豊穣の国 四
志野に一本の電話が入ったのは七月になって直ぐ、息子顕の嫁茉里からだった。
顕が写真を撮りに長良川奥の渓流に行き、雨に濡れた岩で滑落した。頭部から全身打撲で重体だと言う。志野は名古屋に向かった。
私は志野がいない間、志野のことを案じていた。絵は遅々として進まなかった。
志野が豊饒の国に戻って来たのはそれから一週間後のことだった。牧村が、欅の広場にあるベンチに腰掛け、画板を広げていたら志野がやって来た。志野は隣に腰掛けた。牧村は息子さんの具合はどうか尋ねた。志野は悲しい話をした。その話をしたくてここへ来たのだ。
名古屋の病院に着くと、顕はもう顔に白い布が掛けられていた。渓流の岩から滑落した時、頭部を強打し、腰も足も肩も骨折していた。偶然渓流釣りをしていた人が目撃した。おそらく外傷性ショックでしょう。手を尽くすこともなく、検死だけ行われた。顕の妻の茉里も、姉の藤崎政美も夫の敏郎もいた。その病院でのやり取りで、志野は意外なことを知った。息子顕の血液型はB型、志野はAB型。夫郡治はB型。長女はO型だと言うのだ。志野はいまさらながら、子育てに関与させてもらえなかった疎外感を思い出した。志野が手を出すまでもなくすべて、大岩企画の山上政子が片付けていたし、郡治も政子にさせるよう志野に強要した。志野は我が子のことであれ、庭の花と同じように眺めるしかなかった。そんなこともあって、子供の血液型など確かめもしなかった。長女を出産した時志野は、大量出血によって一時昏睡し輸血によって一命を取り留めたのである。生まれた長女は仮死状態で、緊急の処置がとられたと聞いているが、志野が意識を取り戻し、子供のことを聞けるようになったのは、出産後十日後のことである。生まれた子供に緊急の事態がある時、輸血をして、全血入れ替えることもある。長女と自分の血液型が違うのはそうなのかも知れない。何よりそんなことには一切関わってこなかったのだから、志野にわかることもなかった。娘はその後、病気ということを一切知らないまま大きくなった。だから出産時の重大な事態もいつの間にか忘れていたのである。
ところが、この細かいところに疑問を持つと解決したくなる群治そっくりな長女は、弟の死後直ぐに、人を使って調べさせた。すると大きな疑問が起きた。志野が出産した産院では、志野が出産した時、もう一つの出産があり、どちらか一人は死産で、どちらか一人は優良児だったと言う。あの大岩群治さんの奥様でしたから、よく覚えています。引退した助産師はそう言った。しかし、カルテなどの開示は難しいだろうといった。保存の義務期間は過ぎていること。先代の院長がなくなっていること。捜査の礼状でもあればですが、と言った。だが、驚くことに、もう一つの出産も大岩群治の子供だと言う。同じ日に違う女に出産させる男の話がこっそり出たことを覚えていると言った。出産した女は山上政子であった。山上は未婚であった。もう一人の子供は大岩郡治と山上政子の子だったのだ。山上政子は、あっさり認めた。すでに大岩群治が死んでいる。志野も大岩グループの経営から一切ひいていること。山上政子は、自分にやっと光が射してきた、と藤崎政美に言った。政美と言う名前を見ればわかるでしょう。産みの親も育ての親も私なの。お父様が亡くなられて、志野さんが去られて、でも顕さんがいらしたので、言い出せなかったが、顕さんも亡くなった以上、もう私も我慢して行く必要もない。
大岩群治は手当り次第女を自分のものにして来た。山上政子も彼女の父が大岩群治に金を借りた。返せなくなった代わりに政子を社員に入れ、身の回りの秘書みたいな仕事をさせ、借金を引かせた。だが借金を返す前に、山上家は潰れた。潰されたのだという噂があがったが、長くは続かなかった。政子は寄る総べなく大岩の下にいるしかなかった。その上慰みものにされる。産んだ子供は正妻と偶然にも同じ日だったのと、相手の子供が死んだのもあって、自分の子供を正妻の子にさせられた。
志野にとっては托卵のような、とも思った。しかし自分の子は死んだ。政子は子を取られている。ご都合主義で解決したのは郡治であった。もしあの時、自分の子供が死んだとわかっていれば、私は離婚をお願いしただろう。大岩群治には騙されて強姦され、妊娠した。止むに止まれず結婚したのだ。
