SNSは美しくて残酷な世界。
「SNSでは落ち込んでる姿を見せてはならない」。と僕は決めてます。なぜなら体験したから。
むかーしむかし、webで日記書き(mixiのばったモンみたいなところ)してた頃のお話し。
「書きたい時に書きたいことを!」をスローガンに、その時その場所で思ったこと・感じたことを自分なりに表現していた時期があります。
例えば、「トイレが我慢できそうにないシーン」をコミカルに表現したり、メンタルがずどーんと落ちたときは思考整理のためストレートに思いを書き殴ったり、またあるときは日記友が落ち込んでいる時にはオブラートでぐるんぐるんに包んだ表現で気づかせたりなどなど…。
その更新頻度たるや、少ないときで1日3本。多いときは1日20本以上もの「自己表現」をしていました。
けどね、そんなことばっかりやってると現れるんですよ。「励ましてあげなければならない!」というお優しい人たちが。
僕としては励ましの言葉よりも、ただ見守っててほしいだけだったんですが、彼らにその意図が伝わることは最後までありませんでした。
アドバイスは求めてない旨を何度書いても、立ち直るために書いていると具体的に説明しても、落ち込んでても時間薬でどうせ立ち直るんだからと伝え続けても、僕の真意が彼らに届く日はやって来ませんでした。
伝わるどころか、「こんな人だと思いませんでした💢」とか、「あんなに言ってあげたのに裏切られた!」とか…ひどいときは12,000文字を超える文章で血まみれになるような罵倒表現の日記を書かれたこともあります。
「なんで誰も理解してくれないんだろう」と、散々悩む日も続きました。
けど…、「僕は彼らを理解しようとしただろうか?」と今は思います。誰もが無料で読めてしまうSNSという公共の場において、「励まし」は、ゆくゆくはお互いをズタボロに傷つけることも学んだ反面、自己表現の不自由さも体験しました。
『「書きたい時に書きたいことを!」というワガママに付き合ってくれなくていい』と当時も思っていましたし、読んだ人の気持ちを想像もしていましたが、「不満を書き綴る相手の自由」は認めたくありませんでした。
こうした出来事から、僕は、「落ち込んでる様子をSNSでは見せてはならない」というマイルールを作り上げたのかもしれません。なぜならSNSだけでの繋がりは薄いし弱いから。
強く濃く繋がるのはリアルで対面していても難しいのに、SNSに濃い繋がりを求めるのはお門違いなのかもしれません。