人生を断捨離したら宝物がいっぱいになった
私が今、幸せな気持ちで自分の好きな暮らしをはじめつつあるのは
断捨離が大きなポイントだったって言える
私は自分のものを1トントラックいっぱいに捨てた。
それだけ捨てられたのは私が私で生きてこなかったからだ。だから執着なくどんどん捨てられた。
どうして今になって執着がなくなったか。これも重要ポイントだね。
それは母が亡くなり母をサポートするという私が設定した人生の大きな役割が終わったから。たくさんの苦労があったけど、この上なく美しい楽しい冒険を母とすることができて面白い小説のように濃厚で大切な思い出があると思えている。守るものがなくなると私は恐れがなくなった。ひとりになってやっと5才の時に悟った夢見た生き方をやってみることができると思った。独りだからやってみられる。
私は一気に自分のものを業者さんが持っていってくれるコーナーへどんどんどんどこ追いやった。
残すものの基準。少しでも心地よい思い出がすぐに浮かぶもの。これから死ぬまで壊れるまで使うもの。自分だと思えるもの。これだけ。
そしたら1トントラックになった。ほとんど捨てた。
あぁ。。。こんなに私は私ではなかったんだなぁって目で見える気持ちよさでした。わかりやすかった。
ふと、これからの私のモニュメントみたいな、本当の私を入れるものが欲しくなった。これから本当の私と共に歩んでいくものが欲しくなった。入れ物だからバックがいいな。バックほとんど捨ててしまったし。長く使えて味になって半永久的に使えるものがいい。そして買いました。
自分史を綴っている宝物手帳とお揃いのヴィトンのバックにしてみた。大好きなオードリーヘプバーンが使っていた素敵なイメージのあるバック。そして中に入れたものは、こっそりご隠居ライフを考えたり綴ったりする楽しいツールたち。なのでこのバックはほとんど家の中で使うバックです。
本当の理想の暮らし、自分が愛すべき暮らしに寄り添う物しか残っていないので、自分の頭の中も心地よい人生を考えるスペースばかりになった。
母がいなくなった寂しさと上手に付き合いながら、じっくりゆっくりと時間をかけて、私は5才の私に戻っていきつつある。自分でそうしているというよりも、自然と時間が私を運んでいっている感じ。
人生って本当はそういう流れが主であって、その流れに流されながら、自分の心地よさを手の届くものを拾いながら流されていく。そういうものだと思う。
思わぬ不本意なところへ流されて苦痛な時もある。でも焦って漕ぎまくっても大して避けられないもので、そんな時はいっそオールを置いて空でも眺めて自然と流れて脱出するのを待つといい。寝そべってしまえば空しか見えない。嫌なものはなるべく見ないで流されていってしまいたい。そのうち美しい小鳥の声が聞こえて起き上がってみたら、素敵な心地よい場所へ流れてきてる。人生ってそんな流れの繰り返し。
のんびりいこう。
自分の船に乗せたいものだけ乗せて。軽やかに流れていこう。