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週末旅をお勧め(番外編):四泊五日で三陸海岸を北上する旅

今回も夏休みを利用して長い旅なので番外編です。2011年の東日本大震災で一番大きな被害があったのは三陸海岸で復興も進みつつあり、そんな三陸海岸の現状確認と旅行してお金を使う事で支援するという旅です。

【1】今回の旅の目的

2011年3月11日に発生した東日本大震災で三陸海岸は津波により大きな被害を受けました。三陸海岸はリアス式海岸と学校で学んだ通りに津波などの被害が大きくなる地形であり、震災から8年たっても復旧の途中でもあります。
そんな三陸海岸ですが震災から少し時間が経過している事で旅行をして現地でお金を使う事も支援の一部になるし、あらためて震災の恐ろしさを見て今後の生き方を考えてみるような事もあり夏休みに旅行する事としました。

【2】三陸海岸の旅の計画(移動・宿)

三陸海岸は東北の東海岸に南北に細長くプランが立てずらい。飛行機(JAL)を使う事が基本の旅なのでJALグループが就航している空港は、南は山形・仙台で北は三沢・青森となる。仙台空港は羽田からの直行便がないので除外するとして初日は早めに動き始め最終日は余裕を持つことを考えて、山形空港から三沢空港のプランとした。

移動:羽田⇒山形、三沢⇒羽田の航空券はJALダイナミックパッケージ
   で予約
移動:レンタカーをダイナミックパッケージで予約
宿泊:ルートを考慮し気仙沼・遠野・八戸をJAL第二ミックパッケージで予約
   ダイナミックパッケージで予約できなかった久慈は直接予約

【3】おおよそのルート

1日目:羽田空港(07:15)→JAL175→(08:15)山形空港→松島→気仙沼(泊)
2日目:気仙沼→巨釜・半造→毛越路→中尊寺→遠野(泊)
3日目:遠野→浄土ヶ浜→龍泉洞→安家洞→北山崎→久慈(泊)
4日目:久慈→平庭高原→北山崎→小袖漁港→八戸(泊)
5日目:八戸→蔦沼→八甲田→三沢空港(19:05)→JAL158→(20:30)羽田空港

【4】三陸海岸旅行の写真レポート

(1)1日目の行程
羽田空港~山形空港~松島~御番所~神割崎~気仙沼(泊)
今回は長期でもあるし、夏価格で羽田空港の駐車場も高いし公共交通機関でも間に合うフライトスケジュールなので電車+連絡バスで空港に向かう。空港に到着しJALラウンジでおにぎり朝食を食べながら撮影した機材はオリンピック仕様

そして搭乗口へ。山形へはJ-AIRのERJ-190の小型機でバス搭乗になる33番ゲート

機内に乗り込んでプッシュバックが始まった時に窓から外を撮影

天気もよく離陸動画を撮影。北への飛行なのでC滑走路を海に向かっての離陸でD滑走路を見ながら左ターン

飛行中も天気が良く地上風景を眺めながらの飛行でスキー場のある山を撮影。どこの山かははっきりわからないが時間から考えると那須岳の付近のよう。近くの親子の会話は『東京の北なので北アルプスに決まり』らしい(笑)

山形はタイムテーブルでも1時間であっという間に着陸時間で、いつものように動画を撮影。着陸して滑走路でUターンしてスポットまでを撮影

空港でレンタカーをピックアップし最初は松島が良く見える松島四大観と言われる大高森の展望台に到着。大高森は松島湾に面した宮戸島の中央にある展望台で海岸線の道路の駐車場からは10分程登った所にあり、まずは駐車場で撮影

入口の階段で歩きやすい階段になっています

少し登ると山道になって来ました

さらに登ってくるとハイキングコースの様になってきました

一番高い所の展望台からは海が良く見えます

別の方向の海の風景です。松島の付近の海岸線は同じ様に小島が多いですね

山の頂上のような場所に着きました。小さな東屋がありました

大高森から下りて海岸線で小さな島があり神社になっていました。後で確認すると小鍋島でした

嵯峨見台という展望台にあがる途中にある『潜ヶ浦聖観音堂』です。岩の下の窪みにはまり込むように建てられていました

嵯峨見台の一番上の展望所からの写真で少し海面から出ているのは黒島です

すこし下がった所で撮影した写真で針のような岩が見えますが船越島の近くにある岩だと思います

海岸線を走っていると右前の方に一つだけ岩があり、後で調べてみると鷺ノ巣岩と言う名前でした

海岸線を走っていると昼食を食べるところがなさそうですが、たまたま営業している『瑞幸』というお店があったので入って昼食です。海鮮丼ですがクジラも含まれていて、左側の白い棒状の2本がクジラです

