母(95歳)第2回「講演会」~聴衆「おばあちゃん」の「発言」とは・・・
母が入所している高齢者施設のスタッフさんから、お願いされて、母は、同じ入所者さんを相手に、お話をするようになった。
最初、1人から始まり、2回目の参加者は4人になった。
全員、母よりも5歳ぐらい若い方たちだ。
しかし、母以外は、全員「車椅子」を使っている。
2回目の「お話会」の中で、母は、戦時中、弾圧を逃れ中国の奥地に逃げていた共産党員の「徳田球一」の話をした。
この「徳田球一」が、戦後、日本に帰国し、当時、「GHQ本部」があった、日比谷の「第一生命ビル」の前で、
「マッカーサー バンザ~イ! 」と叫んだという出来事を話した。
当時の「新聞」で、報道された有名な出来事らしい。
すると、参加していた「おばあちゃん」が、
「その話、亡くなった主人から、聞いたことがあります。」と言った。
この「おばあちゃん」の亡くなった「ご主人」は、母と同じ「昭和4年生まれ」の方だそうだ。
母は、この「お話会」について、
「こちらから、質問しても、答えてくれないし、
誰も、な~んにも、言わないの。
2時間近く、一人で喋りっぱなしで、疲れるのよ~
今度は、断ろうかと思って・・・」
いつも、こんなことを言う。
でも、今回の「母の話」に、その「おばあちゃん」は、反応した。
断ろうかと思っている母に、私は言った。
「でも、そのおばあちゃんは、
亡くなった、ご主人の事を思い出して、
かなり頭の中が、活性化されたと思うよ~」
施設のスタッフさんは、年齢がいっていても、私ぐらい(60代)だ。
母が話すような「話題」を提供することは出来ない。
人生の終焉を迎えている、施設の高齢者の方々にとっては、
母の話から感じる、当時の「時代感」のようなものが、かえって「刺激」になる様に思う。
「今度、何を話したらイイの~?」という母に、
「西南戦争の話でもしたら~」と私は言った。
母のおじいちゃん(私の曽祖父)は、「西南戦争」に徴兵され、香川の丸亀城の石垣を踏み外し、その時のケガがもとで、若くして亡くなったからだ。
「西南戦争」と言えば、「西郷隆盛」だ。
母は、「西郷隆盛の唄」を知っている。
不定期で開かれる母の「講演会」の開催が、
次回が、いつなのかは、分からないけれど、
もしかしたら、
この「唄」に反応する「おばあちゃん」が、いるかもしれない。