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だいじ 【短編小説】

  私が何を言っても、離れようとせず、とにかく体にしがみつき、離されそうになれば、泣き叫んだ。

「どうしたの?いっぱい友達いるよ?幼稚園は楽しいところだからいってらっしゃい?」

「ママ、やあだ!」

  私の腕に力がこもると、必死にしがみつく。

「困ったわね、これから仕事なのに」

  私は、合図するように先生に向けて苦笑いをした。

「いっぱい友達が待ってるよ!行こう!」

  先生がそう言って、手を伸ばすが、それを振り払い、頑なに離れようとしなかった。

  もう何回目のことか分からないと思っていた。

  入園する時になって、異常を察知したのか、車に入ることさえ拒否した。いざ幼稚園につけば、車から出ようとしなかった。力づくで幼稚園に入れた時は、結局最後まで先生にしがみついて泣きじゃくり、離れようとしなかった。

  なぜだか、先生から「仕事になりません」とクレームがくるほどだった。

  交互に送迎をしているが、いつになっても上手くいかなかった。

「申し訳ありません。今日も遅れそうなのですが」

「おい、またかよ。いい加減にしてくれないかな。君だけだよ毎度、毎度、遅刻してくるのは」

「申し訳ありません。息子が、離れようとせず」

「言い訳はいいから、とにかく早く来い!」

ブチッという音がして、かずきを見ると、泣き疲れたのか、ぐっすりと眠っていた。

はぁとため息をついてやっと落ち着いたのを確認すると、「先生よろしくお願いします」と言った。

嫌そうな顔をしているのを無視して、ハンドルに手をかけた。

「久しぶり」

「だいじかなぁ?ちっとは家に顔出しなぁ、みんな会いたがってるよぉ」

  だいじというのは、大丈夫という意味だった。栃木の言葉を聞くと少し不快な気持ちになる。

  私は母を神奈川は逗子の一軒家まで呼び出していた。どうやら、母はかなり暇らしく、趣味の短歌を書いては応募するだけの生活ということを姉から聞いた。久々に電話をかけ、自分の子供のことを話したら喜んで世話をすると、意外にも引き受けてくれた。三ヶ月もの間、私たちの家に住み込んで面倒を見てくれるとの事だ。

  私は母を呼んででも、どうしても社会復帰をしたいと思っていた。自分の子供を産んで、子育てに時間を取られた今、昔のように、忙しく働きたいという欲求を止められなかった。やっと、幼稚園に入れるという年になって、仕事をしようと動き始めたら、こうして問題が発覚した。

  私がいないと、かずきは不安になってしまうようだった。思えば、赤ちゃんの時から、私が居なくなればすぐに泣いた。 夜でも構わず、泣き叫び何度も起こされたものだ。私がいない時は、夫もかずきのところに向かうのだが、泣き止まない。私が家について、ボロボロになった夫を見た時は少し笑ってしまった。生まれた瞬間からかずきは、とにかく私がいないとダメだった。それは今も変わらないようだ。

「ひさしぶりだねぇ、覚えてるかい?」

  独特の訛りで呼びかけられたかずきは、やっぱり私の足にしがみついていた。

「ほら、ちゃんと挨拶して、おばあちゃんだよ」

「・・・・・・こんにちは」

「これから、よろしくねぇ」と言われて、かずきはとても嫌そうな顔をしていた。

  私は太陽の光で起きると、朝食と昼間の弁当を作っていた。

  母親には任せられない。

  申し訳ないという理由ではない。

  不味くて食べれたものではないからだ。物心着いた時に、母の料理を食べた時は、「料理はこうゆうもんだ」と勝手に納得していた。でも、学校の給食を食べた時は、驚愕した。魚というのは臭い食べ物では無いと知った。

  家で出てくる料理はパッケージに入っているもの以外はとてもじゃないが美味しいとはいえず、卵焼きでさえまずかった。

 油と卵がまじりぐちゃぐちゃなのだ。

 何故かしょっぱい、口に入れたら不快な卵焼きは、私のトラウマだった。

  そこで私が中学生になると自分で料理をするようになった。毎朝自分で弁当を作ってそれを持って行った。ぐちゃぐちゃの卵焼きが弁当に入っているのは耐えられなかった。

  母にそれがバレた時怒られることは無かったが、「お前は料理が上手いねぇ」と呑気に言ったのを覚えている。

そんな、母はとにかく短歌を書いていた。

 ぶらりと外へ出たと思えば、帰ってきて、ずっと歌を詠んでいた。 一日中新聞を読んで、辞書を引いて、とにかく書きまくっていた。 そして、新聞の短歌コーナーに自分の名前が載ると、それを家族に自慢していた。

 母はとにかく自分の短歌の話をしていた。

  「母には任せられないな、自分でやらなきゃ」と思った。

  私はそのまま大人になって、仕事をするようになり、結婚して、子供ができた。自分の子供にはこんな思いさせちゃいけないなと思った。だから、私はかずきから目を離さないようにした。

  しかし、仕事をしたいというのも本当の気持ちだった。頼るべきでは無いのは分かっていた。それでも、母に頼らざるを得なかった。

「しっかり、面倒見てね!お昼にはご飯あげてね?冷房ちゃんと確認してね?熱中症になったら大変だから。あと弁当リビングにおいて置いたから保冷剤も付けてね。ねぇ聞いてる?今日はちゃんと幼稚園に連れていってね。お願いね!」

