人肉、レールが空を飛ぶ!
人的・物的被害数が明らかになるとともに、被害の悲惨さが紙面を覆う
小樽新聞 大正13(1924)年12月29日 月曜日 その2
たばこ倉庫の大破損
損害は10万円
小樽専売局出張所は今回の爆発で庁舎とたばこ倉庫は大破損し、倉庫も全部傾いたことから、大掛かりな修繕が必要であると電報で函館地方局連絡した。同28日朝、地方局から吉田書記が出張し、午後には建築課から技師も出張し被害程度調査中であるが本日までの調査では10数万円に達する見込みである。
なお、在庫品は倉庫の大破損により保管することができず、現在浪華倉庫と交渉中であるが、たぶん29日から移送することになるだろう。塩は売却済みになったところで、それぞれ取引相手と交渉する。
高橋、岸両巡査は全身粉砕か
遺体はまだ発見されず
署で葬儀をするらしい
殉職した小樽警察署錦町派出所勤務高橋富五郎(29)氏および小樽水上署岸政吉(25)氏両巡査の遺体はいまだ不明で、たぶん全身粉砕されたのであろうと言われている。
高橋巡査は大正12年に巡査を拝命し、正確温厚かつ仕事熱心であると署内の評判も高かった。大正5年舞鶴海兵団に入団し、中国青島でドイツ軍と戦いの功績により、勲八等白色桐葉章と金330円が与えられたものである。
小樽警察署、小樽水上署の両署はこの二人の巡査を署葬する意向である。
関係運送店は松山と栗山
艀は中一の扱い
爆発したダイナマイトの取り扱い運送店は、汽船は松谷運送店、陸上貨物車は栗山運送店で積込作業員は曲卜手宮組が担当し、艀は中一が担当していた。
親子の顔も見分けができず
目もあてられないほどのむごたらしい遺体
桟橋よりの手宮駅構内では警察官も遺体の掘り出しに努めた。
色内町四丁目の某魚商は語る「爆発と同時に現場に駆け付けみると、この惨状には全く目もあてられませんでした。石炭かつぎの男女の作業員たちは真っ黒に焦げて倒れていて、遺体は親子でも顔の見分けがつかない状態でした。その間で遺体の掘り出しをおこないましたが、体はいずれも離れ離れで足を見つけたから引き出すと、首と両足が無かったり、首が見つかったから掘り出すと胴の半分ほどでしかなかったりして、悲惨きわまるものでした」と語った。
涙に濡れる家
無邪気な赤ん坊が哀れ
「夢見が悪かった」と語る遺族
被害者のひとり谷口組仲仕部の従業員である佐藤彌惣太(37)さん宅(緑町2-28)を訪問。遺族は妻たつ江(30)勝雄(2)義弟辰五郎(26)である。妻と義弟が交互に語る「遺体はまだ発見されてませんが、何せダイナマイトを積んでいたという艀の一船を置いて、隣の揮発油を積んだ艀に乗り込んでいたのですから、体も何も木っ端みじんでしょう。不思議なことに一週間前から夢見が悪く、夫が海に落ちる夢やら、昨晩も仏壇にお花を供えてる夢を見たので、今朝出かけに気をつけるように言ったのですが、今となってはそれが最後となりました。」とあとは言葉が出ない。
ようやくもの心がついた赤ん坊は母のひざに抱かれて、ひんぱんに出入りする弔問客の顔を物珍しげに眺め、無邪気に遊んでいたのが、いじらしくも悲しみを誘う。
あきあらめられない妻の心
涙を隠す姿がいじらしい
同じく揮発油積込みの艀に乗り、災難遭い生死不明と伝えられる高橋明三(29)さん宅(緑町2-27)を訪れると、妻はる(23)は今年7月に生まれた赤ん坊を抱え、目を泣きはらし「現場から30メートルほどしか離れていない場所にいたのですから、、、生きていないものとあきらめているものの、やはりあきらめがつきません。今朝家を出るときに夫は”なんだか行きたくない”と勤めを嫌がっていましたが、あれが”虫の知らせ”と言うのでしょうか」と語り、涙を見せないようにしているが、むせび泣く姿は哀れとも気の毒ともいう言葉が見つからない。
弁当を持って狂ったようにさまよう女
曲卜組の現場で働いていた手宮石山町の袴田金平(50)氏は、爆発当日最も危険である火薬の積み下ろしをおこなっていた。正午には元気づけに曲ト現場休憩所の附近にある屋台で酒をのんでいたが、その時袴田氏の兄と会った。兄は虫の知らせなのか「早く帰れ」と言ったのがこの世の別れとなった。
またひとりの女は27日中に夫が死んでいないか、28日早朝から狂ったように捜し回っていたが、死んだものと思ったのか、人前もかまわず弁当にすがりついて大声で泣き、「せめて弁当を食べて死なせたかった」と言っていた姿も悲しいものであった。
人肉は空へ
1.5mほどのレールは塩谷街道まで飛んだ
爆発の瞬間、現場作業員が爆風に吹き飛ばされ、400m先の製缶会社付近に係留中の艀船の甲板上の麻袋に打ち付けられ、頭部が砕けて死亡した。
また、鉄道のレールの破片1.5mほどのものが塩谷街道まで飛び、通行人の左腕をもぎ取った。現在鎌倉病院に入院中である。
混乱の中、海上に浮かぶ密柑
まるで彫刻のような遺体
大惨事となった現場では、焚火をたいて徹夜で遺体捜索したが、28日は厳しい寒さで夜が明けた。現場から離れた海上一面には焼けた木片、米俵、密柑箱などが漂って、前日の大惨事の名残をとどめている。
遺体は爆発により木端微塵になり、吹き飛ばされ、海中に沈んだためなかなか発見されない。
お正月用の密柑は1万2千箱、米2千俵、その他味噌、雑貨などかなりの数に達しているというが、密柑はブクブク浮かんでいるので、海岸に大勢集まった群衆が「あれはどうするんだろうな」「もちろん山へ持って行くのさ」などと勝手なことを言って見物している。
午前9時から遺体捜索のため、10台の潜水機を使用し始めた。海中の潜水士がグイグイとロープを引くと「あったぞ、あったぞ」という声が船上にあがる。まもなく潜水士が結び付けたロープによって火薬で黒くこがされた若い男の遺体が引きあげられた。するとひとりの男が「ボースンだ、早鳥丸のボースンだ」と叫んだ。衣服はズタズタに破れて、顔に血がにじんでいる。手は吹き飛ばされた時のままの姿なのであろう、何か求める様に両手を曲げてまるで彫刻の像のようだ。無残な姿を見た同僚が「うーむ、これが昨日の朝、”今日はやませ(北東から吹く風)だな”と俺に話した男とは思えないな」とうめいた。
岸に集まっていた群衆の中から「やあ、あそこに人の皮膚がある」と叫ぶと、どっと人が群がって来る。警官と捜索係の消防士がやじ馬をどかして探してみたが、それは飛散した30cm四方の皮膚の一部であった。
貨物列車のめちゃくちゃになった破片が積もったところで消防士の3人が「このへんに陸上の巡査の遺体があるはずなんだがなあ」と言いながらしきりに雪を掘ったが、それらしいものは何も発見されなかった。
海上の巡査も同様に粉みじんになってしまっただろう。
昨日の大爆発は忘れたかのように静まり返った海上と火山が爆発した跡のような陸岸では、暗い顔つきの人たちによって遺体の捜索が続けられている。
(28日正午)
次回「小樽新聞 大正13(1924)年12月29日 月曜日 その3」に続く