あの時志野には、お互いに思い焦がれた許婚がいた。許婚は交通事故で亡くなった。大岩群治が仕組んだのではないか。事実はそうに違いないと思われたが、真実は不明のままになった。志野の両親もそれから心臓と胸を患って死んだ。志野は身内が誰もいなくなった。
顕を亡くしたことで、志野は身内を全部失った。孫を亡くし、息子も亡くした。娘は自分の娘ではなかった。
あの時、もし子供を宿していなければ、どこへ逃げても結婚はしなかっただろう。そう思うと余計におぞましい。長男は間違いなく自分の子供だった。大岩群治はめったに志野を抱かなかった。志野は大岩群治に抱かれるのが嫌だった。一人子供がいたから、それも我慢した。我慢した挙句、顕が産まれた。顕が産まれた後は、もう志野には指さえ触れなかった。おそらく他に何人も子供を作っていることは間違いなかった。セックス以外は怖くない人だった。
志野は山上政子も大岩群治の被害者だとわかっていた。彼女に対して恨みもないし、娘だと思っていた政美にしても、もう愛情もないことに気づいていた。顕が死んだことによって、志野は大岩と決別できた。顕の嫁は大岩グループの経営には全く興味もなく、顕と住んだ家も売って、違う人生を送るそうだ。それはいいことだと志野は言った。
志野が驚いたのはまだもう一つの噂が起きていたことである。古希の祝いの夜、女性と性交中に心臓発作を起こして死んだ大岩群治の死因についてである。検死の後、体内から大量の薬物反応があって分析をしたところ、普段服用していない成分が発見された。大岩群治は普段数種類の薬剤を服用していた。かかりつけの医者に問い合わせ、持ち物や日常の世話をする人から聞き取り調査をした。またいつも女遊びをする時、薬などの世話をする部下の証言から、ことを始める前数時間になると、必ず大量の精力剤を服用することもわかった。しかし精力剤の成分は検出されず、いつもの薬剤も検出されず、全く違う薬剤成分が検出された。大岩群治は、血圧は低い方である。アルコールは一切飲めない。朝は遅いが夜も遅い人間である。気管支も心臓も弱かった。
普段服用する薬剤は心臓の働きと、気管支の拡張を助ける薬剤である。精力剤は白い錠剤を一度に四錠服用していたという。そばにいた部下の話である。体内から検出された薬物はβブロッカー剤という血圧降下剤である。この薬剤は、心臓の働きを少し弱めることで血圧を下げる薬剤で、白い錠剤もある。血圧降下剤は一度服用したからと言って直ぐに血圧が下ることは少ない。数日間以上続け効果があるもので、一度服薬したからすぐ効果があるものでもない。だが、精力剤と間違えてβブロッカー剤を服薬したらどうだろうか。しかも一度に四錠服用したらどうか。もともと心臓が強くない人が、さらに弱める薬剤を服用すると、送り出す血流の圧力をさらに弱め、冠血管を虚血状態にし、心筋梗塞を引き起こした可能性があるかもしれない。四錠服用したのか、五錠なのか、六錠なのか、飲んだ本人しかわからない。飲ませた人しかわからない。精力剤だって必ず決まった薬だと言う確証はない。その時、その時で替えることもあったからだ。
当日大岩群治に関わった人に聞き取り調査を始めているらしい。そんな話も聞いた。
会長、この精力剤は抜群ですよ。一度に六錠。一時間前服用。ただ、心臓の薬とか他の薬と一緒はだめ。試して見なさいますか。など、意趣を持って誰かに勧められていたら、間違って自分が想像するのとは違う効果が起きることになる。もしそれが事実だとしても、その薬剤の服用が間違いない死因になるのか。何錠服用したかにもよるが死因だと特定されるのは難しい。快楽極まった時には考えられない興奮をもたらす。βブロッカー剤を誰が大岩群治に渡したのか、いま調べている。大岩群治に恨みを持つ人は数えれるくらいはいるはずだ。
志野はもう興味もなかった。あれだけの恨みを持った男だ。誰にどれほど恨まれているかわかったものじゃない。ただそれが、自分も疑いを持たれるとなるといい気持ちはしない。
牧村は志野の話を聞いて、この人はもう私に全てをさらけ出した。過去と決別出来たのだと思った。牧村は、ご子息の不幸にお悔やみを述べた後で、あなたはすっきりされたように見えると言った。志野は自分ももう二度と向うの世界に戻ることはない。明るく前向きに生きていけると思っている。ただ、自分の名前が大岩志野であることに不満なのだ。大岩なんてもういやだ。そういって笑った。
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