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ちょっとスピリチュアルな話

「死んだ自分の父親が、お経をあげて欲しいって夢に出てくるの」と母が、何度も言う。

 我が家の家族の中に、霊感が強い者がいる。  母も、どちらかというと霊感が強い。 

 一緒に住んでいた、父方のおばあちゃんが亡くなった後も、母は度々「おばあちゃんの姿を家の中で見かけた」と言っていた。 

 この母の夢に出てくるのは、私からしたら「母方のおじいちゃん」だ。

 しかも、このおじいちゃんは、私が生まれる前に亡くなっているので、私は、会ったことは無い。

おじいちゃんは、東京・港区の浜松町で「活版印刷屋」をやっていた。

 関東大震災前までは、愛宕神社のそばに住んでいたけれど、関東大震災で家がダメになり、現在の浜松町駅の近くに家を建て直し、移り住んだ。

 だから母は「浜松町で生まれ育った人」だ。

空襲で、家が焼けるまで母の家族は、港区浜松町に住んだ。 

 おじいちゃんは、毎日のように近所の芝の増上寺に、お参りに行っていたと母から聞いている。 


だから母が、何度も言うので、おじいちゃんのために、「増上寺」でお経をあげてもらったことがある。  

増上寺は、母にとっても、おじいちゃんにとっても、馴染みのあるお寺だったからだ。 


ところが、その後もおじいちゃんは、夢に出てきた。


 おじいちゃんの願いは、何なのか。

おじいちゃんの「お墓」は、信州にある。
お墓参りも、今まで行くことはあったし、私のいとこが、ちゃんとお寺とのお付き合いもしている。

 それなのに、何故おじいちゃんは、母のところに出てくるのだろう・・・?

 そんなある日

「おじいちゃんが亡くなったのは、終戦の翌年で、何もない時代だったから、今までおじいちゃんの法事をやったことが無い」
と母が言い出した。

  おじいちゃんは、終戦の翌年、疎開先の長野の上田であっけなく亡くなってしまった。

 もしかして、「法事」をやって欲しいのかな~。 

 「おじいちゃん」が亡くなって、70年以上経っている。


 いったい何回忌なんだ~?? 

そう思いながら、私は信州のお寺に電話をし、事情を話した。 

 お寺の方が、「だったら、志願忌としてやりましょう。」と言ってくれた。

私は、高齢の母を連れての旅行は、ちょっと大変だな~と思った。「一緒に行かない~?」という気持ちもあって、霊感の強い(⁈)長女に相談をした。 

娘が、「自分の小学生の息子を連れていけ」というのだ。 

何故なら「おじいちゃんからしたら、自分の娘(私の母)の子孫に、男の子がいるという事で安心する」というのだ。

  確かに、むかしの人だから、自分の末えいに男の子がいるという事は、大事なことに思っているはずだ。私には「男兄弟」はいない。そして「娘だけ」で「息子」はいない。


結局、娘親子と一緒に4人で、信州のお寺に向かった。

信州

お寺は、長野駅から車で10分ぐらいの場所にある。

母は子どもの時、父親に連れられて、このお寺をよく訪れ、泊まったこともあったという。

母の話を聞いていると、おじいちゃんは、「このお寺が好きだったんだ」ということがわかる。 

 秋の信州の空は、澄んでいた。

 お寺の本堂で「般若心経」をみんなで唱え、お墓参りをし、おそばを食べて帰ってきた。 母にしてみれば、「娘」と「孫」、そして「ひ孫」まで同行したこの旅行は、楽しいものとなった。

 コロナ禍で、旅行が憚れる今の状況を思うと「また行きたい」と母は言うけれど、日に日に歳をとっていく彼女にとって、この旅行が、もしかしたら「最後の旅行」だったのかもしれない。 

会ったことのないおじいちゃんと「繋がり」を持てたことが、私は、なんだか嬉しかった。 

それ以来、おじいちゃんは、母の夢に出てこなくなった。


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テレサ
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