昼食を食べたお店で食後に車に戻った時に室内がかなり暑くエンジンを始動しエアコンで少し冷える間に駐車場から景色を撮影しました

海岸線を走っていて立派な漁港が見えました。桃ノ浦漁港らしいです

月浦は伊達政宗の命を受け支倉常長がローマを目指して出帆した場所です。小さな駐車場がありすぐ上が展望台になっています

見晴らしの良い場所で広場には支倉常長の像が立っていました。下の方にある湾から出帆したのでしょう

震災復興の状況です。復興が進む三陸海岸で新しい道路の横に堤防が造られています

鮎川漁港を少し上からみられる場所があり、海岸線は津波でさらわれた建物が多く大きな一つの建物が復興で新たに建てられていました

御番所山という場所にある展望所で有名な金華山が近くにあります

少し沖にあるのが金華山で島の名前?山の名前?と思ってしまいますが両方のようです。小学校の社会の授業で金華山沖が好漁場というのを教わった記憶があります

展望台はかなり海からの高さもあり見晴らしが良いですが天気が少し悪く残念です

震災復興の状況です。道路も新しく舗装され白線も引かれたばかりでとても綺麗でした

神割崎キャンプ場の海岸です。神割崎に行く予定が通り過ぎてしまい逆から戻ってくるときに、またまた間違えてキャンプ場の海岸に行ってしまいました。海岸には溶岩が冷えて固まった柱状節理の岩がありました

柱状節理を近づいて更に観察してみました。大雪山の層雲峡や東尋坊が全国的に有名ですが、全国各地の海岸などで見る事が出来ます

ここが目指す神割崎の駐車場でした。左に見える階段を下りて行きます

階段の途中からの写真で岩を神様が割ったような所で名前がついているようです

一番下までおりて撮影した写真で綺麗に割れた所が真正面に見えます。時期によってはこの先に太陽が沈むとの事です

震災復興の状況です。川の河口近くの橋も少し高く新しく架けられたもののようです

ここも海岸線に新しい橋があり手前には大きな橋脚が造られていました

1日目の宿泊は気仙沼駅前のホテルに予約をしました。まずは駅舎を撮影

気仙沼で一泊するときに宿泊場所を検討して、港の方が食事処などに近くてよさそうに思えましたが、なんとなく震災の事を考え海から少し離れてさらに高さがある建物のこのホテルにしました

ホテルにチェックインしてからまた気仙沼駅に来ました。駅舎の入口にはポケモンの人形が置かれていました。これは大船渡線に観光列車としてポケモン・トレインが走っているからです

気仙沼駅の発車案内です。震災を受け鉄路がBRTになっているので表示もそのようになります

駅構内にはそのBARTの車両(バス)が停止していました

気仙沼市街地の風景です。古い石造りの建物があります。駅のすぐ近くですが海岸線からは離れているので津波被害はなかったようです

市街地にあった北野神社の入口の鳥居です。 道路に鳥居はありますが神社はさらに高台にあり津波などの被害などを受けない場所にあるのでしょう

1日目の夕食は街を歩いてみて良いお店が無かったのでスーパーでお弁当を購入してホテルの部屋で食べました。居酒屋はたくさんあったのですがお酒は飲まないのでそれ以外を探したのですが普通の食堂は見つかりませんでした。

(2)2日目の行程
気仙沼~巨釜・半造~毛越寺~中尊寺~遠野(泊)
一夜明けて出発前に気仙沼駅が鉄道とBARTの混在になっているので気になって入場券を購入して探検してみました。こちらは大船渡線の方で震災影響もなく普通の鉄道の駅ですね

こちらは気仙沼線の方のプラットホームの写真でホームのずっと手前で線路が終わり車止めが設置され、右側の道路がその先で進入しています

道路側は徐々にプラットホームと同じ高さになり通常のバス停と同じになりBARTの駅となっています

気仙沼近くの大島には観光名所がありまずはこの気仙沼大島大橋を渡って島に渡ります

来たのは龍舞崎で駐車場に車を止めてそこから海を撮影した写真です。天気が良ければ海がもっと青く綺麗でしょうね

駐車場から遊歩道を歩いていくと先端にある灯台が見えてきました。この場所が海面より高さがあるので灯台自体はそんなに高くはありません

灯台の横あたりにこの場所の看板がありました

先端まで来てその先の海を撮影したもので天気が悪いので海が荒れているのか、いつもこのくらい荒れた海なのかわかりませんが、かなりの白波が立っていました

戻るときは向きが逆になるので右側の小島が見えました

大島の中央にある大島神社で、その入口での写真で鳥居の先の石段を登っていきます

鳥居の先の長い石段を登った先にある本殿です

唐桑半島には海岸線に奇石がみられる場所が2つあり一つ目は巨釜です

巨釜の中でも一番の奇石はこの折石(おれいし)です。高さは16mもある細長い石で明治29年の三陸大津波の時に先端が2mほど折れてしまったので折石という名前だそうです。これも古い時代の震災遺構ですね

