鈴木ユーリ「ニュートーキョー百景」#3 新宿二丁目「LGBTタウン」って呼び方、しゃらくせえな(後編)
歌がきこえてくる。
雑居ビルの2階からもれるカラオケは、微妙にふるい歌謡曲ばかり。令和も5年目だっていうのに、聖子・明菜の二大巨頭はむろんのこと、中島みゆきもまだまだ現役で、安室奈美恵ナイトも毎年のように開催されてる。倖田來未バージョンの『キュティーハニー』もいまだに定番のアンセム。「沢尻エリカ様がお忍びで襲来!」という逮捕前のフライデーの切り抜きを後生大事に貼ってあるバーもある。
前時代的なのはミューズだけじゃない。毎週末激混みしている『DRAGON MEN』などの外人クラブでかかる洋楽はいっそう古臭い。午前4時半のピークタイム、ニッキー・ミナージュの『スターシップ』とか、10年前のヒット曲を日本人も外人もシンガロングして盛り上がってる。どれだけ仲良くなってもノンケには理解しえない、ましてやインターネットやsnsの影響だけとは言えない、世界的な共時感覚でもあるんだろうのか。
街の景色は10年前とはだいぶ変わった。
二丁目は「ゲイタウン」ではなく「LGBTタウン」と呼ばれるようになった。クラブ以外でコロナ前から外国人の人だかりがたえないのは、ネオンサインがまぶしい発色のビアンバーと、七色の鳥居が目じるしの仲通りのオープンカフェだ。
「アジア人以外には門戸を閉ざしていた新宿二丁目のゲイバーが、押し寄せる外国人観光客の圧力に押され、西洋人にも扉を開き始めたのだ。(略)グローバルなLGBT解放の波が日本にも届いていることは疑いない」
2016年に翻訳されたフレデリック・マルケル著『世界のLGBT事情 変わりつつある人権と文化の地政学』では、そう分析される。
しゃらくせえな、と思ってしまう。
なんでも最適化すんなよ。内向きなのが日本人なんだよ。
しめっぽい地方の秘宝館のような、輝かしい発色は似合わない街なのだ。
「ひとたびその極彩色の路地に迷いこめば、すべての記名性が剥ぎとられ、我々は匿名の自由の中に解き放たれる」
『性の歴史 I 』でミシェル・フーコーは、二丁目を「東京のシャンティイ」とあらわした。
言いすぎだけど、さすがにアメリカ人とちがって情緒がある。 でも一理ある。
ラシントンパレスを常宿にしながら、バブル前夜の仲通りをハッテン場へと歩きながら、おかまやシスターボーイのなかで、しめやかな性愛のグラデーションを感知してたんだとおもう。
80年代のエイズ禍でフーコーは亡くなった。
この夏、日本では27歳のインフルエンサーが犠牲になった。
あることないこと言われてる。
路地をあるけば、あちこちにレインボーフラッグがはためいている。江戸からの売色が折りかさなって、街はどんな色にも塗りかえられてゆく。