〜自由を夢見る一人の男の生き方〜
店舗コンサルタント北川です。改めまして私の今までの人生と考え方と経歴についてお話していきたいと思います。長くなると思いますが面白い人生ですのでぜひお付き合いください(笑)。
ぜひこちらも御覧ください↓
幼少期〜高校
私はとにかく甘やかされて、可愛がられて生きてきました。
なぜなら親戚の中で一番の末っ子で、嘘のつけない不器用で素直な子供だったからです。学校ではよくいじられてましたが中学では思春期なのでカッコつけたり変なプライドが出来始めてそのせいか和に馴染めなくなってきました。
高校ではそれがより顕著になり、友達が全然出来ませんでした。
「どうやったら友達になれるんだろう?」
ってよく悩んでいたのを覚えています。
大学受験は正直失敗しました。テストは一夜漬けだし、夜更かしはするし、受験勉強もサボるし、ほんと親には頭があがりません。。。
大学時代
もちろん大学でも友達作りに非常に苦労しました。途中あきらめかけていましたが、サークルにも入りなんとかそれっぽい大学生活は送れたかなと思います。
私が20歳の時、運命の出会いがありました。
大学はたまたま同じだったんですが、アルバイト先で出会った一人の同い年の大学生がいました。
彼は(仮名ハヤト)、私とは真逆の性格で全く人見知りのしないザ・クラスの人気者って感じでした。これは後日談ですが彼含め周りの友達はみんな応援団の団長をやっていたみたいです・・
ハヤトとは正反対な性格だからなのかお互いに無い部分を求めて非常に仲良くなりました。気づいたら親友でした。その彼とのある出来事がきっかけとなり「自由」を求めるようになりました。
タビイクとの出会い
僕は卒業旅行で海外へ行くと決めていました。なぜなら社会人になると休みが無くていつ行けるか分からないからです。そして行くならハヤトと行きたいと思いすぐに誘いました。
しかし彼はなんと・・!単位を落として留年することに(泣)
お金の事情もあって行けなくなり私は途方に暮れました。
そこで見つけたのが「タビイク」。簡単に説明すると、海外で一人旅ができるようになることを目的とした旅育成プログラムです。興味がある方は調べてみてください。
これしかない、、と思い申し込み。なんと見知らぬ赤の他人と海外の空港で合流し空港泊(雑魚寝)から始めるプランだと言うのです!!
不安もありましたが旅立つ前の私は「ワクワク」でした。海外旅のお話はまた別の投稿でアップします!
その後も国内でタビイクのイベントがあると積極的に参加する用になりました。京都駅前でフリーハグをしたり、わらしべ長者をしたり、一人では出来ないような経験をしました。いろんな出会いがあって、既に「自由」に生きている人の話を聞いたり、今までになかった価値観を感じることが出来ました。そこで”リゾバ”の話を聞き、これしかないと思い退職を決断。
理由はあげればキリが無いですが、私はやりたいこともなかったし、タビイクで感じた「ワクワク」をもっと感じて自由に生きたいと思い、親にも話をして決めました。
リゾバ開始
長くなりましたがやっとリゾバの話です。”リゾバ”とはリゾートバイトの略称で、観光地のホテルや旅館で住み込みで働く仕事のことです。友達作りにもなるので学生さんが夏休みを利用して稼いだり、冬はスキー場で滑り放題の権利を得てレンタルショップで働くとかが有名です。
しかし私は温泉が好きなのとチャラい人が苦手なので(偏見です)、旅館をメインに働いていました。
最初に行ったのが、地名すら聞いたことのない北海道虎杖浜という地へ行きました。結果からお話すると最高のおもてなしを提供する宿泊施設で多くの学びがありました。詳しくはコチラ↓
その後は次の派遣先まで期間を空けてアメリカに行きました↓
帰ってきてすぐ九州へ向かいました。熊本の黒川温泉へ。
ただしここでコロナ禍に。シフトが入れなくなり早々に契約解除。
後にも先にも契約を全う出来ず解除となったのはこの時だけでした。
地元に帰るしかないかと思ってましたが、仲良くなったゲストハウスのオーナーさんに仕事を紹介いただき就いたのが
宮崎の山奥での「茶畑」の仕事でした。
これも私にとって本当に貴重な、かつ、楽しい経験となりました。
まさか自分が農業に携わるなんて思っても居なかったし、虫嫌いだし、
どんな人がいるんだろうと不安もありましたが、気づいたらそんな不安も吹き飛んでました。
本当に楽しかったし、思い出も友達も沢山出来たし、またいつか必ず会いに行きます。
リゾバ第二弾
九州での仕事を終え、一度地元に帰り途方に暮れ、たまたま見つけたある求人で仕事を始めました。実はこのお仕事を気づいたら1年1ヶ月やっておりました。色々迷った時期でもあったし、コロナも全然落ち着かずどうしようも出来ませんでした。もう一度リゾバに戻りたいと決意し退職。
タイミングが非常に難しかったですが、また流行る前に・・と思い即決断即行動。
静岡の伊豆へ行きました。個性の強いスタッフだらけの旅館でしたが、最高のおもてなしをする女将さんと最高の料理を提供する料理長の下で働き充実した日々を送っていました。何より富士山が綺麗で😂
その後は一度愛知で短期間の派遣をし、これでリゾバ最後にしようと
まだ訪れたことのないエリア「東北」に。
行ったのは福島県のこれまた温泉地・高湯温泉。
またこの辺りの話もstandfmでアップしていきますので乞うご期待!
