見出し画像

『アンダーグラウンド』『約束された場所で』を読んで(雑感)

 『アンダーグラウンド』

小説家・村上春樹氏が地下鉄サリン事件の被害者数十人に会い、その時の体験についてインタビューを行った際の内容をまとめたもの。悲劇的な死や傷を負った人だけでなく、多くの軽症の人々にも話を聞き、彼らが何を体験し思ったのかについて詳細に書かれている。

グロテスクな描写やわかりやすい感動モノのエピソードが排除されていることにより、自分達と同じような「普通の」日常に突如発生した事件の悲惨さがより印象的に浮かび上がる。氏が地下鉄サリン事件の約10年前に書いた『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』に登場する「やみくろ」が、テロリズムにより現実世界に解放されてたような出来事は、村上のその後の作品(特に『1Q84』)に大きな影響をもたらしたのではないかと思われる。

 『約束された場所で』

オウム真理教の末端信者(中には幹部と近い関係だった人物もいるものの、少なくともオウム真理教の起こした犯罪行為について同時代的に知っていたわけではない人々)へのインタビューをまとめたもの。村上はこのインタビューにおいても中立性を期したと語っているが、これを読んでいる限り氏が抱いているオウム真理教に対する強い違和感や嫌悪を感じてしまうところが、作品のマイナスポイントなのかもしれない......が、『アンダーグラウンド』で何十人もの信者に会った氏が教団側の人間に対して本当の意味で中立的になり得るとは思えないことから、個人的には筆者の人間味・率直さを感じて好感を持ったところ。

河合隼雄氏との対談が印象的。


以下、雑感。

①「エリートがなぜオウムにのめりこんだのか」という問いについて

○ 「エリートがなぜオウムに?」ではなくいわゆるエリートだからこそオウムに惹かれたのでは。信仰ある人は皆平等というスタンスではなく、それぞれのスペックに応じて「〇〇大臣」と呼んで麻原集権的な組織を組み立てていくように、小さな箱庭的世界の中でも、既存のプライドが保たれる仕組みになっている。

○ 東大卒や美女の方は「悟る」のが早くてすぐにホーリーネームを貰えた一方、そうではない人たちはどんなに古参の信者でもずっと一般信徒として溶接や機械のメンテナンスといった業務をやっていた、というエピソードが印象的。そのような環境に自らを「エリート」とする自覚のある人間がのめり込んだのも、当然のように思われる。ただ、その発想は過分に俗物的で煩悩に近い気もするが......。

○ その人のそれまでの功績や努力によらず「信者は皆平等」とする宗教と比較すると、オウム真理教は資本主義に親和的な宗教だったのではないか?宗教において資本主義的な組織を導入したのはオウムの新しさなのか?

○ 優しく接することで信者を増やしていくというより、理不尽で曖昧な世界にはっきりした枠組みをあたえることで、信者を獲得していった、というところに、特色があるのではないか。科学が人を惹きつけることと似たプロセス?理系の研究者が中枢幹部に多かったこととの関係性?

○ そもそも、自分が若手研究者だとして、当時最先端のコンピュータや機器をあてがわれて、「好きにやっていいよ」と言われた時に、それにのめり込まないか?と問われると、自信がない。......よくわからなかったのは、オウムはそんな金をどこから得たのか?というところ。

②宗教について

○ はっきりした枠組みの中に自分を投げ入れることで、考えることを放棄させることが「洗脳」?そうであれば、世界の曖昧性に目を向ける宗教(具体的には思いつかないが......)にカルト性は生じ得ないのか?そもそも世界を曖昧なものとして捉えないことが「宗教」の本質なのか。

○ 悪いことのために人を殺す人より、善いことと思って人を殺す人間の方が、より大きな結果をもたらしてしまうものだ、という河合氏の指摘。自分の目に善いことだと見えるものは絶対に誰にとっても善いことである、というように、感覚を平板化してしまうことが洗脳の効果なのか。

○ 憂世に対して諸行無常のような「諦め」を抱くことで死後の幸せを祈る、という構成の宗教は多いが、それとカルトとは本質的に何が違うのか。悪いことをした行為にカルト性があるだけで、教義には問題はないのか。それともカルト宗教はその教義にも歪みがあるのか。

○ 自分の中の煩悩を滅却しようとする時に個人としての自分を確立する宗教と、煩悩を消す代わりに自己も消し去って他者に全てを委ねてしまう宗教に違いがあるのでは?という指摘。その辺りがカルト宗教の本質なのか?しかし、ある程度の組織を構成・維持する上で、後者になるのは当然なのでは。正統といわれる宗教にも、他者に対する依存性がないとはいえないのではないか。

○ 『約束された場所で』では、人間の煩悩の部分に焦点を当てる文学と宗教との相容れなさがテーマとして論じられていた。宗教にのめり込む人に対しての代替手段として文学は提示できるのか。たしかに、文学に傾倒する人間が何かの宗教の熱烈な信者であるというイメージはあまりないかもしれないが、果たしてどうなのか。

③テロリズムについて

○ 麻原はテロで何を実現しようとしたのか、掴みきれない。宗教的な実現のためなのか?現実的な自らの保身?

○ 無敵の人によるテロと宗教団体によるテロとの違い。出家をして現世に未練のない人間は本当の意味で「無敵の人」かもしれない?最近話題の「無敵の人」は世の中に未練があるからテロを起こすのでは?そう考えると麻原がテロを起こした理由がよりよくわからなくなる。

○ 自分がテロに遭った時に、せめて道の反対側からAEDを持って来られるような人間でありたいと思う。

④死刑について

○ 洗脳された信者を死刑にすることの妥当性。洗脳されている人間に責任を見出すことはできる?(そもそも幹部が「洗脳」されていたのか、という問題はある。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?