新六郷物語 第八章 五

 天正十二年(一五八四年)秋になって木が削られ形が作られていく。大工の手によって柱になり、そのまま乾燥が進むのを待つ。収穫時には開墾の労力は落ちたが、その後はまた加速した。
  秋の収穫が終る頃、六坊家を一人の僧が訪ねて来た。行雲であった。
  「国東に来て残っている寺に寄った。昔のことを思い出し、昔、六坊純平という若者が千燈寺にいたが、ご存知ないか。そう聞くと、すぐに答えが帰って来た。いま国東で一番有名な兄弟だと言う。兄は浄峰、弟は純平。六郷巡礼路を作り、お土産品をつくる。寺を一年で九軒も新築、十三軒改修する目処をたて、いま着々と新築、改修が続いていると聞いた。巡礼者を襲う十名の山賊を、たった一人の鬼が退治した話も聞いた。これも純平らしい。やはりそうか。いやたいした男になった」
  行雲は純平にそう切り出した。
  「師匠ようこそいらっしゃいました。久しぶりです。十一年が経ちました。六郷は焼き討ちに遭いました。やっと復興の目処が立ったところです。それでも前のようには行かないでしょう。荘園を没収されていますから」
  純平はそう言った。そこへ佐和がお茶を運んで来た。
  「いらっしゃいませ行雲様。私が純平の妻佐和でございます。主人が師匠に剣術を教えていただいたお陰で、私は生きていられます。ありがとうございました」
  佐和はそう言った。
  「はて、なんのことかよくわからんが、まあ美しい方を娶られた果報者じゃ、純平は」
  行雲はそう言った。佐和がなぜそう言ったか、経緯を説明した。海賊に襲われたこと。山賊に襲われたこと。そうしていま夫婦でいられることを感謝して説明した。
  「そうか、純平の剣は幸せを運ぶ剣じゃ。人を不幸にする剣は悪いが、純平の剣はいい剣じゃ」
  「行雲様、おっしゃる通りです。主人は、平穏な時に、襲ってくる危険を考え事前に準備をします。ですから自分も身内も守り、不幸にしなくてもすむと思います。行き当たりで対処しているのと違います。今でも早朝稽古を続けています。六郷の若者を十日ごと両子寺で指導をしています。主人を見て、ついて来てくれているからです」
  佐和はそう言った。
  「そうか、純平はあの時のままだな」
  「師匠はいま、どうされているのですか。六郷にはいま、修行する場所が殆ど無くなりましたから」
  純平が尋ねる。
  「私はあれから千燈寺を出て、また旅に出た。筑前、博多、周防、安芸、備前、備中、備後、おそらく純平殿と佐和様が三木城攻めの煽りで、足止めを食っている時、私は大阪にいた。織田の本隊は本願寺攻めの最期の詰に入っておった。純平殿と佐和様が比叡山に入られた後であろう。私は本願寺攻めが終るのを見た。十年続いたそうだ。その後、伊勢神宮へ詣で、三河、駿府、甲斐、越後、加賀、京へと旅をして参った」
  行雲は旅の話をした。
  「加賀は、織田勢の柴田勝家によって、一向宗が壊滅させられておった。国東と似たような風景じゃ。寺が焼け、元の寺領は草が生えておった。京に戻ると、とんでもないことが起きておった。織田信長殿が天下統一を目前にして、本能寺で部下の明智光秀に攻められ自害したと聞いたのだ。羽柴秀吉は中国攻めの最中、急ぎ和睦で切上げ、十日後には明智勢に対陣したそうじゃ。翌日はもう天下は羽柴秀吉のものになった。織田軍最大の武将柴田勝家は、加賀で一向宗掃討に手間を取られたか、羽柴秀吉を甘く見たか、天下は柴田勝家の手から逃げていった。いまや羽柴秀吉が天下を押えたと言っていい。織田家の相続に絡んで、羽柴、柴田の争いが起きたが、天下の情勢を判断する力は羽柴秀吉殿が優れておる。柴田勝家殿には、織田家最古参で最大の武将であり、織田信長殿の妹君、お市様を妻にされておる自負がおありじゃ。つまり実力と才覚か、誇りと位かの戦いになった。いまの世に位や慣習や身分で生き残れる甘さは通用しなかったようじゃ。柴田勝家は北の庄で自刃されたと聞いた。あるものが壊わされ、消えていく。それには非人道的な異端児の出現もあるかもしれんが、それなりに理由もあったと思う。織田信長殿が比叡山を焼き討ちにされ、轟々たる非難に晒された。しかしいまはどうか。比叡山に屯していた悪僧はいなくなり、比叡山はかっての仏典修学の地に戻っている。仏典を学ぼうとする者が武器を持って悪さをする。それを信長様は正してくれた。そう言う話も聞いた。一向宗はあくまで施政者にとって邪魔であったから排除された。だが、国東の六郷は悲劇じゃ。施政者の邪魔になる訳でもなく。それは、少しはあったかもしれん。寺社領の荘園が多いのだから。もっと協力してくれ。そう思っていたに違いない。そんな時期に、前の大殿、左衛門督大友宗麟公には都合のよい宗教がすり寄って来た。宗麟公は頭脳明晰まさに天才といって良い方じゃ。計略や外交には長けておった。しかし、その生い立ちや、自信過剰な性格から人を見る目はお持ちではなかった。ご自分にすり寄る人は重用し、苦言を呈する優秀な部下は遠ざけた。軍事の天才戸次道雪、いまは柳川の立花道雪殿を、柳川に追いやって以降、外敵には勝てておらん。その上、内部の謀反ばかりが起きておる。