自由のたびびと南方熊楠〜大日如来の大不思議〜
すききらいも おもいこみも はげしくて
まっすぐで じゅんすいで
着飾らずに ありのまま
そして むちゃくちゃ!
そんなひとが 日本にいた。
南方熊楠(みなかた くまぐす)を知ったのは5年ほど前のこと。何冊か目を通した彼の本はとても難解で、頭がくらくらしてしまいましたが、子ども向けに書かれている本『自由のたびびと南方熊楠〜こどもの心をもちつづけた学問の巨人〜』(三田村信行 著、PHP出版)は、熊楠への愛に満ちていて、読みながらなんどもなんども、さわやかな風が体のなかを駆けめぐりました。
《不思議ということあり。事不思議(ことふしぎ)あり。物不思議(ものふしぎ)あり。心不思議(しんふしぎ)あり。理不思議(りふしぎ)あり。大日如来(だいにちにょらい)の大不思議(だいふしぎ)あり。》
物不思議というのは、物理学などであきらかにされる現象のこと、心不思議とは人間の心のはたらき、事不思議というのは、人間の精神が物(物質)とふれあったときにおこるすべてのできごとをさしています。この物・心・事の不思議の上にあるのが理不思議で、理というのは物事のすじみちのことです。
熊楠によれば、これらの〈不思議〉は、法則さえたてれば人間のちえ(化学)であきらかにすることができます。けれど〈大日如来の大不思議〉はそうはいきません。大日如来というのは、真言密教でこの宇宙のすべてのものをつつみこんでいるとされる存在のことで、物・心・事・理の不思議を大きくつつみこんでいるのが、この大日如来の大不思議です。
大日如来の不思議は、この宇宙に存在するすべてのものにやどっています。たとえば、顕微鏡で見なければわからないような微生物にもこの不思議はやどっているのです。とすれば、顕微鏡をのぞきながらでも、人間は大日如来の不思議、そのひみつにふれることができるのです。(抜粋)
粘菌(ねんきん)というとてもちいさな生きものに ひきつけられ、その観察から 大日如来の大不思議に せまっていった熊楠。
表面的なことは 気にもとめず
まわりが どういおうと 関係ない
自分のきもちに まっすぐで
幼子のように 無垢な 熊楠
熊楠に ひきつけられた
たくさんの ひとたちがいて、
そして 熊楠にもたらされた
素敵な出逢いの数々が さらに
その人生を いろどっていく、、、
純粋に まっすぐに つきつめていく
そういうひとは 「智(真理)」そのものに 敬意を払う
これまでの道のりと そのなかでひらかれた「智(真理)」そのものに
頭(こうべ)を たれる
どんな 国籍で
どんな 生まれで
どんな 性別で
どんな 経歴で
何色の 肌で
何色の 瞳で
どんな服を 着ているのかは
全く 関係ない
ひきつけられるものは もっと 奥にある。
その奥で かがやく 何か。
それが いちばん 信頼できるもの。
大日如来の大不思議。
空のなかに
木のなかに
水のなかに
土のなかに
お花のなかに
虫のなかに
モンシロウちゃん🥺🍀
ちいさな畑のなかに
1年目の畑。なつかしい、、、笑。
ひきつけてやまない 大日如来の大不思議を
わたしも いつも かんじていたい
ふれていたい。
熊楠のそんな生き方に ちょっぴり触れて
自分も 自分のすすみたい道を
まよわず すすんでみようと おもったよ。
まるで銀河のようなモミジバフウさん🥺
9月に出会った、レモングラスの葉っぱの裏にぶらさがっていた不思議な子。秋のおわり、赤紫蘇を収穫していると手のひらに✨
調べてみると、「ナナフシ」ちゃんのようでした😊
触覚は、胴体とおなじくらい長く(!)、なんと、メスだけで繁殖できるそうでオスはとても珍しいそうです。前脚もと〜っても長いのですが、この前脚で器用に葉っぱをつかみ、、、
こんな感じで ぶら下がります(😁)。見かけるときは、だいたい葉っぱに ぶら下がってじっとしています。笑 個性的で不思議な子✨
(じゆうな木)「ナナフシちゃん、ぶらさがるの好きなの😁?」
(ナナフシ)「すき♡」