海岸線はゴツゴツした石で波も荒々しかったです

折石を別の角度から撮影したものでどこから見ても細い一本の石の柱ですね

巨釜とは丸くなった岩の所に波が押し寄せてお釜で湯が湧くような所から名付けられたそうです

半島はまだまだ先まで続き、そこには別の名前の奇石のエリアがあります。この後はそこに行きます

唐桑半島にある奇石がみられる場所でさっきまでの巨釜と一緒に巨釜半造とも言われることがあります。遊歩道もつながっていて500mくらいの距離なのですが時間的に短縮したいので車で移動しました。巨釜と同じように荒々しい海が見えます

奇石はトド岩・トンネル岩・風穴などがありますが、これは名前がありませんがカエル岩のと名付けました

柱状節理とは違う石の重なりの海岸です

少し遠くの海岸の岩場を撮影したものです。天気が悪くていい写真が撮れなかったですね

海岸線の直ぐ前にある岩で手前は煮立っているような荒々しい海です。半造とは前の巨釜に近い名称でお釜が未完成のような半分だけ完成したものという事から名前が付いています


2011年の東日本大震災の津波でも生き残った一本松で、その後に枯れてしまい今はレプリカとして残されました

大船渡線の摺沢駅に黄色い車両が止まっていました。すぐ発車のようで少し離れた所に移動します

大船渡線を走るポケモントレインです。大船渡線の一ノ関駅と気仙沼駅を走っていて、観光列車です

猊鼻渓に来てみました。散策路を猿いて見る事が出来るかと思っていましたが、船の業者の為なのか船に乗ってしか見る事が出来ず、その船も凄く高いので船着場でUターンです

この船に乗って行くようでした

猊鼻渓の舟に乗らなかったので時間が中途半端になってしまいました。次の毛越寺に着いた時に昼を過ぎてしまいましたが、うどんを食べられる所があり、そこでそばとうどんの合い盛を食べました

昼食後は毛越寺のお参りと境内の散歩です。この写真は本堂を撮影したもので薬師如来に日光・月光菩薩が安置されています

本堂に近づいて撮影したもので薬師如来様が少し見えます

南大門跡のポールが立っていました。かつてはここに南大門があり礎石だけが残されています。(看板の左で奥のベンチの前に見えます)

南大門の先で撮影したもので、この大泉が池は浄土庭園として有名です

「大泉が池」は東西に細長く水面が静かなので空の映り込みが綺麗です

「大泉が池」の西の端からの撮影で池の細長いのがよくわかります

「大泉が池」の西にあるお堂で、毛越寺を開山した慈覚大使をお祀りする開山堂です

南大門跡の対岸にある常行堂です

常行堂を近くで撮影したもので1732年に再建された建物だそうで宝冠阿弥陀如来が本尊だそうです

常行堂から大泉が池を撮影したもので、この一帯は玉砂利のような岸になっています

出島と池中立石で荒磯の風情を示していると言われています

池中立石を斜めから撮影したもので高さは2.5mあるそうです

毛越寺の次は世界遺産にも登録されている中尊寺です。
中尊寺の駐車場に車を止めてからまずはこの道を行きます

世界文化遺産に登録されている中尊寺は金色堂が有名ですが、広い敷地で金色堂に着くまでの参道も樹齢の長い木々の間を歩いて行きます

緑の中を金色堂に向かって歩いていくこの時間が期待が高まる時間です

少し歩いた参道の左側に弁慶堂がありました。この弁慶堂は文政10年に再建されたものだそうです

参道から少し遠くが見える場所がありました。高架線が見えますが東北本線と国道4号線です

さらに進んだ参道の右側に地蔵堂がありました。1877年に再建されたもので地蔵菩薩が祭られていて写真でも少し見る事が出来ます

さらに参道はいい雰囲気になって来ます

地蔵堂からすぐの参道の左にある薬師堂です。1885年の改築で薬師如来を祀っているので薬師堂となっています

薬師堂の隣にあった観音堂で詳しい説明は覚えていませんが観音菩薩を祀っているのだと思います

有名な金色堂は数あるお堂の一つであり中尊寺の本殿は参道途中の右側にあり、そこへはこの薬医門をくぐっていきます

中尊寺の本堂です。他のお堂と比べても大きさは一番で、金色堂が目的でも失礼が無いようにここでお参りは必ずしましょう

本堂近くにある不動堂で昭和の時代に建立された新しいものです。但し祀られている不動明王は1684年のものだそうです

参道の右手の上の方に小さな建物がありました。1343年に造られた梵鐘がある旧鐘楼です。長い年月に渡って突かれていたために窪んで、いまはそのままになっているとの事です

いよいよ金色堂です。と言っても金色堂自体は撮影禁止で痛んでしまうのでこの大きな建物で覆われていて、この建物の中にあります

経蔵で昔は2階建てだったのが1337年の火災で2階が消失し再建されたものだという事で、収められていた文殊菩薩は重要文化財であり、お経は国宝で宝物殿に移されているそうです