「だいじだよぉ、はやくいきなぁ」

  もう母が来てから、1ヶ月が過ぎているのに、まだかずきは幼稚園にはまともに行けていなかった。かずきは私がいないと外に出るのも嫌で、母はそれを許しているという話だ。

  しかも、母は一人で、近所の海岸を散歩しては悠々自適に短歌を書いているという。

かずきを家に放ったらかしにしてだ。

「すぐに帰るからぁ、だいじだよー」というが、心配になるのが当然だった。

  しかしながら、事実としてまだ問題という問題も起きていなかった。かずきはしっかり生きているし、いつも通りよく泣くらしいけれど、熱中症にもなっていないし、病気にも、迷子にもなっていなかった。心配なのは確かだけれど、そのおかげで私は社会復帰ができて、働けるようになっていた。

  二ヶ月が経つと、かずきに少し変化があった。

  かずきは自分で話すようになった。

「今日はこれ作ったんだ」と嬉しそうに折り鶴をみせてきた。

  どうやら母に教わって折ったらしい。私より綺麗に折れていた。

  母はかずきに色んな言葉を教えていた。家に帰ってくると、紙がちらかっていて、ところかしこにひらがなやカタカナがあった。

  母は俳句を教えていた。

「しずけさやいわにしみいるせみのこえ」とかずきは私に発表した。母はそれを見てうんうんとうなずいていていた。

  かずきはどうやら、母と一緒に海岸へ散歩に行くようになったらしい。近所の奥様に2人仲良く歩いていると報告を受けた。

  しかし、まだ幼稚園には行っていなかった。もう、それは仕方がないと思うけれど、母が面倒を見ていてくれる限り、私は仕事ができるのでどうでもいい気がしてきていた。

  もうすぐ、約束の三ヶ月になる。そうしたら、面倒を見てくれる母もいないので、また振り出しにもどるという、心配が出てきていた。 

  でも、私がいなくても、泣くことも少なくなって、近所から苦情が来るのが減ったのは知っていた。かずきは、いまだに幼稚園には行きたがらなかったが、それでも母が来てから変化があったのが分かった。

  母が帰る日になった。

  結局、幼稚園に行くことはなかった。

「いやぁ、お世話になりました。かずきもお母さんになついちゃって。寂しがってますよ」

夫がそう言う。

  母は「またくっから、だいじだよ」といってかずきの頭を愛撫した。

「そうだ、お母さんお土産持っていってください」夫はそう言ってお土産を取り出そうとするが、なんだか忙しなくきょろきょろしている。

「あれ、お土産どこやった?コロッケ」

「え?昨日食べたじゃない?」

「えぇ?昨日わざわざ買ってきたのに、テレビに出てたから」

私は慌てて何かないか、探すけれど、都合よく転がっているものは何も無かった。

「困ったなぁ」夫がそういった時、かずきは私の背中を叩いた。

「ボクかってくる」

  私は「一緒に買いに行こうか」と言うと、かずきは首を横に振った。

「ひとりでかいにいく!」

  かずきは確かにそういった。

「一人で行けるの?大丈夫?」

  この前みんなで見た、「はじめてのおつかい」の影響だろうか、かずきは頑なだった。

「うん」

  私と夫は突然で途方にくれてしまったが、母は再びかずきを撫でて「偉いねぇ」と一言言った。

  母は「どこに売ってるの?」と夫に投げかけると、夫は急いで地図を描き始めた。

  ここですと、夫がその場所を示すと、母は「この前一緒に行ったどころだねぇ、一人でいけっかい?」とかずきに投げかけた。

  かずきは子供らしく「だいじ!」というと、私を見てにっこり笑った。

  だいじというのは、大丈夫という意味だった。

  かずきは、買い物リストを渡されると、セロハンテープを持ってきて、それをバッチのように胸に貼った。かずきは誇らしげにそれを見つめる。首に、財布をぶら下げると、ポケットに夫が書いた地図を入れた。かずきは持ち物を念入りに確認して、やっと笑うと、コソコソと小さな靴を履き始めた。

「ついてこないでね!」と言って、扉を開けるとかずきは一人で出ていってしまった。

  私は、ほとんど呆然として見ているだけだったが、かずきが一人で出ていった事実をやっと認識すると、慌てて追いかけようとする自分がいた。

「だいじだよ」

母はそう言うと、私を安心させた。

「あたしがみてっから」

そういう母はもう靴を履いていた。

「ばれねぇ、ようにしないとなぁ」と言って扉に手をかけた。

「ふみぃ、あんたんこともずっとみてるよ。だいじだ」

母は私の名前を呼んで、確かにそう言った。

「おばあちゃんが、ついてきてたんだよ!ついてこないでっていったのに!じはんきのうしろにかくれてたの。でも、おばあちゃんがいなくてもコロッケちゃんとかったんだよ!ね、おばあちゃん!」

くったくな笑顔でそう言った。

  私のお母さんはうんうんと頷いてかずきが言うことを聞いていた。

  私は涙のせいで充血して赤くなった目でかずきを見ると、ぎゅっと抱きしめた。

「ママ大丈夫?」

  私は声を震わせながら「だいじだよ」と応えた。


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