<大人編20代>60歳の私が、少女だった頃の彼とのその後~昭和の終わり
Y君の葬儀での再会
結婚の翌年、私は、女の子を出産した。実家で、お産をして、自宅に戻ってしばらくした頃、彼から電話が来た。もちろんまだ、黒電話の時代。
彼からの電話は、中学時代の同級生のY君が、自動車事故で亡くなった、という連絡だった。
Y君は、優しい人だった。
高校時代、彼が、Y君ともう一人同級生のM君を連れて、私の家にきたことがあった。この時、彼が私の部屋で、タバコを吸った。
私が吸ったタバコではないのに、もし、私の親が見つけて、私が怒られたらかわいそうでしょ~と言って、Y君は、彼が吸ったタバコの吸い殻を、ティシュに丁寧に包んで、わからないようにしてゴミ箱に捨ててくれた。
そんな人だった。
Y君の葬儀で久しぶりに、中学生の友人たちと会うことになった。彼とも、結婚後、初めて会うことになった。
地元で執り行われたY君の葬儀の後、彼を含む友達数人が、私の実家に集まった。私は、実家に子どもを預けて、葬儀に参列していたので、私の赤ちゃんをみんなで見に行こう!みたいなノリだった。当時、私以外で結婚している人は誰もいなかった。4年制大学に行った友達は、まだ学生だった。彼も、学生のはずだ…。そんな年齢の頃だから、みんな興味深々な感じで、私の赤ちゃんを見ていた。
彼が実家にきた
私は、子育て真っただ中だった。娘を連れて毎日、公園に行き、家事と育児の日々だった。
そして数年後、私は、第二子出産のため実家にいて、娘と過ごしていた。そんなある日、彼が実家に来た。私のお腹もだいぶ大きくなっていた頃だった。
この時の会話を、私は覚えている。
「大学は、どうしているの、行ってるの?」と尋ねた。彼は、全く大学には行っていなかった。~というより、行く気が無かった。大学に籍は残したまま、相変わらず音楽活動中心の生活をしていた。親は、学費を払い続けてた。そして、彼は大きな会場でのライブに出ることを話していた。
今にして思うと、彼のご両親の心中は、自分の息子が、果たして音楽で食べていかれるのかどうか、わからない状況の中で、保険のように学費を払っていたのだと思う。私は、まだこの頃、親として新米だったから、「大学生の子どもの親」の気持ちまでは、察することができなかった。当然、彼自身も、そんなことは、全く思っていなかっただろうし、恩着せがましく、息子に言うようなご両親でもない事も、想像できる。
時代は、昭和から平成へ
彼が、実家で話していた大きな会場でのライブは、中止になった。ライブの数日前に、昭和天皇が崩御され、日本国内が喪に服したためだった。
時代は、昭和から平成に変わった。
それから、数年後、たまたまテレビに出ている彼の姿を観た。その姿は、華やかで、堂々としていた。浪人時代の疲弊した彼とは、別人だった。高校時代、「厭世」という言葉を口にしていた彼とは、全く違う人だった。
彼の音楽活動は、ある意味、順調で仕事として成り立つようになっていたのだ。それからしばらく、彼とは音信不通になる。
**20代は、これで終わりです。30代に続きます~
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