旧覆堂で金色堂を守るために鎌倉幕府によって立てられたお堂で金色堂の修復の時にこの場所に移築されて今の鉄筋コンクリート造りの建物になりました。この写真からもわかるように金色堂は小さなものです。松尾芭蕉や伊達政宗などの歴史上の人物はこの建物の中で金色堂を参拝したそうです。この建物自体も重要文化財です

少し前に雨が降ったので空気中の水分が多く木々の間からの日射しがこの水蒸気にあたりとても良い雰囲気です

峯薬師堂で別の場所にあったのですが火災などにたびたびあい1689年にここに移されたとの事です。薬師の名前がついている通り薬師如来は元々ここに収められていたそうです

宿泊するホテルに行く途中に遠野駅があったので撮影しました

この日に宿泊したホテルは二食付きのプランしかなかったので夕食はホテルです。その夕食はこんな感じでした。この写真以外にもデザートが出ました

(3)3日目の行程
遠野~続石・泣石~浄土ヶ浜~龍泉洞~安家洞~北山崎~久慈(泊)
宿泊したホテルの所から鍋倉公園の入口があり、その鍋倉公園は鍋倉城があった所で、その途中に神社があります

南部神社は鍋倉公園の入り口にある神社で明治時代に南部家の書物や宝物を治めるのと南部家の4代から8代を祭る神社として地元有志によって創立した神社です

鍋冠城址公園から遠野市街地を見渡すことが出来ます

一番高い所に建物がありますが、展望台として立てられたもので昔の城とは関係ありません

三の丸の跡というポールがあり、左の方に基礎石のようなのが埋まっていました

頂上付近の石段は苔むしていて昔のお城の時のものがそのまま残っているのではと思います

階段を登った先には立派な本殿がありました。手前には狛犬もあります

本堂の左上の山の斜面で何か動くものが見えました。カメラのズームを使って撮影してみたらニホンカモシカの親子でした。子どもは草を食べていてカワイイですね

ホテル近くの次は遠野市ですが遠野の街中から少し離れた所にあり東北縦断自動車道の近くから山の中に入っていくと五百羅漢様があります。入り口からすぐ木の橋があり、そこから山の奥の方に登っていきます

200年くらい前の江戸時代の飢饉で無くなった人たちの冥福を祈り自然石に五百羅漢様を掘ったという事で、ここに写っている石に羅漢様が掘られていますが苔むしていて良くわからないものも多くあります

石を彫刻して羅漢様を作ったのではなく石に掘りこみで羅漢様が描かれているので、苔で見えなくなっているのが殆どでした。いちばん奥には清水が湧いている場所があり、そこには小さな祠がありました。湧いた水はすぐに地中(岩の間)に入り込み川の様にはなっていません

さらに遠野の市街地から離れた山中にある続き石は道路沿いの駐車場に車をおいて山道を登っていった所にあり、その入り口には鳥居が立っていました

登り口に「くま注意」の看板がありましたが少し不安となるような道です

登っていくと最初に「泣石」があり、伝説で弁慶が石を最初に乗せたのはこの「泣石」といわれ石を乗せられて泣いたので弁慶は別の石に乗せ換えこの石は放置されたようです

弁慶が乗せたと言われる「続石」が見えてきました。大きな石が不安定に乗っている様子は柳田国男の遠野物語にも出ていて、ヨーロッパを起源とし朝鮮半島を経由して伝わったドンメルという墓石に似ているそうです(弥生時代に途絶えたそうです)

この角度からみると安定しているように見えますが

先ほどとは角度を変えて撮影したもので、本当にバランスよく載っています。2つの石に乗っているように見えますが左側の石には載っていません

一つの石にしか載っていないというのが良くわかる角度で写真を撮影しました。どうみても左側に倒れそうに見えます

見る角度を変えると倒れないで載っている理由がハッキリとわかります。奥に少し見えているのは祠です

遠野を見た後は三陸海岸の釜石に向かいます。その途中で『鉄』活動を少し。足ヶ瀬橋梁跡は岩手軽便鉄道の橋梁の跡です。元は細い川に掛かる橋梁だったみたいですが少し下流にダムが出来たために水位があがって変わった形になってしまいました

さらに釜石に近づいたところには釜石鉱山跡があります。江戸から昭和まで鉄鉱石を採掘し釜石の製鐵の町にした鉱山で、一番上の橋梁のような所には鉱山鉄道が敷かれていて、そこから算出した鉄鉱石が右側に入り選別をする施設に投入されていました

釜石線は国道283号近くで甲子川を渡りますが、そこを含め高架になっています

なんと国道のまん中の中央分離帯に橋脚の柱が立っていました

そのまま釜石に向かって車を走らせているといつの間にか三陸自動車道に入ってしまい引き返すのも面倒なので次の目的地の浄土ヶ浜に行くことにしました。浄土ヶ浜の駐車場に車を止めて浜辺にはここを降りて向かいます

