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【その2】新年早々、「語べ母」の「歴史講演会」~「運河」の名前が思い出せない💦
まだ、立春前なので、「新年ネタ」セーフかな~
この記事の続きです。
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2025年元旦、母の「入所施設」のロビーに集合した「家族」を前に、母が、自身の「高等女学校入試」のことを話した。
母の入試は、「筆記」は無く、全てが「口頭試問」と、実技(ラジオ体操)だった。
母は、どんな問題が出されるか、それなりの「入試対策」をしていた。
丁度、「高等女学校受験」の前年(昭和16年)12月に、大東亜戦争の「開戦の詔勅」が出された時だった。
当時の「時事ネタ」であったから、母は、出題されるのではと「暗記」を試みたが、文章がとても長くて、「覚えきれなった」と言っていた。
実際、母が入学後、友人の中に、入試の際「開戦の詔勅」を言わされた人がいた。
やはり、母の山は、それなりに当たっていた!
入学試験では、一人ずつ部屋に入り、試験官から出された問題に答えていく。
母は、部屋に入り、「受験番号」と「名前」を、試験官に伝えた。
この時の「受験番号」を母は、しっかり憶えている。
「地図」を見せられ、どこの場所かを聞かれた。
その「地図」は、現在の「マレー半島」の地図だった。
当時、この辺りは、「昭南市」として、日本の領土だった。
「これは、どこの地図ですか?」と聞かれ、
「昭南市です。」
「現在、この場所は、どのような状況下にありますか?」
当時の新聞から得た情報を、母は、しっかりと答えた。
戦時中、日本の領土だったマレー半島は、「昭南市」と呼ばれていた。
イギリス領だったシンガポールを、日本が奪還した、「マレーの虎」と呼ばれた「山下奉文 陸軍大将」が、「運河」に石油を撒いて、火をつけ、イギリス軍に勝利した話を、母が始めた。
母の話す戦時中の出来事は、その殆どが、当時の「新聞」から得た情報なのだ。
記憶が曖昧な時もあるけれど、母がむかしの話をする時は、頭の中に当時の映像が映し出されているようだ。
停止ボタンを押さなければ、その映像は、次々と、母の頭の中で投影される。
話の流れの中で、母は、「運河」の名称を、サラ~と言った。
「○○○運河に、日本軍が、バーッと火を付けて、敵を追っ払ったのよ~!」
この時、私は、ボイスメモを取らなかった。
後日、
「お正月に話していた、マレー半島にあった運河って、なんていう名称だったっけ?」
と母に尋ねた。
ところが、母は、思い出せない~!!
え~っと
え~~っと
なんだっけ~??
全然、思い出せない。
あんなに、活舌よく喋っていたのに・・・
歴史好きな「次女の夫」が、貴重な話だから「動画を撮ったらいい」と言ったけど、本当に、その通りだ!
母が喋り出した時に、直ぐ「記録」しないと、後で質問しても「巻き戻し」に時間がかかり、「答え」に到達できない。
その後、ネットで、調べてみたけれど、「山下陸軍大将」のことは出てきても、当時マレー半島にあった「運河」の名称は、分からなかった。
それでも、どうにか調べてみると、「ジョホール水道」(ジョホール海峡)という言葉にたどり着いた。
母は「運河」という言い方をしていたけれど、
此れかも~??と思った。
次回の面会の時に、確認してみよう。
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