クレイジーな先人
先日、横浜の原鉄道模型博物館を訪れた。
開館から早12年、ワタシ自身も25年以上も横浜へ通っているというのに、ずいぶんと遅い初訪問となってしまった。
戦前から21世紀初頭まで活動してきた、原信太郎という世界的に有名な鉄道愛好家がいる。その原氏の鉄道模型コレクションがジオラマで走行するのを見られるのがこの場所なのである。
そのサイズは1番ゲージと呼ばれる規格で、1両1両が両手でないと持てないぐらい大きい。その走っている様は迫力満点で、ワタシ達が普段親しんでいるNゲージや16番HOとは比べ物にならない。
その迫力の源は大きさだけではない。
とにかく「走る音」が重い。
Nゲージや16番HOでも、実物から録音した音声データを操縦機や車両のスピーカーから重ねるタイプのサウンドシステムは市販されている。
しかしながら、そういう意味での"リアル"ではない。
原氏のコレクションは車輪やレールに「鉄」を使っているのが特徴だ。
ワタシの模型作りはプラスチックが主原料で、市販の鉄道模型で使われる金属部品の多くも加工しやすい真鍮がメインだ。
しかしながら原氏は「ホンモノ」の質感にこだわり、加工の難しい鉄をあえて用いている。
真鍮すら避ける金属工作にへっぴり腰なワタシには、とうてい考えられない選択肢だ。
さらには「揺れ枕」などの複雑な走行機構や、パンタグラフを経由して電力を供給するしくみなど、模型を「ホンモノ」にしようという執念が並大抵のレベルではない。
鉄の持つ重み、鉄と鉄が擦れる音があの重厚なサウンドを奏でているのだ。
それを宿らせた模型の裏側には、鉄道技術に関する膨大な知識の裏付けがある。
今日であればインターネットで模型作りの資料集めができる。
それがなかったワタシの若いころでも日本語の雑誌・書籍を図書館などで漁れば、ある程度の精度でモチーフとなる車両の姿をカタチにできた。
だが、原氏の少年時代は昭和初期の戦前。インターネットなんてものは当然なかったし、日本語の書籍すら豊富ではない。氏はいかにして「ホンモノ」を知ることができたのか?
彼は現地語の技術書を読むために外国語を学び、たくさんの洋書を求めた。さらには東工大へと進んで鉄道技術の知識を追究したという。
よく言えばエネルギッシュ。いや、率直にワタシの口から出てきた言葉は「クレイジー」だ。
新路線や新列車の「1番切符」コレクションや、海外などでの鉄道撮影にまつわるエピソードなど、模型以外の「鉄活動」に関する展示も博物館にある。
それらを見るに、とにかく「徹底」の一言に尽きるのである。
「ホンモノ」と紛うような音が重かったのは、原氏の信念の強さを感じたからかもしれない。
それに比べればワタシの作る模型はいろんな意味で軽すぎる。
模型から「ホンモノ」の力を突き付けられ続けた2時間の滞在だった。