かつて極楽浄土のようと言われたことから名前がついた浄土ヶ浜は入り江の中に奇石が立ち並び天気がよかったらなぁという風景でした

入り江のために海は波が少なく流れもないようで、よどんだ海水で汚いのでは?と思いましたが三陸海岸の海はとても綺麗でした。惜しくは天気が悪かったので、太陽がもっと出ていたらもっと綺麗だったでしょう

散策路をあるくと外海の方を見られる場所があり、そこはこのように少し荒れた海でした。しかし前の写真の様に浜は静かな海でした

浄土ヶ浜から海岸線を北上すると山王岩があります。高さが50mはあるという大きな岩で岩手県の指定天然記念物に指定されていて、東日本大震災にも耐え同じ姿で立っています。 展望台から男岩をアップで撮影した写真です。展望台から下までの散策路があるはずですが通行止めで海岸線から眺める事は出来ませんでした

山王岩の近くには震災遺構の「たろう観光ホテル」があります。東日本大震災の時二階までが津波により破壊され、三階も津波で窓などが破壊されたホテルです。三階と言っても通常よりは高さがあるようなので通常の建物だと四階くらいはありそうです。ホテルとしては営業は出来ませんが震災の遺構として保存されています

この後は海岸線を離れ内陸に向かいます。目的地は龍泉洞です。龍泉洞は日本三大鍾乳洞の一つで天然記念物に指定されていて、700mも公開され地底湖もあるとの事で期待します

洞内はかなり観光地化されていて変なイルミネーションになっていて興覚めです

地底湖も変なイルミネーションであちこちも色がついた照明で観光地化されていて残念な鍾乳洞です

龍泉洞はとっても興ざめな鍾乳洞でした。近くに安家洞というのがあり来てみました

この安家洞はあまり有名ではないのですが総延長23.7kmと日本でいちばん長い鍾乳洞です

照明も最低限のあかりで変な色などをつけていないので良いです。この場所は大きな空洞になっている場所で上の方に鍾乳石がたくさんあるのがわかります

この一角は鍾乳石に石筍に沢山の形を見る事が出来、鍾乳石と石筍がつながって太くなっているものがあるなどとても凄いです

一般の観光コースは500mと短いのですがこの安家洞は総延長が23.7kmで日本でいちばん長い鍾乳洞で1000以上の分かれ道が確認されているそうです。探検エリアの23kmも案内の人と一緒に入ることが出来るようにツアーもあり8時間の探検コースで1人参加だと22,000円で少し高いですが参加してみたいです

通路もコンクリートなどではなくそのままなので石筍があったりして躓かないように歩く必要があります

次は北山崎に行くの海岸線に向かいます。その途中でトイレ休憩で「道の駅」のような案内がありそこは普代駅でした。駅のプラットホームにでて写真を一枚撮影

駅前の入口の写真で道の駅のように名産品を買う事ができ、少しお土産を購入しました

北山崎は三陸の風光明媚な所で有名な北山崎です。高さが200mくらいの断崖に奇石がたくさんあります

この日は天気がわるくいい写真が撮影できなくて残念です

ところどころにこのような展望台がありますが天気がわるくて残念です

北山崎は海岸線に降りたり色々と歩けるのですが雨で条件が悪いので宿泊地の久慈に向かいます。ホテルにチェックインして久慈駅に来ました。琥珀王国というネーミングがつけられています

駅構内を見える陸橋から撮影してみました。三陸鉄道の北の終着駅(始発駅)なので整備工場や洗車の装置などが見えます

久慈の町中を歩いていると教会の建物がありました。平屋の普通の民家の様ですが屋根の上の十字架に加え建物自体も上から見ると十字架になっているのと、左の方にマリア像がありました

そして夕食は街歩きで見つけたこのお寿司屋さんでの夕食にしました

(4)4日目の行程
遠野~平庭高原~北山崎~小袖漁港~八戸(泊)
この日の最初は平庭高原に向かいます。久慈から平庭高原に向かう久慈川沿いの道路は久慈渓流となっていて景色が良いところが多く、この写真は鏡岩と名前がついていて大きな一枚岩は立派です

岩の別方向を撮影したのがこの写真で、渓流の流れもとても綺麗です

久慈から平庭高原に向かう道路は一枚岩をくりぬいたトンネルを抜けるようになっています

平庭高原に到着しました。駐車場に車を置いてシラカバの散策路を歩きます。平庭高原は平庭岳の中腹に広がる広々とした高原で「日本一のシラカバ林」と言われていて散策路もあります

散策路はシラカバ林の中を縫うように続いていてとても気持ちの良さそうに見えますが、この木道のメンテナンスが悪く所々抜けそうだったり穴が開いていたりで景色を見てばかりいると危険です

