2年エールライブ
お久しぶりnote。実は扁桃炎にかかりまして、熱出たり寝込んだりしてたので全然TwitterやらLINEやらnoteやらが出来なかった。
というわけで、1番振り返りたくないライブを振り返っていくぜ。
初顔ライブ。初の執行、ライブ作りを失敗の2文字で終え、絶望の反省会を迎えていた。
初めての反省会が異常にピリついていることにビクビクする一年生。執行期に対する厳しい目がひかる三年生。夜活を25時までに設定したことにより失敗したと言いたい四年生。
空気が悪くならないようならないようにだけ意識を働いて回したの覚えてる。
何度も期ミーティングをやっていた。なにが失敗につながったのか、どうしたらライブが成功するのか、後輩をどう楽しませたらいいのか、先輩と心を一つにするにはどうしたらいいのか、なにより執行期が団結するにはなにが足りないのか、まぁ答えは出なかった。しばらく。
ちなみに期ミーティングの量がすごい多かったのは、47期が毎回のライブにたくさんの意義を込めたライブテーマを置くと決めていたのも関係はしてる。すごく大変だったけど、自分たちが執行期の間に置いたテーマは全て、いまも自信を持って素晴らしいテーマだと思う。
エールライブに突入
ライブ作り全体は、よりみんな苦しんでいたと思う。裏方も演者も映像も。だからこそそんなに自分以外の全体の記憶がない。
覚えているとしたら
①まっつんが映像班で1年生ながら泣きそうになりながらやっていた
②スリーメンが意気揚々とウォーターボーイズのコントをやっていた
③調子こくマーベリックギター
くらいかな
僕自身、最後のピンで出演するライブ。ネタ作りはすごく流れ作業だった。というか絞りに絞ってもうカスしか出て来ていないボケをフリップに書いているって感じだった。けど、なんかネタ見せウケちゃう。部長!デスコアラ!っていう目もあるし、相方が消えて孤軍奮闘する男っていうのでみんな笑ってあげたい気持ちがあったのかもしれない。っていうかほぼそれだったんだと思う。この前期続いた同情のネタ見せは僕をズタズタにした。
という感じだったけど、ピンとしての目標も見えていた。
夏芸会にピンとして爆発する。
大学お笑いはコンビで売れるというより、そのサークルの面白い人っていうのが売れるとその人のユニットは無双状態に入るし、そういう人のいるサークルが強くなっていく世界だと思った。だからそんな人になるためにピンとしても面白い人間として認知されるため外でハネようと思っていた。外ライブ(対決ライブとか)ではそこそこウケた。同期くらいだったら知ってくれている人もちょこちょこ出てきた。
まぁ同期ライブはカナディアンロッキーで呼んでくれていたのに、出れないから無理言ってピンで出たらトップバッターやらされてそこそこ滑ったんだけどね。
エールライブに戻ろう
エールライブ初日
自分はオープニングMCとピンでの出番があった。オープニングMCは大森と。自信はあった。この俺のお笑い技術と大森のキャッチーさがあればMCはできると…
あれ…やばい…笑い取るのってこんなにむずいの???
ダメだな(笑)って笑うしかない感じで2人で控え室に戻った。
とりあえずピンネタに集中!
ネタを終えて戻ってくる1年生とか同期の顔は全体的に曇っていた。MCのせいかもな
テッパンヤキタロウ世紀の大すべり
結果を先に言うと、0票だった。集客した友達すら入れなかったということ。それだけ空気が無だった。
エンディングMCでの部長挨拶。出たいわけがなかった。
あっすべった人だ。
あの人が部長?(笑)
面白くないライブになるわけだ(笑)
こんな声が頭の中を駆け巡ってガンガンした。だから挨拶は終始噛んでいた。
1番辛かったのは、次のライブへのネタ練り中にライブの結果が出た時。演者が先輩も一年生もいる中で、部長が、面白いと太鼓判を押されていた演者が、たくさんダメだしをしていた演者が誰一人として笑わすことのできなかった人になったのだ。その瞬間ほんとうに死にたいと思った。全員の視線が辛かった。
翌日俺は授業を全てサボった。家のベッドで何もせず天井を見て過ごしてた。
けど寄席ライブは確実にその日にあったのだ。ライブには出ない。けど、部長はライブ準備も音響確認も出席確認も反省会にも必要だった。
授業を全サボりしてだるだるのTシャツにスウェット、クロックスの引きこもり君はなんとか寄席ライブ準備の教室の前で誰とも目を合わさないように指示を出していた。
業務連絡以外ほんとに誰ともなんとも喋ってない。
同期がその時僕のことをどう思って見てたのか聞きたいな。多分みんなすごい同情してた。同情するなら〇〇をくれっていうけど、
何にもいらないから殺して欲しかった。
残すエールライブ3日目の出番は大喜利と合コン。いろいろトラブルはあったものの、大喜利はパンパンが初めてお客さんにハマってウケて、合コンでは当日急遽出てくれた副作用の活躍もあり、僕は初めてライブで1位を取った。すごく嬉しかった。というか1日目の悔しさや恥ずかしさを消し去りたいがためにより喜んでいたと思う。浸っていたと思う。
だけど忘れてはいけないのは、
エールライブは1日目どすべった奴が出たせいで失敗に終わった。
僕のせいで執行期始まって2個目のライブも失敗させてしまった。こんなことあってはならなかった。先輩たちが作り上げてきた。落研ライブは、落研はこんなにしょーもなくなかった。
それを作ったのは僕だった。
他の誰でもない47代部長宮澤正伸だった。
2ヶ月前まで自信しかなかった僕は、夏休みを前にほんとうに自分が部長になったことを後悔した。
けどそれを誰にも言えなかった。僕が自信がなかったら道に迷う執行期。落研。それが部長。
どんなに苦しくても、個人の状況は差し置いて笑顔で力強く引っ張って行かなくてはいけないとわせおさんが示していた。