はじめてメルカリやってみた 60歳の私 その2
実際にメルカリを始めてみてどうなったか
刺繍糸は飛ぶように売れた。
驚いた!
私の場合、出品の作業とは、まずパッケージを作り値段を決め、写真を撮りキャプションを書き、マイページにアップするまで1時間近く掛かるのだ。
特に写真は、部屋のどの場所がいいかとか、どんな風に撮るかとか時間が掛かる。同じ出品がいくらで取引されているのか、メルカリ内や原価のリサーチをしたりして、値段設定も時間が掛かった。
ひと作業終えると頭がクラクラした。
ところが、やっとの思いでマイページにアップすると、一瞬で“SOLD”が付いた。
昨今、SNSとかいろいろな言葉は耳にしていたし、インターネットは日常的に使っていたし、私自身Facebookもやっていたし、PCも仕事で使いこなしてきたという思いはあった。
しかし、改めてメルカリをやってネットの力を思い知った。
反応がこんなに速いんだ!びっくりした。
しかも、北海道から沖縄まで、日本全国の人たちとやり取りが始まった。
すごい!
もう一つ驚いたこと
こんなに 刺繍を楽しんでいる人達がいる、という事が驚きだった。
高齢の母がずっと一緒に刺繍をやってきた方たちは、亡くなった方もいる。体が不自由になってしまわれた方も多い。もちろん先生も亡くなられ、母にしてみれば、刺繍をやっていた仲間とも会えなくなり、世の中の人たちが刺繍をやめてしまった、そんな思いだった。
ところが、日本全国こんなに刺繍を楽しんでいる、母からしたら若い人達がいて、自分が長年やってきた刺繍が、次世代に繋がっていることを知ることができたのだ。
「刺繍、楽しんでいます!」というコメントから、「ハンガリー刺繍を練習しています!」とか「ハーガンダ―勉強しています!」などコメントを頂くと、知識ばかりのペーパー手芸家の私は、頭が下がる思いだった。
メルカリのプロフィール欄に母の簡単な経歴も書いた。母の物を出品していることも載せている。コメントで「お母様によろしくお伝えください」と書いてくださる方が沢山いて、様々なコメントに母は、励まされた。
糸番号は糸の太さを表わしているが、25番以外の糸も沢山あった。また素材もコットンであったりウールであったり、メーカーもDMC(フランス製)以外の物もある。母のもっている糸は、刺繍の種類分、あらゆる糸があった。
特にドイツ製のアンカーやマデイラというメーカーの糸は、母が持っているものが古いので、西ドイツ製だったりする。
また糸に付いているラベルも時代とともに変化している事が、母の糸から伺える。刺繍糸の博物館ができるかもしれないとふと思った。
自分が出品するものに説明文を付けるため、どんな刺繍で使われる糸なのか、わからないことは何でも母に尋ねた。
私が初めて耳にする言葉が、母の口から出る。特に刺繍用の布については、さすが、50年のキャリアを持つ専門家だ、母はよく知っている。
クロスステッチに用いられるジャバクロスぐらいは知っていたが、コングレス、ダボサ、ドレパリ、すべて布の名前。それをネットで調べ、出品のキャプションを書いた。
そしてコメント欄には様々な問い合わせ、質問も寄せられた。
それらに答えるために必要な物は、全て揃っていた。
母は、なんでも持っている。DMCだけでなく、あらゆる糸メーカの刺繍糸の色見本とか、刺繍用の布の見本とか、刺繍に関するあらゆる書籍も持ってる。
実の母とはいえ、年老いた母との二人暮らしは、ストレス以外の何ものでもなかった。でもメルカリのおかげで、母との会話がつらくなくなった。
そして幼いころから、母の刺繍に囲まれて育った私だが、刺繍がこんなに多岐にわたり奥深い物かと、初めて知ることになった。
どうやら私は、店舗を構えることなく手芸店を開店したようだ。
しかもそこには、日本全国からお客様が来てくれる。
そして交流ができるのだ。
こんな世界があったのか!
「楽市楽座」が歴史の教科書に載っているように、私にとってメルカリは、それに匹敵する歴史的出来事だった。
世の中は、こうやって変化していくのだと~、と今更ながらひしひしと実感したのだった。
メルカリをやってみて、私に起こったのは、Windows95以来の“第二次IT革命”だった。
そして私が痛感したのは、専業主婦だった母の刺繍創作活動を見守っていた父の愛情だった。(続く)
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