どこまで言っても散策路はシラカバしか見えないのであまり面白くありません

高原近くでは道路の両側もシラカバ林が広がっています

前日にも来ましたが天気が悪かったが今日は少し良くなったのでまた来ました

第一展望台から先に道が続いていました

その先には断崖の下が見える所がありました。天気が良いので海の青さと白波でいい感じです

第2展望台から下の方にある海蝕洞窟の穴が見えます

海岸線まで降りる階段があり736段をおりると近くで穴が確認できます

下りた先から少しいくと滝が見えます。北山崎ではここでしか見られず階段を下りて来たご褒美です。とはいっても下りるのは容易ですが、これからの帰りの登りが大変です

その滝の所の横の沢沿いの道を森林浴であるいて登るルートもあるそうですが、道路が危険なために立ち入り禁止になっていたので、階段を736段登って戻る事にしました

ちょうどお昼の時間になったので昼食です。三陸海岸は海の幸が一杯でどこかで「うに丼」を食べたいと考えていて、この後に行く小袖の海女センターでも考えましたがこちらの方がすいているとのではと考えここで食べました

北山崎にも劣らない断崖絶壁の景色が見られるのが北山崎の少し北にある黒崎で、そこから北の海岸線を撮影したものです

先ほどの写真で見えたしたの小島をアップで撮影しました

黒崎の灯台があるようなので遊歩道を歩いていってみます

北緯40度を示すシンボルがありました。北緯40度というだけではなくその最東端という事で、この岬の東には北緯40度の陸地はないそうです

黒崎の灯台が見えてきました。この一帯は海面からの高さがあるので灯台自体はそんなに高くはありませんでした

黒崎の灯台から少し南の展望台でアンモ浦の滝が見えるという事で有名ですが、右側の深く切れ込んだ岩の切れ目の少し右側にあるはずですが、手前の木々が邪魔になってちゃんと見えませんでした

太田名部漁港の手前の県道に駐車場があり、そこから海岸線を見るようになっていたので車を止めてみてみました。海岸線にはいくつか岩があり、北山崎のような岩場が浸食で小さくなったような浄土ヶ浜のような景色でした

NHKの朝の連続テレビ小説の『あまちゃん』で有名になった小袖漁港で海女が多いところです。漁港にはそのドラマで有名になった「じぇじぇじぇ」という言葉の碑が立っていました。ここの海女は北限の海女という事でテレビの舞台となりました

漁港には海女センターという建物がありその上から見下ろした海で透明度が高いのですが冷たそうです

別角度で撮影した写真で、この辺りも海岸線まで岩の崖が続いています

小腹が空いたので海女センターで軽くうに丼を食べようと入って注文して待っていました。飲み物もセットでアイスコーヒーを飲んで待っていると『すみません、ウニがなくなってしまいました』という事でキャンセルとなり、アイスコーヒーは無料サービスとなり、ウニを食べると貰えるスタンプラリーもそのままに。その代わりに外に出て浜焼きのホタテを代わりに食べました。後日、ウニスタンプラリーの応募で商品が当たり自宅に届いたので「良かったのか?」と

種差海岸は岩場と砂浜から砂丘になり草が生えたような地形で有名ですが、天気が悪くなってきていて残念です。台風接近でその影響があるのかも知れません。岩場は柱状節理の太いようなのも見えます

このような広々した草原が続いていて青空だったら良かったのですが

種差海岸から少しの距離でこの日の宿泊地の八戸です。宿泊のホテルの本八戸駅のホテルにチェックインしてから町の散策と夕食に出かけます。最初は本八戸駅の駅前広場からの写真です。元は八戸駅でしたが東北新幹線の八戸駅が接続する東北本線の駅が八戸駅になり、その時に本八戸駅に改名されました。小田急線の厚木駅(海老名市)と本厚木駅(厚木市)にも似ていますね

散策している時にちょうど列車が来たので撮影しました

おがみ神社という場所の所の道路の横にお堂があり、その手前の壁に吹き出しがあったので撮影。『切り株の上に神殿があるらしいよ』と書かれていて、本当に切り株の上に載っていました

道路を横に曲がって境内に行ってみました。入口には鳥居があり、その奥に本殿があります

八戸城角御殿表門は八戸城に面した御殿の門で八戸城に面しているので八戸城にふさわしいようにという事で作られた立派な門だそうです

市役所近くに中央分離帯のようなロータリーがあり、そこには綺麗に刈り込まれた木が植わっていました

八戸市街地を歩いていてイベント広場のような「マチニワ」というのがあり、そこに山車が飾られていました

裏側にも入れるようになっていて後ろ側を撮影したものです。全面に渡って飾り付けられています

八戸での夕食は「さんりく」というお店で刺身定食を食べました。入口のサンプルからはだいぶダウングレードしているようです。定食は味噌汁だったので名物のせんべい汁を追加で頼みましたが、味噌汁がせんべい汁に変えられた様で単品価格より少しサービスかと思いましたがそんなことはなかったです

