたプレッシャーに上乗せして、実質上の最高学年演者としての重荷が肩にのしかかっていた。


書くのを忘れていたけど、執行期間を延ばす決断を47期はした。
主に、というか全て後輩のため、後輩が執行をいいスタートを切ってもらいたかったし、やりやすい執行を取ってもらいたかった。
から7月までやる決意を固めて、48期にどうするかを委ねた。
だから執行ラストのライブにこの新歓がなることはなく、

忌まわしき初顔ライブにリベンジする機会を貰った。

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