うちはもめを納めるために外の支援まで頼むのだから、外交や計略に長けてはいるが、軍事の才が全く無い証明じゃ。先般の田原本家攻めにしても、あれほどてこずることではなかった。田原本家を謀反まで起こすようにした原因は何か。武蔵田原家の策略じゃ。本家の領地を欲しがり、横取りした。それに耐えながら本家は大殿に返してもらうよう礼を尽くしてお願いした。その領地は返っては来たが、田原本家の跡取りを大殿の息子親家にせよ。そう強く要求された。何のために土地を返してもらったのか、それでは意味がない。土地を返すが、全部もらう。そういうことだから、謀反せざるを得なくなる。人の気持ちなど考える人ではない。この地は生れながら自分の物なのだ。土地も人も。六郷が際立って思うようにならないご不満は、かなり強かったのではないか。府内の千代神社は氏神であり、万寿寺は菩提寺だ。神社仏閣は慣例や慣習を持ち出し細かい要求をするため、大殿のお考えにそぐわなかったのだ。織田信長様が既存の概念に捉われず合理的に改革して行ったのに似てはいるが、大友の大殿には信長公のように天下が潤えば自分が潤う大きさがなかった。ご自分の意にそぐわないものを排斥する。理由はそれだけ。他人の妻も自分の物としか考えない人だ。国が立ちいかなるのは自明だ。その上、後継はまだ酷い。上に立つお人ではない。残念ながら時間の問題だと思う。筑前は立花道雪殿がいらっしゃる間は持ちこたえる。島津が気になる。義統様が大殿でいる以上、どこから攻められても負ける。武将は動かんし、動かせる大将がおらん。もし、筑前の立花道雪殿がお亡くなりにでもなれば、日向からも筑前、筑後からも安芸、周防からも攻められ、島津か毛利かになる」
  行雲は言った。
 「そうなった時、寺社仏閣にはどう影響があるとお考えですか」
  純平は行雲に言った。
  「毛利も島津も、寺社仏閣には何もしないと思う。安芸の国内も寺社仏閣は大事にされている。島津には行った訳ではないが、他国を攻め取ると、後の治世が重要になる。住民の暮らしの秩序を破壊するようなことは避けるはず。これは普通の施政者のすることじゃ。大友の施政者にはそんな考えは全くない。大友よりましだと思う。ただいずれ、羽柴秀吉が九州も押えてくる。私が京を出て、奈良を見て帰郷しようと、山城を通った時、羽柴秀吉の手勢によって検地がされておった。秀吉殿の検地は一町歩を三千歩とするそうじゃ」
  行雲が言う。
  「一町歩が三千歩。それではいままでの、一町歩三千六百歩の概念では立ち行かなくなります」
  佐和が言った。
 「そうじゃ。税率は同じかどうか知らんが、これで全国を統一させるそうじゃ。いままでは施政者ごとに微妙に異なっていたが、天下を治める者には都合がいい。それにこれは聞いた話じゃが、土地は耕作する者にだけ認めるそうじゃ。つまり小作は認めず、耕作しない地主は土地を奪われるらしい」
  「それはまた思い切ったことです。税を取る方にはいいことでしょう。統一されても、慣れてしまえば不便はないでしょうが、問題は税率です。でもこれはところの施政者の裁断になるのでしょう」
  純平がそう言った。
  「しばらくはそうであろう。どちらにしても天下の動向はいま羽柴秀吉殿を中心に動いているのは事実だ」
  行雲の話は純平に自信を持たせた。大友家は近々滅ぶ。六郷を破壊した愚劣な施政者がいなくなる。いましばらくの辛抱だ。これを乗り切れば、いままでのような満山は無理としても安泰な六郷に戻れるのではないか。そう考えた。
  「行雲殿、これから急いで行かれるご予定は」
  純平が聞く。
  「私は行く雲じゃ。風があれば早くなり、風がなければ急がん。どこかに落ち着きたいと思うが、予定はない。急がん。国東に来たのは、被害の実情を見たかった。それに純平殿にお会いしたかった」
  行雲がそう言った。
  比叡山から来た住職で、来春には本山に戻る住職が何人かいた。純平は、行雲が六郷の住職に留まってくれるといい、と思い、その考えを行雲に話した。行雲は、
 「私のような者で務まるか心配じゃが、私でよろしければ務めさせていただきたい。それに、浄峰様に教えを請いたい。浄峰様の説法にお供して学びたい。浄峰様はお許し下さるだろうか」
  純平は、行雲が浄峰に就いてくれれば、もし浄峰が賊に襲われても安心である。願っても無いことであった。
  「行雲様、是非、兄に就いてやって下さい。私からもお願いします。行雲様のご都合もさることながら、兄にとってこれほど頼もしいお方は他にいません。何卒よろしくお願い致します。それにもう一つ、実は巡礼を襲う山賊が出て以来、六郷の若者が剣の修業を望み、私が指南しております。私も多忙のため、十日に一度の稽古しか出来ません。お手隙な時で結構です。これをお手伝いいただければありがたいのです。あくまで六郷を守るための自衛の剣です」
  純平は行雲にそうお願いした。しばらく十日、二十日、三十日とある剣の稽古日の中で、浄峰の説法の空く時だけ、両子寺に付き合うことになった。

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