新六郷物語 第九章  九

 四月になった。山の緑は燃えるように色づき、水田は田植えの準備が進んでいた。
 浄峰は、安岐武信と堤基矩を前にして、
 「出家するのも己の判断です。だが世を捨て、仏門に逃げ込むような出家は認めません。仏門は己の探求と衆生の幸福を求める道です、出家しなくても仏道は進むことができます。衆生を幸福に導く強い意志と能力がないと思うなら出家すべきではありません。僧は人にたかって生きて行くものです。人の役に立てないのなら僧になるべきではありません。己を探求することに、出家する、しない、は問題ではありません。日常が大事なのです。武士であった者が出家すると、剣は捨てざるを得ません。それが衆生のためになり、己のためになるのなら、出家もその道となりますが、剣を持っている方が、返って人のためになるのなら、出家しなくても、仏道は進めます。仏道は形ではなくて日常が全てです。己が、どの形をとるか、広く自己を捨て判断すべきです」
 と言った。
 堤基矩は、
 「私は、二親も兄弟も亡くしました。身内はいません。剣は使える方ではありません。大事な人を亡くした喪失感をそっと包み込むような説法を是非したい。それが私の進むただ一つの道だと思います」
 そう言って出家得度し、道基となった。
 「浄峰様の説法を東光寺で聞いた時、私は救われる思いがしました。仏の世界に生きよう。そう思いました。それも正直な思いです。偽りはありません。ただ、いま浄峰様のお話を承って、私は仏の道に逃げているのではないか、とも思いました。衆生を導く自信はありませんし、その力、強い意思がある訳でもありません。己だけの都合で出家と意気込んでいたと思います。いずれ、行雲様、玄信様が六郷内の末寺に住職として赴任していくことになります。執事の役割をしている芝原太蔵殿も元服した後は、本人の進む道があるかもしれません。浄峰様の御身近くにいていつでもお守りでき、執事の代わりもできる。浄峰様の説法はいつでも聞くことができるし、修学もできます。返って出家しないままの方が、己を衆生の役に立てるのではないか。浄周山純和寺にいて、寺の雑用をこなし、警護をする。浄峰様の説法には常に同行して警護をします。自分の与えられた役割は、こうではないかと思います。ですから、いまのまま、この寺においていただきたいのです」
 安岐武信は、出家せず在家のまま修行することにした。
 その数日後、一年前に比叡山に行った拓良、前の藤原良継が一人の男を背負って帰って来た。父であった。拓良の父は比叡山に修業に行くといって行方不明になった。父の名は藤原雅兼、法名良謙である。 
 良謙は比叡山に着くと病になった。病を押して修業をした。やがて視力を失った。経典が読めない。峰入りも出来ない。国東にも戻れない。絶望の淵から救ってくれたのはその時の教導であった英空であった。英空は良謙を彼が預かっている寺に入れた。
 目が不自由と言うことは、己のことで精一杯である。他人の手を借りるばかりである。このままではいけない。そう考えて一人で寺の中を歩くことを始めた。寺の中を歩けるようになると、外を歩くことを始めた。少しずつ寺の外も歩けるようになりたい。そうすれば自分にも何かできるかもしれない。
 外を歩き始めて何日か経った日、道を歩いている良謙に馬の蹄の音が近づいて来るのが聞こえた。また牛の鳴き声も聞こえた。牛車が近くにいるのかも知れない。馬の蹄の音はだんだん大きくなり、馬の上から声が響いた。
 「どけ、早馬が通るぞ。命が惜しいなら、道をあけろ」
 人のざわめきが聞こえる。良謙は道の端に体を移動させた。牛の鳴き声がまた聞こえたが、近くなので驚いた。牛の匂いもした。牛車はすぐ近くにいるのだ。良謙は早馬が過ぎるまで道の端に寄って待とうと思い、寺の壁に手を当て立ち止った。その時、早馬が嘶き、牛もまた驚いたように泣いた。牛車が動く軋みが聞こえ、牛車の車輪が良謙の胸に触れた、と同時に左足の甲を潰した。一瞬のことであった。
 良謙は寺に運ばれ寝かされた。痛みを我慢するしかなかった。痛みが治まった時、良謙はもうまともに歩けないことを知った。いよいよ国東には帰れない。文も書けない。正座もできない。僧侶も出来ない。絶望の毎日が続いた。
 拓良は比叡山に入ると、良謙のことを聞いて歩いた。誰も知らなかった。十ヶ月過ぎた頃、ある寺の寺男に会ったので良謙のことを聞いてみた。その男は、名前ははっきり覚えていないが、二年前までそのくらいの年齢で、あなたの顔立ちに似た盲目の僧がいた。いま嵐山の下にあるお寺の、小さな堂守になっているはずだ。と教えてくれた。拓良は嵐山まで行って見た。小さな堂にいたのは、父良謙だった。元気な姿で千燈寺を出て行った面影はなく。目は光を失い。左足甲は潰れていた。左の脇に杖木を挟み少しは歩ける。しかし目が見えない。文字も読めない。六郷が左衛門督大友宗麟によって焼き打ちされたことも知っていた。拓良が千燈寺最後の日を話すと、良謙は手を合わせて涙を流した。薬師如来を必死で背負い森の中に運ぼうとした時、武家二人に襲われ背中の薬師如来の両手が斬られた。斬られた両手が火達磨となって、斬った武家二人の顔に取り付き離れなかった。薬師如来を、あらかじめ掘っておいた穴に埋め、本堂に戻ると殆どの人が動かず、本堂と一緒に燃えていった。その話を聞くと良謙は経を唱え始めた。
