捨離
昔日を 思って気づく 古希の年
数年前から昔のことを思い浮かべることが多くなった。昭和の前半最後の世代として、このまま忘却のままでいいのかと思うようになり、noteを始めた。
南海部に天空路を拓く会の染矢氏は、天空路だけでなく、なんでもいいから書いて、佐伯を盛り上げよう、という。県外、市外者が騒いで、佐伯が盛り上がるか不明だが、既読者の名前が、何人か記憶の中にあるような気がする。
私は人の顔と名前を覚えるのが極めて苦手。同じ高校で同年生まれだから、同じ学年だったはず。と思うばかり。
若いころは、家庭のこと、仕事のことにいっぱいだったし、仕事がそのまま生活だった。明日のことしか考えない。その仕事の生活から放免されてしまうと、ふと過去のことを振り返ってしまう。老人になると昔のことばかり思うようになる。父は卒寿まで生きたし、母は93過ぎても畑仕事をしている。それを思うと、あと20年は生きるのかもしれない。
郷土史のことについても、染矢氏から電話を貰わなければ、高校卒業直後から数日前まで、完全に忘却していたのだ。
そんなおり羽柴氏の記述を見つけた。それには、1586年柳井左馬之助なる人が因尾衆を率いて島津氏の進行を防いだとある。438年前だから、祖父さんばあさんは4人。その祖父さん婆さんはさらに4人。遡っていくと天文学的数字になる先祖の数だが、その一人に違いない。左馬之助直系の家に、祖父がつながっている、という話はよく聞いた。
染矢氏はできる限り遡って戸籍謄本を取れ、と言う。3月以降最近全国どこからでも申請ができ、郵送でも送ってくれるようだ。150年前まで、除籍謄本なら取れる可能性があるという。ドラえもんの世界か。先日電話があって、取ったか、いやまだだ。
私はなるべく余分を持たないように努めているつもり。持っていた本は過去三度断捨離した。捨てきらずにいた僅かな数に、その後また少しずつ増え、いつの間にかまた元の木阿弥に。そうしてまた四度目を行なわないといけないと思っている。
あと20年は生きられるかも知れないが、明日命を終えるかもしれない。その時、なるべく周囲に迷惑をかけないよう、持ち物だけでなく、人間関係も含めて身辺整理中なので、先祖のこともだが、すこしでも小さくなることに今はまだ比重が重い。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?