福島の旅館では初めてフロントを経験し、これが「マネジメント」を学び
自分に合っているかもしれないと思ったきっかけになりました。
また奇跡的に、一人あるメンターと出会い、一緒に仕事をさせていただきました。接客もマネジメントも知識も一流、まさにカリスマ✨
さらに東北では必ず行くと決めていた東日本大震災の震災遺構へ。
浪江町、南相馬、石巻、陸前高田など各地の施設へ足を運びました。
決して風化させてはいけないと再認識しました。
その後は東北を巡った後地元に帰り、次のことを何も決めておらず
悩んでいた時、福島で出会ったメンターから連絡がきて
山形でのお仕事をお誘いいただきました。
「行きます!」と言い、即準備し東北にとんぼ返りする流れとなりました。
山形で経験したマネジメント、そして失敗
山形での仕事はコールセンターの管理者。しかも最大150人ほどの組織で、紹介だったので最終的にそのメンターの下、ナンバー2くらいのポジションで仕事していました。
最初は順調に適応し、自分に舞い込む仕事もどんどんこなしていきました。同時に過去のリゾバでの経験も生かしながら信頼も獲得し、女性が多い職場で年齢層も様々でしたが皆に認めてもらえたのではないかと思います。
しかし組織が大きくなり、仕組みが変わり、ヒトが変わっていくと問題は複雑になっていき、私はどんどん落ちていきました。最初のような勢いはなく、さらに0→1の仕事の難しさを痛感することとなりました。
そしてヒトも離れてしまいかねない出来事があったり、かなり精神的にも不安定な日々を送っていました。
今思えばそれまでの経験と、山形の最初の実績に驕り、自分を見失い、
どこか仕事に対して「軽く」考えてしまっていました。
組織の存続に関わるような大きなミスもしましたし、
最後はやり抜いたものの、どこか心にぽっかり穴が空いたような
スッキリしないまま帰路につく。
この経験は忘れないし、次に生かさないといけないし、
マネジメント、人、仕事の難しさを改めて痛感しました。
店舗コンサルと出会う
地元に帰ってきて、就職活動を開始。自分の経歴は稀だし目を引くものだろうとどこかで思っていましたが、現実は甘くなく中々うまくいきませんでした。おそらく自分の「伝え方」も下手で経験を上手に話せませんでした。そんな中でなんとなく頭の中で「フリーランス」とか「独立」とかって考えている時に店舗コンサルの話を聞き、これで飯食えるようになりたい、生きていきたいと思いました。
ホテルや旅館で室の高い接客を学び、実践してきたし、その楽しさ難しさ、やりがいも理解してます。さらにマネジメントの観点でも自分の失敗や逆に通用した部分、長所を生かして仕事ができると考え決断。
店舗運営やマネジメントをしているとどこか孤独な部分があると思います。そこに寄り添って、そのお店に関わるすべての人が笑顔になって欲しいし、楽しさを感じながら仕事をして欲しい。その思いで全力でサポートしたいなと思っております。
その上で、リモートワークやオンラインでの仕事を確立しノマドワーカーとして働きつつ、自由な暮らしをしていきます😄