【ザ・未解決事件】「疑惑の男はマッチと同じ地元の不良少年だった」……近藤真彦「母親遺骨盗難事件」(ライター・根本直樹)
母の死、父の事故
「マッチの半生は〝呪われている〟といいたくなるほど、不幸の連続でした」
近藤真彦をよく知る芸能事務所関係者は、80年代当時を振り返ってこう語る。芸能界で独自の大物感を漂わす近藤は、眩いばかりに輝く真のスターだった。だがその光の裏で、闇もまた深まっていた。
「不幸の連鎖」は、バブルの幕開けとともにはじまった。
86年11月、最愛の母・美恵子が交通事故で急死。42歳という若さだった。この件を取材した元週刊誌記者は、当時の近藤の憔悴ぶりが印象的だったという。
「当時からマッチの母親への強い愛情は有名で、陰ではみんな〝マザコンのマッチ〟と言っていましたよ。葬儀では気丈に振るまっていましたが、相当なショックを受けた様子でした」
1年後の87年8月には、父親の正勝が同じく酒気帯び運転によって自損事故を起こしている。一体なぜこんなことがつづくのか―芸能関係者の間ではそんな声が広がっていったが、この2つの事故は、後に「昭和芸能史に残る未解決事件」と呼ばれるようになった事件の序章にすぎなかった。
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