夕食後にホテルに戻るときに撮影した写真で、城址が公園になっています。左には八戸城址と書かれた石柱が立っていて、右側の面白い木の所には三八城公園と書かれています。Googleさんの地図でも二つの名前がありこの関係がよくわかりません

(5)5日目の行程
八戸~蔦沼~八甲田山~三内丸山遺跡~三沢航空博物館~三沢空港
最終日は三沢空港から帰ります。八戸から三沢空港は至近距離ですが八戸に宿を取ったのは前に来た時に八甲田山などが台風で行けなかったので回るためです。十和田市内を抜けて奥入瀬川沿いを山の方に進んでいきます

奥入瀬川がみられる場所があったので少し車を止めて撮影しました。十和田湖からの流れ出しの部分は奥入瀬渓流として有名な場所ですが、このあたりは普通の川ですね

蔦温泉が近くなってくいると木々の中を行く山道になって来ました

蔦沼は一つの沼の名前で紅葉の時期の写真が有名ですが付近一帯は池沼が点在し「沼めぐりりの小路」という散策路があるので、蔦沼だけでなくぐるっと散策する事にしました。写真はその散策路の入口で最初は木道になっています

最初は蔦沼からの流れ出しの川沿いを歩いていきますが、所どころ幅広く水が貯まり池の様になっている場所がありました

蔦沼に到着。まずは雰囲気を撮影

展望デッキからのアップの撮影でこのように静かな湖面に映り込みが綺麗で、秋の朝焼けの紅葉した時が有名で、その時期に来たいですね

あまりにも綺麗なので別角度でもう一枚撮影しました

蔦沼から次の沼に向かう「沼めぐりの小路」を奥に行きます。この辺りは木道になっていました

蔦沼の次は鏡沼ですが散策路は少し沼より離れていて木々のあいだから少し見える程度だったので沼に下りる道はパスして少し進むと水の流れがありました

鏡沼と月沼の中間地点くらいの場所でこの辺りは森林浴をしながら歩くことが出来ます

月沼までたどり着きました。ここも湖面は静かで映り込みがあり紅葉の時期は良さそうです

次の沼の長沼まで来ました。この場所から左右の幅は狭いですが奥行きが凄く長い沼で長沼と言う名前になっていますね

長沼の先は小高い丘を越えて菅沼に続いています。そのピーク地点で撮影したもので少し先から下っているのがわかります

菅沼への分岐地点でこの一帯は野鳥も沢山いる「蔦野鳥の森」になっているので、他の散策路もありその地図案内板がありました

菅沼は緑色が濃い沼で対岸の木々が森の様で映り込みはありますが、蔦沼とは少し違いますね

このあたりが瓢箪沼かと思っていましたが少し手前の様です。でもこの一帯が湿原であちこちに沼が出来るみたいです

蔦野鳥の森の手前は蔦温泉という一軒宿になっています。ここは駐車場からの撮影ですが温泉宿の駐車場と散策路を歩く人の駐車場があり、写真の右奥の方にはビジターセンターもあります

前に八甲田に来たときは台風の影響でロープウェイは動いていますが駐車場から建物が見えないくらいの霧で諦めたので、この日は天気が良くラッキーです。八甲田山へはこのロープウェイを使っていっきに高度を稼ぐことにしました

下の方に麓駅が見え、かなりの高度を一気にいけるので便利です

八甲田山は大岳を主峰として付近一帯の火山を集めた山塊を示します。ロープウェイであがった所から田茂萢岳付近の湿原を歩く散策路を歩いてみました

散策路の最初のピークからの写真でここには名前がついていません。遠くに見えるのが田茂萢岳です

八甲田山は平坦な地形が続き小さなピークがいくつもあります。そんな地形は迷いやすく八甲田山死の彷徨で知られる遭難も起きています。夏はこのようなハッキリした踏み跡で迷わずに歩けます

田茂萢湿原の池が見える所の展望場所があり、そこから撮影した湿原の様子です

湿原の展望台から少し歩いて撮影した写真です

湿原を回り込んだあたりは木道になっていました。小さなピークに到達し振り返って撮影しました

この辺りには紫色の花が沢山咲いていました。ギボウシという花の様です

少しのピークになっているので木道は下っています

八甲田山塊のピークとなる大岳への分岐地点に来ました

この日はハイキングなので大岳には行かずに田茂萢岳方向に行きます。正面に見えているのが田茂萢岳のピークですが

田茂萢岳のピークの少し手前での撮影です

田茂萢岳のピークの写真です。平らな山なので周りは藪で視界が効きませんでした

田茂萢岳を下ってからは視界があまりよくなく写真もいいのがなくてロープウェイの山頂駅に向かう所での写真です

ロープウェイの山頂駅近くで田茂萢湿原を俯瞰できる所があり、そこから撮影したものです。湿原の池が点在する向こうに散策路が通っているのが見えます

散策路を一周歩いて山頂駅まで戻ってきました

帰りは三沢空港からで八甲田山から行くつもりでしたが時間的に余裕があるので山内丸山遺跡に行くことにしました。分岐から少し進むと21kmの案内が出ていました

国道113号を走っていると岩木山展望所という場所があり景色が良さそうなので来てみました

どっちの方角かわからなかったのですが山は見えなかった気がします。正面の雲の下のがそうでしょうか?

