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母の「バイユー・タペストリー」

「バイユー・タペストリー」を複製した話

11世紀に制作され、様々な変遷を経て奇跡的に、今も残っている「バイユー・タペストリー」を、1997年に「おんどり刺しゅう研究グループ」が完全複製をした。

「おんどり刺しゅう研究グループ」は、今は無き手芸出版社「雄鶏社」が主催した、板垣文恵先生指導のもと「ヨーロッパ刺繍」の作品を製作してきたグループだった。フランスの刺繍糸メーカーである「DMC」と東京・京橋にある手芸店の老舗「越前屋」が三位一体となり、長年に亘り活動し、1975年からは、テーマを決め「銀座・松屋」で、定期的に作品を発表してきた。

私の母は「雄鶏・手芸アカデミー」修了後、この「おんどり刺しゅう研究グループ」のメンバーとして半世紀近く刺繍の作品作りをしてきた人だ。母が関わった多くの作品や刺繍展の中でも、特に私の印象に残っているのが「バイユー・タペストリー」の複製だった。

第1回目の「銀座・松屋」での刺繍展で「バイユー・タペストリーの一部」を複製した作品が好評を得て以来、「全部の複製を作成したい」という板垣先生の長年の夢が、1997年に実現した。(一部、おんどり刺しゅう研究グループ発行の冊子からの引用)

全長70mのタペストリーを約90名(2場面を担当された方もいる)で、完全複製したのだ。

この時、後援となったフランス大使館から当時の駐日大使のメッセージまで頂いている。

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母が担当したのは「嵐のために漂着し、やむを得ず領地に入ったハロルドに逮捕を命ずるギィ伯の部分で、鷹を手にしたハロルドの一行がポーランドに送られる様子が描かれている場面」だった。

作品は、58コマから成る物語が特有の単純で平面的な線で扱われ表現されています。人々や馬のデッサンひとつ一つの動き生き生きと明確です。   未晒し麻地の上に、さだめられた毛糸で輪郭線をアウトライン・S(ステッチ)で、模様の中はフィーリング・Sの手法で刺し、かなり厚みを持たせています(サーフェイスサテン・Sの上に細い糸で、このステッチに直角に3~5mm感覚で糸を渡しコーチング・S止め、面を刺し埋めていく)。ヒダや模様の周りの線は、お互いの色を引き立たせるような配色で刺してあり、遠近感を感じます。また、フィーリング・Sの方向の違いで動きを出しています。(平成9年2月11日発行 おんどり刺しゅう研究グループ発行の冊子からの引用)

「複製に使われた刺繍糸は4番と25番で、定められた色数、スッテッチは2種類だけ」と、冊子には記されている。母の話だと、4番の糸とは、DMCのマタニア(現在の名称は、ルトール)とマタルボン(越前屋のオリジナルブランドの刺繍糸)を使用していた。本物のタペストリーは毛糸で刺繍されているが、複製に使用された刺繍糸の素材は、コットン(綿)だ。

引用文の中に「3~5mm感覚で糸を渡し~」とあるが、当時、一度「5mm幅で刺したもの」を板垣先生に持参したところ、やり直しとなり、全部ほどいて「3mm幅で刺し直し」をしていた母の姿が、思い出される。あの頃、母は若かった~といっても、今の私よりも年齢は、7~8歳上だった。

そう思うと、母の「創作エネルギー」は、すごい!

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母がもっている「フランス製の刺繍キット」には、ウールの刺繍糸がついていた。

刺繍の図案が描けて「一人前」

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母が当時、トレッシングペーパーにおこした「図案」が、今も残ってる。その「図案」には、刺繍糸の番号も細かく書かれている。そこからさらに、チャコペーパーで布に図案を描き写したわけだ。

母が以前「刺繍を学ぶ中で、図案が描けるようになるまでが、一つのスッテップ」、こんなことを言っていた。一見、刺繍は「針と糸の作業」だけでど、母の言葉の通り「図案を描く」ことは、刺繍作品の基礎的な作業なのだ。だからこそ「図案が描けて一人前なのだ」と母は言う。

実家を片付けた時も、母は刺繍糸よりも「図案は取っておいて欲しい」と私にはっきりと言った。いじわる娘の私は、「取っておいて、どーするの~」と思ったけれど、刺繍作家にとっての「図案」は、重要なものらしい。

たぶんピアノを弾く私からしたら「楽譜」と同じなのかもしれない。私も、ピアノの「楽譜」は、どんなにボロになっても、絶対に捨てることはない。

今は、眠っている「母のバイユー・タペストリー」

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複製されたタペストリーは、日本国内の数か所で展示された後、母が担当した場面だけは、母のもとに戻ってきた。それを母は「額」に収め、実家のリビングにずーっと飾っていたけれど、今の場所に来てからは、「額」が大きいのと雰囲気が部屋に合わず、飾ってはいない。

引越の時、額の箱も見つからず、ビニールのプチプチに部分的に包み、大きな布団用風呂敷に包まれて、今は部屋の片隅に置いている。こんな扱いでいいのだろうか~と思いながらも、飾る場所がない…

「もう二度とできないわ~」と、母は言っている。母だけではない、当時の他の方々の、この素晴らしい作品は、今それぞれの場所で、一体どうしているのだろ~。

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