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【写真家・近未来探険家 酒井透のニッポン秘境探訪】松山・道後温泉の遊郭廃墟『旧・朝日楼』

 松山・道後温泉のシンボルとなっている道後温泉本館の裏手に、色町の臭いを残した街並みが広がっている。

 この界隈は、昭和33年まで道後・松ヶ枝町遊廓として栄えていたところだ。だらだらとした坂道を登りきったところには、『旧・朝日楼』という名前の遊郭廃墟があった。通りに面したところには、格子状の枠が設けられ、遊女を買いに来た男たちは、ここから中の様子を窺っていた。最盛期には、40名ほどの遊女が働いていたという。解体されたのは、平成19年のことになる。

 筆者は、解体される前に足を運んだことがある。400平方メートルあまりの土地に建てられた建物の内部は、時間が止まったようになっていた。2階にある支度部屋のようなところには、年代物の鏡台が残されており、台所の近くには、中に入れたものを氷で冷やしていた旧式の冷蔵庫が置かれていた。水を汲むことのできる井戸もある。廃墟マニアならば、一度は訪れてみたいようなところだったと思う。

 解体される数年前まで、この建物には人が住んでいた。男性は、60代くらいで、腰や足を悪くしていたせいか、いつも屈みながら歩いていた。近所では『超霊能力者』と呼ばれていたようで、口コミでやって来た人の『治療』をしていたようだ。一度だけ、この男性と話をすることができた。

 「私は、ここに来てから30年以上になります。松山の街も変わりましたよね~。この辺には、遊郭として使っていた建物がいっぱいありましたが、その多くは取り壊されてしまいました。『朝日楼』は、その中でも大きな遊郭だったようです。面影も残っています。私は、もう年なので普通に働くことはできません。皆さんが言うように心霊治療のようなことをして食べています。喘息や神経痛、めまいや肩こり、首こりなんかを治せます。何と言いますか、ちょっとした病気のほとんどは、霊的なものが多いですね。ヘンなところに入ったりして“アテられてしまった”というようなものです。そういうのは、治りますよ。たまに遊女の持っていた帯を使うこともあります。細かく切ってから煎じて飲ませることもあります。良く効きますね~」

 男性は、いくつかの帯を見せてくれた。使われなくなってから長い年月が経っているので、綺麗なものではなかったが、赤や緑の糸を使って丁寧に編まれた帯が何本かあった。おそらく遊女が使っていたものだろう。1本欲しかったので「売ってくれませんか?」と言うと、「あなた、さすがに商売道具を売るわけにはいけませんよ(笑)」などと言われてしまった。

 昭和初期、松ヶ枝町遊廓には100人を超える遊女がいた。昭和32年に売春防止法が施行されると、それから1年くらいして遊女の姿は消えてしまったという。時の流れというのは、酷なものだ。遊郭跡は、駐車場になり、『霊能者』の男性もどこで何をしているか分からない。

写真・文◎酒井透(サカイトオル)
 東京都生まれ。写真家・近未来探険家。
 小学校高学年の頃より趣味として始めた鉄道写真をきっかけとして、カメラと写真の世界にのめり込む。大学卒業後は、ザイール(現:コンゴ民主共和国)やパリなどに滞在し、ザイールのポピュラー音楽やサプール(Sapeur)を精力的に取材。帰国後は、写真週刊誌「FOCUS」(新潮社)の専属カメラマンとして5年間活動。1989年に東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(警察庁広域重要指定第117号事件)の犯人である宮崎勤をスクープ写する。
 90年代からは、アフロビートの創始者でありアクティビストでもあったナイジェリアのミュージシャン フェラ・クティ(故人)やエッジの効いた人物、ラブドール、廃墟、奇祭、国内外のB級(珍)スポットなど、他の写真家が取り上げないものをテーマとして追い続けている。現在、プログラミング言語のPythonなどを学習中。今後、AI方面にシフトしていくものと考えられる。
 著書に「中国B級スポットおもしろ大全」(新潮社)「未来世紀軍艦島」(ミリオン出版)、「軍艦島に行く―日本最後の絶景」(笠倉出版社 )などがある。

https://twitter.com/toru_sakai