2年のNOROSHI「MOTHER」敗者復活戦
予選を終えて京王八王子まで帰る電車内。
別車両にいる相方にLINEを送った。
「今日の漫才今までで1番楽しかった。ありがとう」と
なんか送りたくなったこの時は。普段はこんなこと絶対言わないと思うし、後にも先にもそんなこと送ったのはこの時だけだった。
すぐに返ってきた。「俺も1番楽しかった。」
チーム素直の大爆発は後継に残さないといけない大事件だと思う。
直前まで一個上も一個下の演者もまとまらず、1人で3人のチームを回そうと、心血注いでいたボラが起こした奇跡だと思った。
チームの意味とか何のための冬とか、1番考えたことのある人だと思うから、後輩たちはボラにぜひそこらへんの話は聞いて欲しい。
そしてその方南会館で、芸会スタッフであった落研の先輩から繰り上がりで敗者復活戦に進出したことが伝えられた。
翌日。鶴翼の陣とトゥーンワールドを応援しに方南会館へ。
特に鶴翼には勝って欲しかった。今まで真面目にやってきた3年生と、その3年生の最後の冬を背負った同期テマエミソには何がなんでも、勝ってもらわなくちゃいけない。
じゃなきゃ落研でみんなのために闘うっていうことがブレる気がした。勝たなきゃいけない人達だったと思う。
応援する気持ちとともに、ここからみる芸会の目はより鋭くなっていった。
なぜならここから敗者復活に上がってくるチームは越えなければならない壁となっていくからだ。
たしか、鶴翼はCブロックだったと思う。ウケていた。ウケてはいたけど、圧倒的ではなかった。ドキドキは嫌な意味を含み加速していった。
結果発表。鶴翼の陣は上位3位に入れず、敗者復活戦進出という結果になった。
この結果については、落研の中でも嬉しかった人と悔しかった人別れたと思う。
ストレートに上がりたかっただろうに。僕らが敗者復活になった事とは同じ意味合いを持たない。この人たちはこの冬に勝つためにやってきている。同じステージで戦っている気はさらさらなかった。
憧れの代田橋でのチーム写真撮影を終え、帰る道中も、同じ敗者復活の同じブロックの、同じ後半というなんとも残酷な組み合わせになった僕らは、それぞれ複雑な岐路についたと思う。
さらに翌日。この日はいよいよ落研総大将「赤組」のみの出場だった。
強豪がそろってしまった死のグループ。
赤は負けた。
目の前で起きたこの日の出来事は、頭の整理が追いつかなかった。それはもちろん、赤組が予選で負けるという前代未聞の映像を受け入れられなかったのもあるけど、後で言う。自分のちょっとした危機も関係していた。
帰りの代田橋。雰囲気は地獄だった。
誰一人として不幸な空間であったと思う。
この辺りの話は、46期のクラ田さんがnoteで書いてるからそれを見てもらった方がいいと思う。
僕の危機。この駅前の集まりの中で顔を見せ始めていた全身に走る寒気だった。
耐えられない。寒すぎる。
帰りの電車で、敗者復活戦に向けてネタ練りを今晩からでも始めようと話していた中で、僕は休ませてもらった。
流石にこの体調はやばい。一旦休もう。
ここから6日間人前に姿を表せなくなった。
今思えば、きっとインフルエンザだったんだと思う。しかしそれを肯定したくなかった。たしかに流行っていたインフルエンザだったけど、部長であり副実長である僕が、冬の戦いにおいて体調管理すら出来ていないと思われたくなかったから。そういう自己防衛的思考があるのが僕なのだ。セコい奴だと思う。
だから、市販の解熱剤を飲んで対処してたら、4日間くらい熱が上がったり下がったり、生死を彷徨っていた。
僕が落研から姿を消していたこの約1週間で、又聞きだが落研は大荒れしていたらしい。
赤の敗戦から、上級生の精神は不安定さを増したのが原因ではあったと思う。