 拓良は比叡山から浄峰に宛てた文と、住職として派遣されている僧に宛てた文を束にし、背中に痩せた父を背負い帰郷の旅に発ったのである。背中の父は、千燈寺の薬師如来像より軽かった。両手を失った薬師如来様をまた背負って歩く、拓良はそんな気がした。京から国東まで父を背負って歩き通した。拓良は六郷に戻ると、しばらくして比叡山に帰る僧の後をついで、住職として務めることになった。その寺は伊美の千燈寺である。同じ場所に同じ規模の寺は再建できないが、伊美には千燈寺が必要だ。場所を変え、同じ名前の末寺だが千燈寺が新築された。その二代目住職になる。父と母も呼んで一緒に伊美の千燈寺に戻るのだ。小さくなったが、千燈寺住職である。母が泣いて喜んだのは言うまでも無い。母は必ず父は生きていると信じていた。拓良の話を聞いて浄峰は、
 「信じることがいかに大事か。またどれだけ大きいことをやり遂げさせるか。母も父も子も、信じていたからこそ再会できたのです。毎日を務め御仏を思っていたからこそ幸福が訪れるのです。降ってくるような幸せなどありません。拓良殿は峰入りや経典で学ぶ以上の修業をされて来ました。修業は日常の中にこそあります。この経験を活かし住職として務めてください。大衆を必ずしっかりした道に導いてくれると思います。千燈寺の住職は拓良殿以外はおりません」
 と言った。拓良はまた父を背負い、母を伴い伊美の郷へ向かった。
 六坊家は嬉しいことが起きていた。昨夜、純平の蒲団に入って来た佐和が、
 「赤ちゃんが出来たようです」
 と純平に言った。二人は抱きあって喜んだ。子供が生まれることは未来へ繋がっていくことである。これ以上の喜びはない。佐和はもう一つ嬉しいことを言った。有里も赤ちゃんが出来たようだ。今日二人で話をした。間違いはない。純平と信助の子供もまた同じように遊んで大きくなるのだ。嬉しいことだった。
 四月十五日、浄周山純和寺の本堂が竣工し落慶法要が行われた。
 初夏の澄んだ青い空には白い雲が幾つか浮かび、山の燃える重奏の緑と美しい対象をなしていた。谷川に流れる清流からせせらぎが響いていた。
 山がせり出して桂川が大きく蛇行している。せり出した先端の台地に寺が建っている。寺の前には田が開かれ、これから田植えが始められる準備を待っている。
 山際の道から石段が組まれ台地の上に白壁の塀が回っている。山門を潜ると正面に本堂が見え、石畳が真っ直ぐ敷かれている。本堂の左前方には鐘楼が建ち、本堂の右奥には、庫裏、僧坊、長屋が並んで建てられていた。寺地の庭には、元々立っていた木がうまく残されて、新緑を生き生きとはためかせていた。欅、銀杏、椚、それに庫裏の前には辛夷の大木が残され、この日までは散るまいと、清廉な白い六つの花弁の花は、六郷を代表するように凛として咲き誇っていた。
 寺から響く住職浄峰の読経が、四方の山々に響き渡っていた。浄峰の左右には、行雲、玄信、道基が控えていた。本堂の入り口正面上の壁には、安東祐蔵が寄贈した扁額が掲げられていた。
 「道心中衣食有、衣食中道心無」
 最澄の言葉であった。道を求める心があれば衣食がついてくる。衣食を求めたら道をなくす。衣食(えじき)は金や物質である。
 本堂に入りきれない人が、寺の庭に立錐の余地が無いほど詰めていた。読経が終り、浄峰が挨拶した。
 「姿形は壊されようとも、人の心に御仏がある以上、形はまた作ることが出来ます。人と人とが手を取り繋がることで、力以上のことが出来ます。それぞれの者が自分のなすべきことを務め、隣人に手を貸し時には貸される。相和して暮らして行くことが御仏の道です。その原点に立ち返る時に、この寺をご利用下さい。御身を取巻くところを清め正しく、純みきった心になって和して行く。皆様の真摯なお心が作り上げた素晴らしい寺です。日常の暮らしの中に御仏が生きています。願いは叶えられます」
 法要からの帰路は月夜の道となった。純平は佐和の手を引いて歩いた。佐和は、
 「純平様、お手をお離し下さい。恥かしいではありませんか」
 小さい声でそう言う。
 「佐和、何を言う。私の一番大事な人の手を引いて、それも一人ではない。誰に見られようと恥かしくない。私は佐和がいてくれるから、いまこうして暮らしていける。隠すこともない。佐和に勝る幸せはないのだ。こうしていくことが私の道なのだ。これほどありがたいことがあろうか」
 「純平様、私も、です」
 満月が六郷の山を照らしていた。


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