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【写真家・近未来探険家 酒井透のニッポン秘境探訪】北海道・網走郡の『破壊された骨仏』
「人は死ぬと墓に入る」という観念をくつがえす葬法がある。北海道から九州にかけて、全国40あまりの寺には、亡くなった人たちの遺骨を集めて練造された骨仏が奉安されている。練造の方法も様々で、石膏と遺骨を混ぜ合わせて造られたものやコンクリートと遺骨を混ぜ合わせて造られたもの。セラミックスと遺骨を混ぜ合わせて造られたものなどがある。古いものになると、粉末状の遺骨をにかわなどに混ぜて木像に塗ったものがある。
亡くなった人の遺骨を使って骨仏を造ることには、大きく分けて2つの意味がある。そのひとつは、骨仏を拝むことで、仏さまを礼拝することができるということだ。もうひとつは、亡くなった人たちの供養になるということになる。
日本では、戦前から各地で骨仏が練造されるようになった。北海道・網走郡美幌町では、1700体あまりの残骨を集めて骨仏が造られている。完成したのは、昭和12年のことで、城地喜作という人が手がけた。しかし、あろうことか老朽化によって取り壊されている。JR・美幌駅近くにある墓地の脇に奉安されていた。
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「ある日、突然、大型の重機がやって来ると、仏さまを壊し始めたのです。あの仏さまは、戦前からありますが、聞くところによると、亡くなった人の残骨で造られたものです。火葬場に残っていた骨片や灰をコンクリートか何かに混ぜて造ったものだそうです。私も子どもの頃から、この辺で良く遊んでいましたね。全然怖くなくて、年配の人からは、『仏様が見ているから悪いことしたらダメだよ。ゴミはちゃんと家まで持って行きなさいよ』なんて言われたものです。それにしても罰当たりではないでしょうか?最後は、産廃業者に引き取られたみたいですよ…」(美幌町に住む60代の男性)
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骨仏の歴史を調べてみると、残骨で造られたものが多いことが分かる。北陸や九州などの寺には、こうしたものが多数奉安されている。火葬場の横に積まれていた残骨や灰、身寄りのない人の遺骨が使われた。そこには、「亡くなった人たちを供養してあげたい」という日本人のいつくしみや優しさがあった。
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美幌駅近くにあった骨仏には、不思議ないわれがある。それは、「行き場のないお骨は、ここに持っていくと成仏される」というものだ。そのためか、骨仏の裏側には、無数の骨壺が置かれていた。骨自体がそのまま置かれていることもあったという。今の日本人の感覚からすると、あまり考えられないことだろう。地域の人たちは、そのようなことを気にする様子もなかったようだ。この骨仏は、長年、地域の暮らしの中に溶け込んでいたと考えることができる。
写真・文◎酒井透(サカイトオル)
東京都生まれ。写真家・近未来探険家。
小学校高学年の頃より趣味として始めた鉄道写真をきっかけとして、カメラと写真の世界にのめり込む。大学卒業後は、ザイール(現:コンゴ民主共和国)やパリなどに滞在し、ザイールのポピュラー音楽やサプール(Sapeur)を精力的に取材。帰国後は、写真週刊誌「FOCUS」(新潮社)の専属カメラマンとして5年間活動。1989年に東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(警察庁広域重要指定第117号事件)の犯人である宮崎勤をスクープ写する。
90年代からは、アフロビートの創始者でありアクティビストでもあったナイジェリアのミュージシャン フェラ・クティ(故人)やエッジの効いた人物、ラブドール、廃墟、奇祭、国内外のB級(珍)スポットなど、他の写真家が取り上げないものをテーマとして追い続けている。現在、プログラミング言語のPythonなどを学習中。今後、AI方面にシフトしていくものと考えられる。
著書に「中国B級スポットおもしろ大全」(新潮社)「未来世紀軍艦島」(ミリオン出版)、「軍艦島に行く―日本最後の絶景」(笠倉出版社 )などがある。