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「お母さんのこと愚かだと思ってたよ」




「わたしね、子供のとき、小学生の時に、お母さんのこと愚かだなぁ、馬鹿だなぁって思ってたよ。そんなこと言ったら100パー怒られるし、言わなかったけど。思ってた。なぜならね……。」



本当の願い


この間、母の足の触りながら、母に向かって「私はあなたが愚かで馬鹿だと思っていた。」ということを伝えた。

母は股関節が悪い。

そして、痛みが出ることが多かったので、母はよく整体やマッサージに行っていた。

それが、愚かだと思っていた。そして怒っていた。「なんで、根本的に解決しようとしない。なんで、一時的に痛みをしのいでばかりいる。なんで、なんで…。(お母さんに元気でいて欲しいよ。ずっといてほしいよ)」

お母さんにずっと元気でいてほしかった。笑って長生きして欲しい。なのに、根本的に解決しようとしないじゃないか。なんで自分の体を大事にしないの。なんで私の大事なものを大事にしないの。なんで、その方法を選ぶの…?

と、思っていた。

ただ、私はまだ子ども。

私が治せるわけじゃないし、凄腕の施術者を知ってるわけじゃない。私には母に何もできない。母に何もしてあげれない。母の体を良くすることは私はできない。

だから、見て見ぬふりをした。自分が何も影響を与えられないと思ったから口をつぐんだ。

愚かだと思ってること、そのことを言わずに忘れた。

そして残り続けていた。


【怒り】についての感覚を取り戻す

最近「怒り」に興味を持ってる。

ずっと、私には「怒り」がないと思っていた。でもないわけじゃなくて、自分で意図的になくした。「怒り」は人を傷つけ、自分の鬱憤を他人にぶつけるものだと思っていたから。周りの大人がそうするのを見て、私はやりたくないと思ったから。「怒り」を友達にぶつけてた私は、いずれ孤独になると思ったから。だから、「怒り」をなくすために「無関心」を訓練していった。

私はどこに怒りを感じて、誰に対して怒りを感じてるのだろう…?

そんなことを探る中で、「母に対して強烈な怒り」を見つけた。

母が母の体に対する身体の向き合い方が私は許せなかった。

もっと大事にしてほしかった。なぜなら、私の大事なものだから。

でも、私は何もできない。

本当は、母に対してじゃなくて、「何もできない無力な自分」に対しての怒りだったのかもしれない。

大切な人、笑顔でいてほしかった。痛みに苦しんでるのを見るのが苦しかった。






母の足を触りながら

「わたしね、子供のとき、小学生の時に、お母さんのこと愚かだなぁ、馬鹿だなぁって思ってたよ。怒ってた。でも、そんなこと言ったら100パー怒られるし、言わなかったけど。思ってた。だって、お母さん股関節のこと根本的に治そうとしてないように見えたから。見てられなかった。


わたしね、身体のこと学び始めてるの。だから、お母さんの股関節楽にできるかもって思うの。今愚かって言えてるのも、私がお母さんの身体よくできるってのがあるからで。お母さんにはお父さんと元気に生きて欲しいから。だから、たくさん身体触らせてね。」

母は穏やかに、「そっか。ありがとうね」と言って、私の話を聞いてくれた。



そのときに、母が23歳の時に股関節の手術をしてることを初めてしった。彼女は私を産むことについて、医者に身体の負担的によくないと言われていた。

「自分の体を傷つけてまで、私を産んでほしくなかった。」とずっと思っていた。母の「本当は産むの反対されたけど。」って言葉はずっと呪いだった。

なら産まなきゃよかったのに…。

と何十年も思っていた。

でも、今は「母はそれぐらい、そんなに頑張ってまで私と出会いたかったんだなぁ」と思う。私の世界に対する見方が変わった。

実家にいる間に、母が私の小さい時のアルバムをめくり「みて〜かわいいやろぉ〜昔はこんなに可愛かったんやで」と言いながら母がニコニコしていた。私は母をみて幸せな気持ちになってた。

「いや、今もかわいいやん」って母にツッコミながら、私もアルバムを見ていた。






母は私という人間をよく育ててくれたなぁ〜と思う。私は一時期ベビーシッターをやっていたが、母という存在は、とても偉大だということを実感した。


とても偉大だ。

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