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【3・11フクシマ】「復興って、ドラッグの値段でわかるんですよ」……麻薬密売人が見た被災地・郡山


放射能の線量計が設置されている郡山駅前で

密売、強盗、賠償金詐欺

福島県中央部、西を猪苗代湖、東を阿武隈山地にかこまれた盆地に郡山市はある。新幹線も発着する駅ターミナルにはこぎれいなスーツや制服が行きかい、そこにはかつて「東北のシカゴ」と呼ばれていた面影はない。

郡山市は戦後、大陸からの引き揚げ組をふくめた急激な人口増加で治安が悪化した。暴力団事務所が乱立し、発砲事件などが日常的に発生。行政は「暴力追放都市宣言」を推進し、音楽都市「東北のウィーン」としてイメージを刷新してきた。周囲の16市町村をふくめた「郡山都市圏」では、仙台につぐ東北第2の人口と経済規模をほこるまでに至った歴史は、駅前ターミナルの観光案内板にも記されている。

「猪苗代湖は今もさらった人間を連れてく場所なんスけどね」

案内板をながめながら、柏木は小さく笑っていた。駅前の景色も、震災報道で見た光景からすっかり生まれ変わっていた。

2011年3月11日、郡山市は震度6弱の揺れに襲われた。内陸部ゆえに津波被害はなかったが、全壊は2400件、半壊が15000件と建物被害は甚大で、倒壊した市役所庁舎からは、圧死した男性の遺体が発見された。関連死もふくめると市内の死者は13人に及ぶ。

「地震バーンってなった時は、いわきに住んでたんですよ。向こうは原発事故もあったし、みんな避難してゴーストタウンになってた」

柏木凌哉(仮名)は1988年、郡山市に生まれた。震災当時は23歳だったが、すでに街中で違法薬物を売りさばいていた。覚醒剤、コカイン、大麻、MDMA。主要ドラッグはすべて取りあつかい、20代前半にして売上が月数百万円にのぼることもあったという。

「単純に身の回りでほしい奴がいれば成り立つ商売なんですよ。それに俺、ヤクザ屋さんどころか、社会のシステムの中で生きるのが大嫌いで。『山月記』じゃないけど、売人って藪にひそんで世間をうかがいながら、チャンスあったら食らいつくみたいなタイプが合ってるんスよ」

だが震災後、柏木が手はじめにやったのは薬物売買ではなかった。ゴーストタウンとなったいわき市内の空き家をまわっては、窓ガラスに石を投げた。物音をたしかめると家屋内に侵入し、家電や金目の物を奪っていった。

「俺は基本的に自分で手は汚さないタイプっていうか、周りに空気入れて、自分は見てるだけでマージン取って。あとは知り合いの家まわって、壁ハンマーでたたき割って賠償金取ったり。でも小遣い程度っスよ。これにくらべたら大した額じゃない」

視線が観光案内板のわきに設置された線量計に向いていた。毎時0・129マイクロシーベルト。福島第一原発から約60キロ離れたこの地には、10年前の3月17日、毎時8・9マイクロシーベルトの放射能が降りそそいでいた。

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