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「決起は年金テロではない!愛犬を殺された仇討ちである!」34年前の恨みから無関係の官僚を次々と…|元厚生事務次官連続殺傷事件・小泉毅

2008年11月17日から翌18日にかけ、埼玉県と東京中野区の元厚生事務次官宅が相次いで襲撃された事件。22日、出頭した小泉毅は犯行について「保健所に殺された愛犬の仇討ち」と語った……。
週刊誌記者として殺人現場を東へ西へ。事件一筋40年のベテラン記者が掴んだもうひとつの事件の真相。報道の裏で見た、あの凶悪犯の素顔とは。

「できるだけ多く殺害して、死刑になって人生を終えたい」

 旧厚生省のトップ官僚だった2人の自宅で惨劇が起きたのは2008年11月17日。埼玉県さいたま市に住む元事務次官・山口剛彦さん(66)夫妻が宅配を装った男に自宅で殺害された。8時間後には約14キロ離れた都内中野区の元次官・吉原健二さん(76)の夫人(72)が胸などを刺され重傷を負った。2人は現役時代ともに年金制度を担っていた。社会部記者の話。
「2人は85年の年金制度大改正の担当だったため恨みからの年金テロでは、と厚労省は震え上がりました」

 事件から4日後の22日午後9時20分、わナンバーの軽自動車が警視庁本庁舎に乗り付けた。
「自分が事務次官を殺した」
 小泉毅(46)と名乗る男の出頭で事件は急展開、一件落着かと思いきや、その殺害動機に世人は呆気にとられた。
「昔、保健所にペットを殺され腹が立った」
 出頭前には複数のマスコミに犯行メールを送りつけていた。
<今回の決起は年金テロではない! 今回の決起は34年前、保健所に家族を殺された仇討ちである! (中略)やつらは今も毎年、何の罪もない50万頭ものペットを殺し続けている>
 調べに対して小泉毅は「恨みを晴らすため、元厚生次官とその家族ら10人前後を殺すつもりだった。もう人生に未練がなくなった。体力的にも今しかないと思った」と供述した。

送検される小泉。初公判 では「愛犬の殺害をした 厚生省幹部はマモノであ り、
殺害をすることは正 当である」と述べた

 確かに、ペットの犬が殺処分された事実はあった。小学生の小泉は自宅に迷い込んだ犬を可愛がっていたものの、首輪が外れて行方が分からなくなり保健所で処分されていたのだ。
「チロという愛犬は74年に死んでいますが、小泉は犬の命日や曜日まで覚えているそうです」(全国紙記者)
 その執念たるや常軌を逸しているが、3人の殺傷事件の動機としては首を傾げたくなる。この男の人となりを取材するため、住んでいたさいたま市のアパートを訪ねた。大家の話。
「あいつが入居して間もなく『騒音を出しているのはお前か』と他の住人を呼び出し脅かしたのです。みんなビビッて3人が引っ越しました」
 小泉の執念深さを物語るこんな〝事件〟もあった。5年前、自宅アパート隣で始まった新築工事にクレームをつけ、あろうことか建設会社まで乗り込んだ。
「朝の会議の最中に『お前が社長か、俺の生活を侵害している。工事を止めろ』とフルフェースのヘルメットを振り回し、大声を上げながら小泉が乱入してきました。恫喝の電話を掛け、深夜に社長の自宅前にバイクで乗り付け、バッテリーが切れるまでクラクションを鳴らし続けた」(会社関係者)

 小泉毅は山口県の瀬戸内海に面した柳井市で、駄菓子屋の長男として生まれた。
「数学が得意で、はにかみ屋で大人しい子供でした」(中学の恩師)
 高校卒業後、佐賀大学理工学部電子工学科にストレートで入学するが、英語が嫌いで留年を繰り返し中退する。1986年頃からは関東のコンピューター会社を転々とし、一時期貯蓄とパチンコで生活をしていたという。2000年9月にソフトウエア会社を退社、以後職に就いていない。司法担当記者の話。
「貯金を元手に株取引で暮らしていましたが、2007年頃から投機性の高い株取引を行い赤字が続きました」
 起訴状によると「50歳ころまで未練が残らないように生活し、50歳になったら、できるだけ多くの厚生事務次官経験者を殺害して、死刑になって人生を終えたい」と考えるようになった。しかし、貯蓄残高が減少し50歳まで食いつなぐ見通しが立たなくなり決起(犯行)を早めたという。

 こんな身勝手な論理で殺害された被害者は浮かばれまい。同い年の宅間守を彷彿させるが、一審で死刑に服した宅間と違い、小泉毅は東京高裁の死刑を不服として2011年12月上告。2014年6月、死刑が確定した。

獄中からマスコミに送った手紙。
愛犬チ ロへの熱い思いが書き殴られている
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小林俊之(こばやし・としゆき)
1953年、北海道生まれ。30歳を機に脱サラし、週刊誌記者となる。以降現在まで、殺人事件を中心に取材・執筆。帝銀事件・平沢貞通氏の再審請求活動に長年関わる。