三内丸山遺跡に到着しました。日本最大級の縄文時代の遺跡で入口のゲートは近代的でした

遺跡の中には復元された住居などがあります

山内丸山遺跡の中で一番有名なものはこの大型掘立柱建物です。柱のあった穴の配置や大きさなどから大きさを推定し復元された物です

実際の掘立柱の穴は発掘の跡にその状態を保つために、この建物で保存されています

三内丸山遺跡は広大で見るべきところも沢山ありますが三沢空港への時間が読めなかったので少し早めに移動します。三内丸山遺跡から三沢空港に向かう時に通ったみちのく有料道路です。交通量も少ない道ですが有料道路とは思えない道でした。荒れているというわけではなく一般道路そのものという感じでした

みちのく有料道路を通り少し時間があり小川原湖へ立ち寄ってみました

湖畔ではキャンプをしている人がたくさんいました

三沢空港に着きましたが時間がまだあるので、三沢航空博物館に寄りました。ここは三沢空港の近くにある航空博物館で大きな建物の中には屋内展示として航空機がありますし、屋外展示スペースにもたくさんの飛行機が展示されています

屋内展示されているYS11の機内です。座席は応接間のような形で荷物置き場はハットラックという名前のままで鉄道の網棚のような形状です。今だと荷物が落ちてくるので大変危険だと思いますが、当時は軽い帽子のような物しか置けなかったのでしょうね

屋内展示場のYS11です。日本エアーコミューターの塗装のままに展示されていました

屋外展示は軍用機が中心のようです。隣の三沢飛行場は三沢基地でもあり、その関係でしょうか?これはLockheed UP-3A Orionで対潜哨戒機で中に入ることも出来ました

三沢空港は正式には三沢飛行場で米軍と自衛隊の軍の空港の一部として存在します。ターミナルビルは小さく空港のエプロンも滑走路の端に分離するようになっています

空港到着後に荷物を預け展望デッキに出てみました。展望デッキには大きくMISAWAの文字が書かれていました

札幌(丘珠)からのJAL2819便が到着しました。SAAB340Bを使うHAC(北海道エアーシステム)の運行です

展望デッキでの撮影を終えて夕食を食べました。夕食は青森のソウルフードでもあるバラ焼き定食にしました。牛肉とタマネギを炒めて甘く味付けしたものです

夕食後はセキュリティを抜けて搭乗待合室でエプロンを見ながら待ちます。展望デッキからの写真でもフェンスがありましたが三沢空港は米軍管理でもあり面白い造りです。それがわかるのが羽田からのJAL159便が到着した時で搭乗待合室から到着のシーンの動画を撮影しました。737が空港のスポットエリアに入ってくると、その外側は軍の一般エリアで米軍の一般の方の自家用車が普通に通過し、さらに区切りとなるゲートが閉まる様子がわかると思います☆

搭乗待合室からボーディングブリッジに到着した機材を撮影しました

三沢空港の搭乗ゲートは一つでその表示を撮影しました。『遅れております』の表示でしたが羽田到着はそんなにずれませんでした

機内に入り撮影した写真です

いつもの様に夜間の三沢空港を離陸するシーンを撮影しました。明るければ米軍基地内の設備も見えますが暗いので雰囲気だけです

離陸してからは機内WiFiでFlightrador24で飛んでいる位置などを見ながら過ごします。夜間なので地上風景もほとんど見えず羽田空港に近づきます。途中の景色が見えなかったので夜景が見えて来たから長回しで羽田空港に着陸する動画を撮影しました☆

家に戻ってこの旅で記録したGPSデータを地図に落としたのはこれになります

【5】まとめ

・2日目は天気がいまいちでしたが、全体的には雨も降らずに観光が出来た
・三陸海岸の復興状況を見て、まだ時間が掛かりそうという印象を持った
・岬などを細かく見たかったがリアス式海岸で思ったより時間がかかるので
 かなり省略した
・三陸鉄道に乗りたかったが全線を往復するには丸1日以上かかるので断念
・台風接近で天気が悪い日があり、いい写真が取れない日があった
・この旅で掛かった費用は次の通りです。日数が長いのとレンタカーも少し 上のプリウスを借用したのでかなりの費用になってしまった。でもプリ
 ウスはエコ走行でもなくエアコンもフルに使用して1260km走っての燃費
 は25km/Lと優秀だった

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