この時期47期は部員としてはあまり機能できなかったと思う。部長こんなことなってるし。
僕が復帰したのは本当に敗者復活戦の直前。決起大会には顔を出していた。
ネタ練りはすごく辛かった。もう新ネタを作るには間に合わない。ヤマアラシが予選と同じネタをする時点で、漫才も同じネタをすることは許されなかった。
Forever小林とヤマアラシのネタ練りは微調整程度だったので、難しくはなかったけど
僕らの漫才はほぼゼロと言って良かった。
先輩に相談したりコンビで話しながら、ネタの方向性は行ったり来たりを繰り返し、結局題材を、学生M-1でやった「ヒッチハイク」にしようとなったのは、当日の午前3時半だった。
ネタ一本できて入ると言っても、最下位を取ったのネタをそのままやる勇気はなかった。
大幅な改造が必要だった。あの朝までネタ練りを手伝ってくれた。さんがわさん、チェックさん、直樹さんははっきり覚えているし、今でも感謝してる。
敗者復活戦は惨敗だった。
当日の自信や、覇気は予選の日にならないほど無かった。緊張で心臓バクバクだったし、出番直前の廊下ではそこから逃げ出したくなったくらいに。
一個前の法政のパーティータイムが爆発しているのを袖で聞いて、完全に心が折れた音がした。
パーティータイムのビデボーイズは同期だ。特に赤瀬とは一年生の時から仲良くさせてもらってて、落研ライブも見にきてくれたりしたし、一緒に飲んだりもするくらいだった。けど、彼はずっと面白かった。そしてずっと結果を出してた。最初からスタートダッシュを決めて、手の届かないところからさらに届かないところに走っていく。でもそんなに差が開いている僕を彼は少しでも意識してくれてた。2年の夏も彼らが決勝に上がったときには、「先に待ってるぜ」とLINEをくれたくらいだから、きっと意識くらいはしてくれたと思う。
ただそんなビデボーイズが2年生の夏に準優勝をしていた姿を見て、その時お笑いをやめようと完全に一回心を折られていた。
2度目のビデボーイズによる自信粉砕。
舞台に出て、漫才をやって、学生M-1の時の再現が行われた。
ネタが終わって、袖に帰る時、ただただチームメイトに対して、「ごめんすべって」という感情しかなかった。
ヤマアラシも予選と同じネタ。予選とは明らかにウケは落ちた。
Foreverはハマっていたので、ここでも爆発してたけど。僕らが引いた負のレールは彼の爆発を持っても勝利に向けて路線変更はできなかった。
出番が終わり、鶴翼が終わるの待って、皇太子とパンパンと吉野家を食ったのだけすごい覚えてる。あの時悔しさもなかった。なんの感情もなかった不思議と。
ひたすらに牛丼を食べ、少し時間を潰して、結果発表を聞きにいった。
当然の如く、僕らは負けていた。鶴翼も。パーティータイムは上がってた。
帰りの代田橋。僕らは悔しがれなかった。本当の悔しさは予選の時に全て出してしまったんだと思う。
今考えれば僕たちは奇妙な体験をしてると思う。2回の負けを経験したんだから。
そして2回目の負けは、なんともあっけなかった。
だって僕たちにはこの壁を乗り越えるほどの、実力が単になかった。すごくそれを感じさせられた。ただ僕らは準決勝の格にある演者じゃなかった。その時強く感じたのは、落研ライブ一個一個を本当に大切にしたいと。僕たちが芸会でやってきたネタは外ライブでしかやってないネタだった。それで勝っても、ライブに来てくれていたお客さんを日本一の演者を見たお客さんにできないし、日本一のライブにもできない。そもそも落研ライブで1ヶ月練り切ったネタほど完成度の高いネタはないと思ったから。そんなネタが2年の時出来なかったのが、敗因の一つだとおもった。
悔しさが少なかった分、3年時の課題が明確に見えた僕ら3組は、次なる戦いに切り替えることができていた。